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■ YouTube | 2020.10.27 |
世の中には「YouTuber」なる仕事があって、それでかなりの収入を得ている人がいるらしい。 筆者も遅まきながらまがりなりにも「YouTuber」の仲間入りを果たすことができた。 勿論「プロ」ではないし周囲の人のチカラを借りてただ「喋るだけ」。 殆んど努力をして得たモノではない。 ありがたいことだ。 結果、一番の収穫は「自分の姿」を、それも仕事中の「ソレ」を観察できたことである。 声、雰囲気、ファッションなどかねてより「知りたかった」「見たかった」からだ。 「自分のことをどう思っているか」「どう見えるか」などという質問をするのは何となくはばかられるし、長年の願望が図らずもYouTubeによって実現したワケである。 ありがたいことだ。 普段は滅多に鏡を見ないので自分の姿カタチについては「自信がない」。 かと言って「自信がある」ワケでもいくらか無味乾燥的に自分をYouTubeで視聴すると意外にも非常に愉快な感覚を得た。 話し方に独特の特徴がある。 実弟からは「酔っ払っている」ように見えたそうである。 息を吸うときの「シー音」が気になる。 顔を動かすと「イケテナイ」。 これは「俳優さん」向きではなくもしかしてイケメンと仮定するなら「モデル」向きとなる。 「静止画向き」 話したり動いたりすると魅力が落ちてしまう・・・という個人的な感想。 とにかく自分の映像と声を視聴するというのもかなり「オモシロイ」。 自分の客観視というのは意外に難しい。 鏡は反対(左右)に見るので本当の姿ではない。 それに声だ。 人から聴いてどんな「声」なのか初めて知らされた気がする。 この際に愉快さを感じる。 何故なんだろう。 昔、桂枝雀という噺家が或る自分の映像を録画して視聴し「オモシロカッタ」というのを聞いたことがあった。 ナルホド。 非常に無責任にも言いたいことを「放言しまくって」面白がるという心境を理解できた気がする。 誰も見てなくても「平気」。 何しろこれを仕事にしていない訳だし。 全くの自己満足と言えば「コラム」も同じ。 自分で読む為に書く、自分が聞いて楽しむ為の「YouTube」。 誰かが見るかも知れないというワクワク感もあり心持ちとして複雑だ。 現場の風景をひととおり解説しておくと「診察室」がスタジオ。 そのまんま、ありのままの「素」を撮ってもらっている。 監督は事務のHさん。 2分くらいして欲しいとの依頼でそれに応えている。 仕事の合い間にサッと撮るので正味5分から10分。 脚本やメモなど一切なし。 全作品ぶっつけ本番で話す内容も「行き当たりばったり」。 アタマに浮かんだことをテキトーに喋っている。 人々のフェイスブックとかツイッターとかで「繋がりたい」欲求という類を少し理解できたような気がする。 人間は「自己表現」としたい生き物なんである。 何でもいいから。 いくらか野放図な作品であるが喜んでいただければ有難い。 ありがとうございました M田朋玖 |