コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 祈り2020. 9. 5

当法人では「・・・人の幸福に貢献する」と理念に謳っているので基本的にトップ以下全社員がその方針・方向で動いている筈である。
それで、人々の幸福の一助になればと色々な側面から人を分析するのが癖になってしまった。余計なお世話かも知れないが、その人の人生が好転していくのか、或いは暗転していくのかある程度予測できるようになった。
それでみすみす暗転していく人を黙って見逃すワケにはいかないので「そっちの方は危ないヨ」と言ってもただちに理解して即応する人は少ない。
こういう場合こちらとしては「祈り」しかない。
実際にそれしか方法がない場合が多々ある。
こちらの事態については内心極めて残念な心待ちになるがその人の運命だから仕方がない。
諦めるしかない。
人生が何となく暗転していく人の特徴を列記すると

@信心をしない(墓参、神社参りなど)
A飲食の乱れ(アルコール、大食など)
この2点が明瞭に認められる。
ついでにB名前が悪い(字画)。

これらの三拍子がそろっていると人生のさまざまな場面で悪運に見舞われ、本来幸福であるべき人生をいたずらに暗転させていく。
余程強運の人をパートナーに持っているか親族に持っているかしないと凶事・禍事が次から次にその個人にやって来てその人を苦しめる。
これらの基準に一人の人間を分析するだけで実は簡単にその人生を好転させることができるが存外このような人は意固地で頑なで人の言うことを聞かない。
それでどんどん人生が暗転していくようだ。
上記の@〜Bの中で最も重要な好転要素のAの飲食を調整すると殆んど100%良果を得ることができる。
まず飲酒・大食をしない。
これはバツグンに効能・効果がある。
ひとつには精神が穏やかに落ち着いて来て明朗になる。
次に様々な善言・善行を実践するとこれで殆んどその人生は実り多き豊かなモノになる。

逆に表現すると上記の@〜Bの存する人たちの場合「救い難い」ということが起こる。
特に強烈に「運気の強い人」と離れた場合にこれが極端なカタチで生じる。
まさに転落というレベルになることもある。
「強い運気の笠の下で得ていた安寧が失われる」といった事態に陥る。
特にそれらに人々の「踏み絵」というか「試金石」とも呼ぶべき判定法は「改名」についての態度に表出される。
それらの人々はだいたいにおいて悪名を良名に変えましょうというアイデアには殆んど応じないという特徴を持っておられる。
どれほどの悪運に見舞われようともご自分の人生がお好きなんであろう。
それはそれで理解できるが「私は私」と言い切るのに名前を変更することぐらいでは本質的に不変である。それでそれに拘泥するということが心に起こるのではないかと想像している。
改名によって自分のアイデンティティー(自己認識)まで失われると勘違いされるのだ。

戦国武将はその人生に各段階で何度も名前を変える。
明治維新期までの武士の名前で普通に本名と通名という二つの名前を持っていたそうだ。
坂本龍馬も「直柔(なおなり)」という本名で、世間でも歴史的にも流通している「龍馬」は「通名」である。
通名を使っているので歴史のテキストにもこの本名は出て来ない。
であるので一般の人が勝手に自分で考えた通名を使っても何の罪悪感や「引け目」を持つ必要はない。
そもそも親がその日の気分でテキトーにつけたかも知れない自分の「名前」にこだわる方がおかしい。
自分の人生を新しく切り拓くのに改名は実に簡単なアイデアである。
芸能人の名前を一望すれば一目瞭然だ。
それぞれテキトーに名前をつけておられる。
誰もそのことを非難しない。
これは別に芸能人の特権ではないので一般人もどんどん使用すればよいのに字画的に悪名の人ほど「自分の名前に固執する」。
オドロキだ。

「たかが名前 されど名前」

これくらいは柔軟に変更させる心の準備はしておきたい。
@Aに比べると実行が簡単だからだ。

話しがそれてしまったが具体的に「祈り」と検索すると「祈願」「利他」「自分の中の神に繋がること」とあって個人的には最後者が一番心にフィットする。

神の国は自分の心の中にあって常に広漠とした宇宙空間のように無限に広がっている。
所謂「対人関係」についても対他人より対自分(神)の方が重要だ。
他者との関係性より自分との関係性を重視するべきと思う。
普通に起こる「自問自答」とは少しニュアンスが異なる真の意味の「祈り」即ち、自分の中の「神との対話」こそ人生を正調にする妙法と思える。
そのための準備・前段階として飲食を慎むこと、信心、善行などがある。しかしそれよりもいろいろな意味での「祈り」の方が価値高く有益ではないかと考えている。
最近特に。ここ半年余り続いている社会の騒乱、そして身近で起こった自然災害を目の当たりにして。自らの無力さを痛感して。

「世界平和への祈り」とか空々しくて今時はとても言えない。人類の争いは、どうやら一部の人々や企業を富ますようで、「世界経済」も活気を増すらしい。今はコロナ戦争という特殊なカタチの争乱を企み誘導し現実化させているようだ。
マザーテレサや過去の賢人達が述べてきたように人間の「心の平和」が、一人一人の心にしっかりと根付かなければ世界平和など実現しない。それで、個人的には人々の為にそれぞれの心の平和を「祈る」しかないのだ。身近な人々。そしてまずもって自分の心のソレを。

ありがとうございました
M田朋玖



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