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■ 人間の苦しみの正体 | 2020. 9. 2 |
発狂しそうな程の「心の苦しみ」を味わってみて色々と本を読み漁り自己観察を試みた。 それでやっぱり行き着いたのがヴァーノン・ハワード著の「スーパーマインド」。 それに自分が書いて来たコラムである。 「心の苦しみ」は自分の「考え方のマチガイ」で生じる。 これは心の法則の原理原則で永遠不変の真理。 「自分」(我)が無ければ一切の苦しみは無い。 苦しみの元は究極的にやはり「自分」なのである。 それも限定的には執着という類。 欲望と言っても良い。 決して「誰かのせい」「何かのせい」ではない。 自分の心を中心に据えて「無心・無欲・無我」を集中して意識を維持していると苦しみが少しずつ軽減していく。 一気に取れてしまうこともある。 心が「今になく」過去と未来を往来する、或いは心が他所に飛ぶ妄想や恐怖に満たされると殆んど人間は一定の苦しみを味わうことになる。 好悪正邪の観念、思い込み、感覚や考えもそれらの元になるので自分の心が発するそれらの一切を思い切って放擲してしまうと心は見事に軽くなる。 冷静で少しもたじろぐことの無いまっすぐな「心」は適切な判断をしそれに基づいて決断し行動することができる。 これらの「知識」は極めてありがたいモノであるが多くの人がいったいどのようにして「心の苦しみ」を軽減させているのか知りたい。 単なる「ゴマカシ」や「マヤカシ」やあらゆる代替行動でも「心の苦しみ」という問題の本質的な解決にはならない。 自分の心をありのままに勇気をもってつぶさに丹念に真正直に観察する。 これらの「心の作業」をしっかりと繰り返すことで多くの心の問題は着実に消失して行く。 現実のその悩ましい事態も好転していくこともある。 心が元気になるとそれらの心を苦しませている事態そのものが既に「問題」でも「悩み」でも無くなる。 これらの心のマジックはどんな人でもキッチリと味わうことができる。 それらの知識を正確に把握し理解し実践実行しさえすれば。 最初は難しく感じるかも知れないが毎日朝から夜眠るまでしっかりと自分の心を見張りマチガッタ方角に向かわないように注意していることである。 丁度最近の最新型の自動車の種々の警告音、即ちセンターラインを越えそうな時、前者の距離が近づきすぎる時に発っせられる「ピッピッ」という音を参考にすれば良い。 その警告音は人間の心の場合「苦しみ」や「重さ」であり「迷い」である。 それらが生じた時には「心」の使い方を「マチガエテマスヨ」という信号と考えれば良い。 「心の苦しみ」が道路のセンターラインあるいはコースライン、標識や信号になっていると捉えれば良い。 心が「重苦しく痛む時」とりあえず早急に自分の考えていることをチェックする。 誰かを、何かを自分の思いどおりにしたいという誤った意図を持っていないか、或いはまた自分のあり方・考え方以外の何事かを自分の立場や能力で何とかしようとして「もがいて」いないかなど。 恋人や配偶者や子供、職場の人、また会社や国家などについて自分の関りが弱い者、或いはハッキリと「他人の心」などをのぞき見ようとしていないかどうか。 他人の心をコントロールしようとする人間は殆んど全き「悪人」である。 どんな理由であれカタチであれ他の人の行動や自由を奪うことは犯罪、罪深き行為と言える。 暴力に近い。 これらが普通にまかり通っている現代の社会と世相は異常だ。 他者や他国、人々の自主独立を促進する。 その為の正しい教育。 これらの前提が無ければ表題に掲げた真の意味の人間の苦しみ、若しくは「狂気」の収束は実現できない。 現代世界の今回の「コロナ禍」と称する人々への心理的圧力はマスコミと為政者達の「暴力」に近いマインドコントロールで人々の心に「恐れ」を擦り込む手法は悪質極まりない。 繰り返し述べているようにコロナウイルスの被害よりも企業倒産、業績悪化、失業、解雇など。 それらの人々は個人や企業を窮地に陥れたとして激しく断罪されるべきと考える。 実際の脅威を「針小棒大」という言葉が虚しく響くほどに小さな被害結果とひき比べ洗脳というより「煽動」と呼ぶほど悪質である。 殆んどの人は「心の苦しみの正体」の本質的理解ができない、或いはしようとしないので「無辜の民」と同じなのではないかと考えている。 いくらか「上から目線」。 ご容赦。 ありがとうございました M田朋玖 |