コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 精神年齢2020. 8.26

ネットの自己診断心理テストで自分の精神年齢を測定したら「13歳」と出た。
そのテストの質問の中身はあなたの机の引き出しを開けたら「何が出てきましたか?」というモノ。筆者は幼い頃に好きだった「彼女の写真」としたのでこの結果になったようだ。
この質問の意図は精神年齢のレベルを計る類なのでどういうカラクリかは不明であるけれど13歳ならば「幼稚」ということになる。
アドバイスとして「もっと大人になりなさい」とあった。
確かに。

けれどもこの測定結果に何の疑義も持たないで奇妙に得心している自分がいる。
またとりたててイヤな感覚ではない。
年齢判定で精神が思春期のままというのは「幼い」とも言えるが「若さ」の顕れとも言えるので全く異論がない。
自分が殆んど成熟していないという自己不全感もあったりして尚更だ。
思春期の少年は性欲のカタマリでオートバイとかクルマとかスポーツなどの遊び事に夢中。
少なくとも自分の過去のソレと、実際の今の自分が全くそのとおりであるから「ナルホド、13歳か、中学生やな」みたいに深く諒解をしたワケである。

今でも行動と趣味嗜好が当時と殆んど全く変わらない。
最近は飲酒を含む晩酌とか夜の店とか「大人の会合」とかもコロナウイルスの影響でメッキリ減ってしまって66歳の高齢者の行動でも開業医の気分でいるのは辛うじて仕事中だけ。あとは13歳そのもの。
体格、身長と体重は高校生時と同値だったので16歳かも知れない。
13歳から16歳の気分に或る程度の知識や経験があり「大人の自由」を味わえているというのは実に嬉しい。
有難いことである。

年を重ねると長所も欠点も先鋭化するようで読書と遊び、快活さとスケベぶりが増幅して或る意味元気。
さまざまな性的妄想が次々と湧いてきてかなり悩ましくもあるがそのことから「生命の息吹」も実感体感ができるのは嬉しい。

肉体と容姿は年齢相応に変化しているワケであるけれど、わざわざ「精神」まで老いさせることはあるまい。
とりあえず13歳の頃と殆んど同程度の機能を我が肉体を保持しているのも有り難いし心楽しい。
色々な健康法を試してみて10年前より今の方が「元気」と感じるのは単なる気のせいだろうか。
いずれにしてもイギリスの統計分析で知ったハピネス曲線どおり50歳を底に年を重ねるごとに幸福感が高まっている。

最近は映画「ラ・ブーム2」という作品の主題曲「恋する瞳」を聞きながら入眠している。
この曲を聞いていると何故か中学〜高校時代の楽しかった思い出と気分に浸れる。
速攻で入れる。
実はこの曲、筆者が大学を卒業して観た映画のモノなので実際に中学高校に流行していたワケではない。
中学から大学の卒業まで毎日勉強の日々で、音楽とテレビに親しむ機会が極端に少なく本格的な「青春」が始まったのは大学卒業時、即ち26歳と言える。
結果的にその当時(大学卒業時頃)のヒット曲「来生たかお」であり件の「恋する瞳」なのだ。

大学卒業という素晴らしい解放感は何とも言えない感覚で敢えて言葉にするなら「人生を手に入れた」という実感と勝利感である。
自分のような程度の低い人間が医者になるなんて全くもって奇跡。
この感覚とは別に謙遜ではなくとても正直なもので、ここまで仕立て上げてくれた両親には今でも感謝の念で落涙する。

13歳という年齢は中学入学時でこれもひとつの「家族からの解放」。
極く個人的には勉学とスポーツ(バスケ)三昧への入り口であった。
少年にとっての「寮生活」というのは後から考えてみると有難いものだ。
社会から隔絶され、当時でもテレビやラジオや種々の社会の有害な情報や洗脳からフリーでいられた。
純粋に純朴素朴に育ったワケで結果的には心から「良かった」と言える。

一方で今の少年達はとても気の毒だ。
テレビ・ネット・ゲーム・スマホなどでどちらかというと有害無為な活動に自らの勉学の時間を削り取られて人生におけるチャンとした大切な教育を受けられない。
実に気の毒だ。「鍛練不足」これは現代の若者の特徴らしい。一方で厳しく訓練されたであろう警察官や自衛官、或いはやり手企業戦士などにはある種の親近感を抱く。
正しい練磨。歪んだ練磨。これが混在して今の自分がある。図らずも精神年齢の測定結果に出てしまったようだ。

若い時ならいざ知らず、幼稚とか若いとか幼いとか言われて傷つく訳でもなし。奇妙に「腑に落ちる」精神年齢測定結果ではあった。

ありがとうございました
M田朋玖



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