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■ 災害報告A | 2020. 7.31 |
7月4日水害より3週間が経過した。 復旧復興についてはあまり進展しているとは言えない。 何しろ人手不足が深刻だ。 当市のメッセージが以下の内容で巷間伝えられている。 @ボランティアはお断り A支援物資もお断り B義援金は下さい C県外のマスコミはお断り D人吉市は「終わり」発言(市長) E隣接被災地域との連携不足 @〜Cはコロナ対策だそうである。 D、Eは伝聞による。 これらの判断の正邪、善悪はともかく当地の人吉市民及び人吉市にとって必ずしも良いモノとは思えない。 むしろ悪いことの方が多い。 結果的に「後片付け」が遅々として進まない。 そもそも「コロナ」についての恐れはこの際「見当違い」と思える。 数字的に感染の可能性も蔓延も重症化も死者もその「率」は極めて低い。 これは当初(3〜4月頃)より述べていたことで今も全く変わらない。 職場でも親しい身内にも口説口説しく伝達していることで結果的に表面的には「コロナを恐れている人」はいない。 市の対応のマズさが顕現しており、特に「ボランティアや支援物資を断っている」ことは「痛い」。 同じく被災地である隣接自治体・球磨村をはじめ芦北町、八代市などではこれらの発言はない。 これも伝聞によるがボランティアの方々や自衛隊と協力して人吉市以外の地域の復旧復興は相当に「早い」と見ている。 水害に限らず自然災害時にボランティアやマスコミの報道は有難い。 それらのチカラを借りて「復興」していくのが通常の災害復興の正常な流れだ。 当市の批判になってしまうが罹災証明の遅れは前コラムでも指摘していたが仮設住宅や市営住宅の申込「受け付け」についても他の地域に後れをとっており、昨日(7/26)の市の広報車ではそれらの市民の不満を打ち消すつもりなのか「7月20日」から7月31日まで受け付けしますと何度も繰り返していた。 何かのマチガイであろうと耳を澄ましたが「20日」と言い切っている。 受付を過去にさかのぼるというのはどういうことだろうと疑問が浮かぶ。 他の地域の受け付けの早さに「追いつこう」となさっておられるのであろうか。 「恥の上塗り」にならなければ良いがと余計な心配をしている。 この際マスコミを大歓迎して日本中に「人吉」を知って貰うチャンスとするべきと思うがそれらの戦略もなく残念である。 「Go to Japan」のキャンペーンが国から発せられたばかりだ。 この風潮に乗っていち早く被災地としての資源の豊富さを利して「人吉市」を日本中にアピールできると思える。 たまさかに録画して観たBS映画、つかこうへいの名作「蒲田行進曲」ではヒロイン松坂慶子の相手役・平田満演じる大部屋俳優「ヤスさん」の故郷が「人吉」になっており、これはNHKの「思いやり」と思ったくらいかなと思ったくらいタイムリーであったのにそれらを「台無し」にしかねない「人吉市」の対応ぶりに思える。 何だかやたらに腹立たしいが人吉市民は全般的に元気が無く無力感とか自暴自棄、軽い絶望感が「空気」として町中に漂っている。 7月23日からの4日連休はオリンピック計画の「天祐」であった。 ボランティアの方々の活動受け入れ体制が整っていれば賑々しい復興の槌音が町中に響き渡り、クルマの往来が盛んで活気に満ちている筈であったのに不気味に「静まりかえっている」。 人々の声をチラチラと聞き及んでみると全体としてネガティブな類が多い。 幸いにして生き残った町や店舗でも相変わらず「コロナ」対策とやらで県外のお客さんを断っていると。 何ともはや。 元々人吉という町が閉鎖的・排他的・孤立的であったのかと悪い方にイメージをしてしまう。 ・・・というワケで全体的に暗鬱で停滞しているという印象だ。 人吉市の状態、今年の夏の土用は荒れている。 しかし一筋の光明は見える。 それは人々の心に宿る「希望」だ。 これを打ち砕くことは何人にもできない。 どんな外圧にも負けないのが「負けざる魂」。 クリント・イーストウッドの映画「インビクタス」の言葉の意味。モーガンフリーマン扮するノーベル平和賞の受賞者で、元南アフリカ共和国大統領ネルソンマンデラのそれ。30年近く獄中で耐えた人間の口から染み出す言葉には、格段の重みがある。 この監獄暮らしからすれば、はるかにマシと思えるのだが。被災者の暮らしも。 政府の援助、義援金など周囲の助けの手は、官民ともに多彩且つ分厚い。希望さえ捨てなければ、何事も「成る」もの。まずはネガティブにならないことが肝要。今こそポジティブシンキング。市民のそういう心の態度の割合と、力強いリーダーシップが「被災地人吉」に求められている。 「頑張り時」 ありがとうございました M田朋玖 |