コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 「本屋へ行こう」2020. 7.15

これは単純なスローガンであるが、個人的には人類にとって最後にして最大の情報強者に至る方法ではないかと考える。
全く冗談抜きで。

「情報弱者」という言葉がある。
これはテレビや新聞・週刊誌、メディアのニュースやSNSにばかり接していて「本を読まない人々」と個人的には捉えている。
結果として「そうなっている」ようであるから。

本屋へ行って本を読む、買うという行為はアタマの中で「賢人会議」を行うようなモノだと考えている。
そもそも膨大な知識や情報を持っている人は世間にはあまりおられない(少なくとも近隣には)ようなので必然的に「本屋」が頼りということになる。
基本的情報をテレビや新聞・雑誌などに置いているようではたちまちにして情弱(情報弱者)に「脱落」してしまう。
今後は総ての人類が「情弱」になり下がり、それらの集積や受発信は「AI」に取って代わると予測されている。
富裕層を含めあらゆる人々は小さな、そして断片的な情報のみで「世界」を観察し分析することしか出来ない。
早晩これらの事態が招来されると考えられている。
情報の量が膨大過ぎて人間の脳では処理できないという訳だ。
これらの考え方の中には情強(情報に強い)の考え方が世間的に強者・富者・支配層になり得るとの考えであるがこれは「そうとも言えない」という部分もある。

こと情報については「ビッグデータ」など無限数の情報を集積した「AI」(ロボット)に勝てる筈がないのだけれども、人間の脳や内臓の存在はそれらよりハイパーなコンピューター、例えば「世界一の称号を得た「富岳」というスーパーコンっピューターでさえも追いつけないらしい。独りの人間のスーパーな潜在的能力について言及していない。
勿論それですらコンピューター解析が絶対不可能というワケではなさそうであるが・・・。

これらの前提を考慮に入れても個人的には「人間の能力」というものをまだまだ小さく見積もっているのではないかと思える。
たとえば所謂「霊感・インスピレーション」という類である。
脳の機能は思考や感覚の受信、情報の受発信や集積だけではない。それらのコンピューターの持ち得ない機能や能力。「AI」の持てない能力をもっと磨くことが今後重要になってくると将来的に予測している。
ごく個人的に。

脳幹の一部は宇宙の無限の情報を受信できると考えられていると一部の学者が提唱している。これは「オカルト」とか「精神世界かぶれ」とか見下される気味があって科学的に論証はされてはいない。
けれども、或る種のインスピレーションによって生まれるとされる、世界的な音楽とか名画とかをAIが「創造」できるのであろうかと考えるのである。
無からの創造と霊的メッセージの受信という機能は、人間や自然界の神の創造物(鳥や魚などあらゆる生物や植物)の持っている偉大なチカラで、これらを人類が果たして簡単に「手放し」「捨てる」のであろうかと思うのだ。

この辺りの人工物と自然物の「働き」はキチンと、人間として厳正に峻別にしておきたい。
人間の社会が、一時的にこれまでそれぞれ信じてきた価値観を放棄しても、人間の心の底に潜む本心良心に何かしら深いところの霊性心・信仰心「のようなモノ」は失わず、逆に「真の人間性」に再回帰していくのではないだろうか。

第一次世界大戦後のヨーロッパと第二次世界大戦後の日本を襲った人間の価値観の喪失による「堕落」と「退廃」は瞬間的なモノで結局人間は集団として「マットウ」になっていくと信じている。
神の創造物の中で比較的に繊細で脆弱な肉体と、最も精緻な構造の人体や精神の「美」と「愛」とが、今後も引き続き世界を「善」と「真」で満たして行くという、とても楽観的に将来予測をしている。

人間の真善美を追求していくと姿や形はともかく「生き方」としてやはり世界中見まわした時にキッチリと具現化できるのは「日本人」なのではないか。
本屋に行って本を読めばこのことをよく知得できる。
本屋は情弱にならない為の最後の「砦」であり、読書は最もスピード感のある情報収集の手段である(キッパリ)。

ありがとうございました
M田朋玖



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