コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 水害2020. 7.11

7月3日の晩より降り続いた雨が翌4日の未明から午前10時頃に市内中心の東西に流れる一級河川球磨川の氾濫により人吉市街のメインストリートを中心に殆んどの家屋が水没した。
それは丁度一階部分の全てで、時に二階の床上まで浸水させた。
激しい大量の濁流は当市の殆んどの機能を麻痺させた。
所謂「被災地」となった。
S40年以来の大水害。
丁度55年ぶりとなっている。
当時を知る人によれば前回のそれより被害がより甚大であるとのこと。

翌日の7月4日の午後に晴れ間も見えたので独りで「街」を視察に出て見た。
ジーンズにスニーカー。長靴も手袋も勿論防災服でもない。
途中までスクーター。
市内の中心部は腰までの水かさで、救援用の自衛隊のゴムボートがゆっくりと巡回している。
殆んどの飲食店・ホテル・銀行・コンビニ・スーパーなど中心部のそれらは完全にその機能を喪失している。
特に飲食店とホテルはコロナ危機による「自粛」が解け再開してこれまでの賑わいを取り戻しつつあったので、関係者の落胆と絶望感は相当なモノであろうと容易に推察される。

「途方に暮れる」
「何から手を付けたらいいのか」

茫然自失と言った態であったが自衛隊の出動、周辺の県域よりの消防車などが素早く対応し、ボランティアも含め続々と集まっており「安心感」と「勇気」を貰える。
「助け合い」「互助」「清潔」「秩序」など日本人の倫理道徳の美風は自然災害の多発地・日本国の強みだ。
こういう時に強く発揮される。
皆さん出動された方々は慣れておられるようにお見受けした。
7月6日現在、被害の全貌が定かではないが鉄道を境にこれまた南北に分ける被害状態に格段の差があって南側(川のある側)と北側で明瞭に線引きされているように見える。
また市内を含め下流域(球磨村)に被害が集中している。
幸い当院と当関連施設は全て殆んど無傷で被害を免れている。
ありがたいことだ。
見事に「守られている」という実感がある。
何故なんだろう。
勿論、物理的に「川」から遠いという一面もあるが、それぞれの関連施設についても不思議に「川より遠い」という特長を持っている。

それにしても市を霊的に守るとされる施設、青井神社の水没は痛い。
これはコロナ騒動の影響でお祭りの中止やその参道から出て東西に真っ直ぐに伸びる、即ち球磨川に並行して、その「沿道」とも呼べる中心街のメインストリートに某医療機関(市内の大病院で近頃熊本市の医療機関に買収された)。その南北に通りを挟んで向かい合って立つ二つの病院を繋ぐ為の「渡り廊下」が、地元の反対を押し切って建設されてしまった。

この道路はお祭りの時の「御神輿」の通り道で神事的に極めてマズい。
即ち神様の通り道「天道」を塞ぐカタチになってしまったからだ。
また平成28年の熊本地震でも阿蘇市の「同系列」の神社の拝殿が崩落したことはまだ記憶に新しい。

これら一連の自然災害による霊的な守りを担う筈の「神の社」という大切な地域の中心的な存在の損壊は、何かしら人間の霊的行動についての過誤があったのではないかと余計な不安を抱いてしまう。
まず神事。
これは家などの建築なども通常は古式に則って厳粛に行われる類のシキタリだ。
これらの文化伝統・しきたりを怠ったり軽視したりするとロクなことがないというのが筆者の経験であり霊的な知識に基づいた見解である。何しろ今年は「コロナ」を言い訳にすべてのお祭り即ち「神事」が中止された。なのでまずは霊的な問題が、「ある」と見ている。

今回の出来事(水害)を色々な角度から分析するとさまざまな問題点が浮き彫りになる。

ダムは、当地の治水・治山、即ち農業用の水の確保である「利水」と「水害防止」の機能もあった筈である。
長年の懸案であった「川辺川ダム」は現在の蒲島熊本県知事により3年前に正式に中止が決定された。
その為か今回の水害についての同知事の歯切れがイマヒトツ良くない。
内心にいくらか忸怩たるモノがあるのかも知れない。
実際に球磨川の上流に作られた「市房ダム」の存在は人吉市の東部地域、より広大な上球磨、中球磨地域を守ったと述べる土木関係者もある。
ダムは今や自然破壊の象徴とされているが、毎年水害に襲われるナイル川の肥沃な下流域を守っているのは、アスワンハイダムであり、不夜城と化したラスベガスも、ダム建設による「電力」をアテにして開発建市された。

被災地に住む非被災の一医療機関の責任者として地域の人々や施設にはできる限りの援助と貢献をしたいと思っている。
これは当然のことだ。

「チャンスはピンチの顔をしてやって来る」
「苦難困難は飛躍のチャンス」

過去の賢人たちが繰り返し述べていることを今こそ胆に銘じて自らの使命を粛々と果たして行きたいものだ。
たゆまずひるまず。
「人間はいつでも試されている」
危機に際してのその人間のふるまいは平時より重要である。人間性が見事に露になるようだ。それは溜め息が出るほど顕著。やれやれ。

ありがとうございました
M田朋玖



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