コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 感謝のお言葉2020. 6.12

最近、最も感動した話。
ネットからの情報。
大東亜戦争終了後30年。
昭和50年頃、米国のフォード大統領の時代に昭和天皇のご訪米があったとのこと。
当時はまだ米国人は「パールハーバー(真珠湾攻撃)」を忘れておらず、貿易摩擦などもあり、必ずしも対日感情がよかったわけではなかったらしい。
そのような当時の背景の中、ホワイトハウスでの天皇陛下のスピーチには国民の関心が集まったらしい。
内容は以下のようなものであった。

「私はかねてより貴国を訪問し、貴国の皆さんにお伝えしたいことがありました。このことは長い間、私の願いでありました。・・・それは、戦後ドン底にあった我が国に温かい援助をいただいたことに御礼を申し上げることです。貴国のお陰で我が国は順調な経済発展を遂げ・・・国民と共に深く感謝している・・・このことをお伝えしたかったのです・・・」
という内容であったとのこと。
当時の米国国民はベトナム戦争での敗戦など自信を失っており、何かと他国に援助をしても何の御礼も言って貰えず益々国際的な問題に関わることに嫌気がさしていた頃で、お互いに戦場で、相まみえた敗戦国から御礼の言葉をもらうとは思ってもいなかったのでしょう。
自信を失っていた米国国民の心は深い感動でいっぱいになったそうである。

米国にとって戦争に勝ち、その国を占領し統治し後々御礼まで言われた国は日本国だけだそうである。
それ以外の占領政策は失敗つづき。感謝されたことなど一度もなかった。

1853年。
米国のペリー提督に率いられた「黒船」到来は、日本の開国の契機となった。
以来、170年近い「付き合い」。
戦っている時期の方がはるかに少ないことが良く分かる。

それにしても「恩に報いる」「御礼を述べる」など意外に出来ていないものだ。
大概「感謝しているつもり」「心の中で思っている」などと言ってお茶を濁している。

日本国は多くの国々に温かい無償の援助の手を差し伸べている。
そして「逆恨み」に遭うなどということが起こる。
勿論「報恩」とか「恩返し」とかをする国々もある。
たとえばトルコ。
エルトゥールル号事件。
日本近海で難破したトルコ船・エルトゥールル号の乗組員を無私の心で手篤く保護し、援助し本国へ無事に帰還させた。その後起こった中東危機では日本人救出のため飛行機を手配した。昔の恩を忘れていなかったのである。
また戦争中のユダヤ人救済、アジア諸国での占領地時代の恩。特に台湾の国民の恩義は根強い。殆ど耕作不能の土地をダム建設などで灌漑し実り豊かな農地にしたのは、日本人らしく銅像などもあり顕彰されているらしい。
先の東日本大震災の時には台湾から世界最高額の義援金が届けられた。その時点では民主党政権(左派で親中)、はたまた中国への配慮からあらためて御礼を述べることが出来なかった。
この後に立ち上がったのは一民間人。
台湾の新聞に御礼の広告を載せた奇特な人物(女性)がおられて(元々良かった)日台関係はますます親睦が深まっている。
これら国際関係における「無償の援助」と「御礼を述べる」「恩に報いる」ことの大切さを物語る逸話だ。

翻って私達個人の関係性も全く同様の事柄が多い。
「忘恩の徒」という者ども、は総じて後々「非道い目に遭う」・・・というのが天の道理。

先の昭和天皇の御言葉が日米両国の国民の心を如何に和ませ、癒やし、歓喜させたか分からない。
両国の国民の親密さは我が国の象徴であられる天皇様の感謝の言葉に依拠する・・・と言っても過言ではないかも知れない。
ついつい忘れがちな「御礼の言葉」。
「恩に報いる行動」と共に大切にしたい人間の良俗と思える。

「感謝の念」とそれに伴う行動、言動の無い人々や国々の零落ぶりは目を覆うばかりだ。
一時期の隆盛も必ず潰える。
これは恐らく天道、宇宙の法則に違いない。
また日本語の「ありがとう」には強大なチカラが宿っているとされ単なる
「サンキュー」や「謝々」や「スパシーバ」(ロシア語)、「ダンケシェーン」(ドイツ語)、グラッツィエ(イタリア語)、「グラシアス」(スペイン語)、「サラマッートゥ」(フィリピン)、「ナマステ」(インド)
などとくらべはるかに強大チカラを持っているそうだ。
とにかく大切にしたい言葉である。

ありがとうございました
M田朋玖



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