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■ 「尊」と「敬」 | 2020. 5.22 |
「人間同士のお互いの尊厳への敬意」 これは「愛」よりも大切かも知れない。 人間でなくても愛はある。 犬や猫を代表とするごく身近なペットを見ればこのことが分かる。 人間を人間たらしめるている大切な心理的要素はお互いの間に存する「敬」と「尊」いう二言に集約されるかも知れない。 ヒトは教育され躾けられて人になり「間」がついて人間となる。 この「間」は絶妙で微妙な言葉の意味を持っている。 つまり語り尽くせないくらい深い。 「人間−この未知なるモノ」を著したアレキシス・カレルは外科医でノーベル賞の受賞者である。 血管縫合や臓器移植についての研究で同賞を得た。 またこの著書「人間・・・」もベストセラーとなった。 若い時に読んだがそれ程の感銘を受けなかった。 その著書は医者という職業人の陥りやすい特徴を示している。 多くの医者達が信奉した「優生学」の基礎となる考え方が彼の人の著書に表出されている。 巨大化した組織や社会が犯罪者や精神や肉体の薄弱者を生み出すので、彼らの「過保護」をやめて優れた人間を社会で醸成しようじゃないかというアイデアが「優生学」である。 日常的に医者をやっているとそんな邪な考えが浮かびやすい。知らず知らずのうち。 何故なら人間にそれぞれ病名をつけるため血液検査他諸々の検査と共に心理テスト・知能テスト、警察用語で言うところの「人定」をする。 診断という呼称の「人物鑑定・区別・判別・差別」などまた「査・検・別・分・類・型・隔・離」等々。「普通」に「健康」に「正常」に暮らす人々からすると非常に曲々しい類の作業をするワケで、この職業のひとつの無意識の弊害を自然に生み出すように思える。 医者を真面目に仕事としている人間の無意識の大きな「陥穽」である。 ナチスドイツ時代の人体実験しかり、日本帝国陸軍の行った同実験しかり、これらの「悪行」には実に多くの「医者」が関わっている。 それもとても優秀な医者が。 ひとつには医者になったという事実をもってして自動的に「優れた人間」になったと勘違いする人間もいるのではないだろうか。 そういう側面もあるかも知れないが、そんなことはない。 一方で中国やロシアなどでは医者の身分や待遇が相対的に低く、このことが両国の医療の質を劣化させ、世界的に国民の健康状態を低水準のまま据え置かされていてこちらも問題。 いずれにしても職業柄、人間を種々の色眼鏡で見てしまう癖があり「優生学」にも喰いつきやすいという性質を備えやすいことは医者自身も周囲の人々も患者さんもシッカリと自覚しておきたい。 この職業に携わる全ての人々と同時に社会も、このことに注意を払うべきであると考えている。 昨今の「コロナ騒動」も医者を中心とした「専門家」に誘導されたメディアや為政者やさまざまの「関係者」が狂奔したコトはマチガイない。 感染者を「差別・区別」したり「自粛」しない人々を取り締まる「自警団」もどきができたり、行政も医療機関と一緒になって「隔離」などという人権無視の行動を平気で当然の如くする。 また、コロナ感染拡大予防のため「県を跨いで移動するな」と。これは上記した「差別」にあたるのに全く自覚がない。殆どの人々が黙って看過している。実に嘆かわしい事態だ。お互いを「尊ぶ敬う」のではなく、県外の人をまるでバイ菌のように見なすことを、奨励している。 これらの行動群は尋常な人間で教養のある日本人の行動とは思えない。 日本文化の根底にあるのは「敬」と「清」。 これらのうるわしい美質をもっと世界に向けて発信するべきであろうと思えるのにこの体たらく。 例え政府の公報だろうと、社会的に高く評価された人々の言動であっても決して妄信盲従してはナラナイ。 社会はアタマの良い人が自分達の都合の良いようにルールを作ってアタマの良くない・・・というか勉強をしなかった人々を操る・・・という悲しい構造・仕組みになっている。 そのことをよく理解し、この「社会」を生きることと思う。 ついつい陥りやすい自らのこの「職業病」を打ち負かすのは表題の二つの漢字と考えている。 全ての人々に平易に平等に区別、差別なく接するというのは意外に難しい。 「決めつけ」など通常は論外であるが、これも職業柄「キッパリ」と申し述べる必要も感じるので結構フクザツだ。 「中庸」この言葉は儒教の思想で教科書の名称でもあるが、とても洗練されている。人間の諸々の活動や思考方法やリーダーシップに大変参考になる。 「中庸は最高の徳」と言ってもピンと来ない人が多い。 中庸の人はこの「尊」と「敬」と「謙」を人との応接の基本にしている。勿論リーダーシップにも。 ありがとうございました M田朋玖 |