コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 三密2020. 5.12

コロナ終息後の世界は「大きく変わる」と多くの人が語っている。
特に超富裕者として知られる米国人投資家ウォーレン・バフェット氏は明瞭に述べておられるそうだ。

筆者の見解は違う。
「変わらない」と。
人間は元々「忘れっぽい」生き物だ。
特に辛い体験ほど忘れようとする自然の脳の作用がある。
「喉元過ぎればなんとやら」
人類の長い歴史をたどれば人間がいかに「懲りない」ということがよく分かる。
繰り返される「戦争」「独裁体制」への支配者たちの本能的志向、所謂「独裁者」の末路がいかに悲惨であるか歴史が如実に語っているにもかかわらず。
さて、コロナウイルス対策で各国政府が音頭をとって国民に指示したのが「三密」の状態を避けること。
人々の「密接」「密集」「密閉」を抑制。
「ソーシャルディスタンス(人間同士の距離、それは約2mほどであるらしい)」「マスク」「換気」「消毒」以外に集団行動や移動の制限。
これらがポストコロナでは常態化すると多くの人が述べておられるらしいが「それは無い」と考えている。
何故なら人間の自然な幸福感が「密閉」はともかく「密集」「密接」によって得られると思うからだ。
たとえば心理学の「交流分析」などでは「ありのままの自分を受け入れること」と同時に人との「親密性」の獲得という目標がある。
これは実際には人との密接・密集を恐れない。
それらの状態から一定の「快の感情」を得ることができることをめざしている。
人間は「愛し、愛されたい」生き物。
それらを言語的に得ることもできるが、真の意味の肉体的な「触れ合い」は愛の喜びの感得に欠かせないものなのだ。

世界中で行われている祭りや国家的祭典・各祝賀会・結婚式・葬式・パーティー・宴会・コンサートやカーニバル・フェスティバル、スポーツ施設における人々の熱狂を見るにつけ「人間の幸福」というものがいかなるものなのか理解することができる。

「愛=幸福」と感じるのが人間の自然な心の状態だ。
「愛の証」としての行動はさまざまであろうとも親子の愛・夫婦の愛には少なくとも一定期間の「濃厚接触」が欠かせない。
愛のある密度の高いふれあい(濃厚接触)が人々をして深い幸福感を感じせしめる。
子供にいたっては「それがない」とうまく生きて行くことすらできない。
「オンライン」や「ソーシャルディスタンス」では決して子供の教育やしつけはできず、夫婦の愛の確認もできない。
また他人との「集い合い」を原則とする仲間意識、たとえば会社員・軍人・警察官・公務員・飲食店、典型的には所謂接客業など物理的距離があり過ぎると成立しない。
また会議以外のコンサート・各種イベント・セミナー・研修会もその種類によってはその学習効果や成果を得にくいと思える。共同体帰属感覚或いは意識による深い喜びは、「ソーシャルディスタンス」「ソーシャルネットワーク」という類では得られない。

筆者は或る自己啓発セミナーに数年間参加して勉強したが、その内容は上記した「三密」そのもので「密閉」された空間と「密接」した人間関係、そして集団研修であるので「密集」そのものであった。

それらは初めて味わう「喜び」で文句なしに「楽しく」また「勉強」にもなった。

深い人生勉強・人間探求を短期間にしてしまった感もあり「至福の時間」でもあった。
或る意味、人間の幸福がカタチとして「三密」によって得られると言っても過言ではない。

これらの人間の自然で楽しい諸活動を制限されて人々は発狂寸前だ。
家族だけの集い、或いは夫婦などのカップルだけの深い交わり。
それらさえ得られないと人々はどうやって精神的エネルギーを得れば良いのか。
マザー・テレサは「孤独」こそ現代人の「重い病」と言っていた。
確かにそうだ。
誰にも必要とされず社会から脱落していく孤独。
仕事のある人はまだ良い。
個人と社会の通路であり、繋ぐツールである仕事は人間の精神にとってとても有益だ。

韓国や台湾でのコロナ対策に「IT技術」を導入して「感染者」を管理しているのを民放で放送していた。
これらの点では日本の医療は「遅れている」というワケである。
そういう管理システムは換言すれば「監視」だ。
個人としては物凄く嫌な気分。
コロナの「検査体制を強化する」という対策と共に患者の「IT化」による管理は為政者からすると便利だが、個人の人権やプライバシーの観点から望ましくないし、気色悪い。

現在休校になっている地域も多いがこれに乗じて「オンライン教育」導入が予定されているらしいがこれも「功罪」の罪が多い。
ネット監視を容易にするし、ネット環境に格差があって行き届かない。
また子供の教育上、対面での教育は絶対的に必要なもので「オンライン」などで子供を教育して貰うのは大反対。
これは学校不要論者の戯言だ。
その理由を書きつのるには紙面がないので後述するが「学校教育」の本質は前記した「三密」の条件を満たすべきなのだと思う。

教育システムのオンライン化には中国系企業「Z」があるらしいがこれよりも優れたセキュリティーを持つとされるマイクロソフト製の同アプリがあるそうだ。
これはもっと怪しい。

IT技術の進化が人間を幸福にするとは思えない。
何故なら、繰り返し述べているように「愛=幸福」と仮定したとする。「IT」による人間のコミュニケーションとアフリカや南米の奥地で暮らす原始部族の原初的なコミュニケーションと比べた時、どちらに多く幸福感が存するだろうかと考えるからである。
元々集団による共同生活や獲物の公平な分配、集団的な「子育て」などの彼ら(原始部族)のよろしき習俗は、現代文明に穢されて紛争の毎日だ。
テレビやスマホやパソコン、自動車や「お金」を手にして文明人のように紛争に明け暮れる。また「よろしからざる」情報を視聴して果たして幸福と言えるのだろうか。

もしかして全世界的な「IT化」がさらに進んだとすれば支配者層、或いはネット系の巨大企業は人間の集団支配、搾取がさらに簡単になる。

というわけでこの「流れ」の「シナリオ」を書いたのはマイクロソフトのビル・ゲイツかも知れない。以前からそう考えていたが少し明瞭になった気がする。
人類の「総IT化」。
TEDというスピーチ番組で同人が「感染症の大爆発」を予言していたらしく、それを実現化させたのはそう述べたご本人かその周辺の人々であろうと思われる。

ハリウッド映画で先行上映して人々の脳裏に刷り込みおもむろにウイルスをバラまき「騒動」を惹き起こし自分たちに都合の良いシステム導入を図る。
同人はAIDS基金の巨額出資者で感染症に詳しいユダヤ人。コンピューターに必要なOSwindowsを自分が開発者のように装ってIBMと超有利な契約を交わし巨額の富を得た世界一の長者。という訳でたいそう立派な人物とも言えまい。
とてもアタマの良い人間とは言える。
倫理的にはともかく。

ウイルスごときで人類が滅ぼされるのら神の導く「摂理」に違いない。仕方がない。けれども簡単に「人間らしさ」まで失うことはあるまい。「オンライン」とやらで。

ありがとうございました
M田朋玖



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