コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 平常心2020. 5.10

普段から保持しておくべき心構えが表題である。
世間の風潮やマスコミの情報を鵜呑みにして流されて右往左往、右顧左眄し「ウロタエル」のが一番良くない。

今こそ平常心を保ち自らの仕事を粛々と、淡々と全うすることだ。
便乗休業・便乗倒産(?)などをして本業を簡単に手離し世間の信用信頼を一気に落とす方々がおられるが、経済人や知識人から見ても「定見がない」人物と判断される可能性がある。
人間もそれほど愚かではないので、特に知的でない人もそういう存在(企業も個人も)を決して「信頼しない」「アテにならない」と判定する。結果「大損害」だと思える。

今の状況は「物情騒然」と呼ぶらしい。
それでも人々は少しずつ正気を取り戻しつつあるようで「コロナ報道」の内容もマトモな類が1割くらい散見されるようになった。
物事は深く学べば学ぶほど「恐れ」は無くなるもの。
マスコミのレベルとか「専門家」の話しも意外に浅薄だったりする。
素人がチョットかじったりする程度が最も病気や災害、事件を恐れる。
平常心を維持しておく「コツ」と言ったら「多長根」の方法で、物事や事態を「多面的」に「長期的」に「根本的」に考えることだ。
多面的とは字面の通り政治経済、健康、医療、教育、文化、衛生、外交、等々果てしなく多い「面」で考えること。
長期的とは即ち歴史。過去と未來をつなぐ現在の目先だけを見ずに時間軸を長くして見渡すこと。
根本的とは物事や出来事の本質を見抜く目を持つこと。誰でも出来る事だ。何も難しいことではない。そうしているとだんだん正気になってくる。即ち平常心を得る。
マスメディアの報道の仕方は「一面的」で「短期的」で「皮相的」な傾向が多い。とにかく「煽る」。
用心したい。

たとえばコロナウイルスの情報などいかにも悪質と思うのはたとえば報道の内容の途中にいきなり「60%」という数字を混ぜ込んでくる。
これは何の数字かというと、どこぞのコロナ専門の指定医療機関のベッドの「埋まった率」だったりする。
その他の数字を一切出さずに流す。
すると視聴者は「コロナ=60%」という風に「脳の無意識」に入れてしまう。
それで「ご自分のコロナウイルス」の感染率は何%くらいと考えられますか」と尋ねると思わず「60%」と明確に述べられたりする。
これは割と知的とされる若者、たとえば国立大学の大学生だったりとか医療関係者の人だったりするので唖然としてしまう。
またメディアの発表する感染率とか致死率はデタラメなことが多い。
これはネットで調べた数字を電卓を使って「自分で」計算してみると全く違う数字が出てくるし、この「率」については殆んど「動かない」ということが分かる。
感染者と死者の数が大きくなればなるほど「数字」が固定化してくる。これは当たり前。
いずれにしても普段から具体的に情報を集めて「多長根」の方法で自分で考えることをお勧めする。

現在世界中を覆っているこの「伝染病」は歴史的に見るとスペインカゼやペストに及ばず、それ程悲惨なレベルではない。
ただしこれまで中国を巨大工場或いは巨大市場とする現在のグローバリゼーションへの反省が世界的で湧き起こり、今までの経済活動の急減速は避けられずポストコロナの世界経済は「中国抜き」で展開していくかも知れないという予測もある。
同国を中心に構築されたこれまでのサプライチューンの不信頼から自国独自の生産体制が進み、世界の経済の「分業体制」、労働力や資源や生産品の「より安く」への流れがいくらか喰い止められ自国の産業構造・流通構造のリストラクチャリング(再構築)が進めばこれまでより安定するかも知れない。
経済成長はいったん大きく鈍化しても、大きな人類の歴史の流れから見れば歓迎すべき「事件」とも言える。ただ何らかの組織或いは人物らによる「企み」によって生じたとすれば対策や抵抗もシッカリと行っておきたい。
いずれにしても時間が来れば終わる。良きことも悪しきことも全て。そうした所謂「無常観」も平常心には欠かせない。

ありがとうございました
M田朋玖



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