コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 春心2020. 3.23

高速道路から見下ろす我が町人吉の夕暮れ、夜景は都会のきらびやかなソレとは異なり、まさしく「街の灯」。
盆地らしい山林と河川と月や星を抱いた群青の薄闇に包まれたオレンジ色の暖かく優し気な「家の光」。それらの集簇がうずくまるように川のほとりできらめいている。

春とは言え夜間は気温10℃を下まわっている。
それでも空気は爽やかで涼やかだ。
バイクで当てもなくスピードを味わう為に高速に入るが近頃は「道」に飽きてしまって同じコースを選べない。
フロントタイヤを交換して乗り心地がさらに向上し乗り易い。
車体が軽くなった感覚が得られる。
このままどこまでも走りつづけたいと思うが「仕事」への意欲「コンディション作り」への義務感がブレーキをかける。
或る意味良いことだ。
若い時のように「夜更かし」をして「夜遊び」をしてみたいと思うが、必然的に出来ずにいる。
仕事には万全の体調で臨みたいとの願望もある。
快適だから・・・。
しかし今は「夜遊び」には絶好のタイミングだ。
世間は新しいウイルス感染症への脅威からか人もクルマも春らしい華やぎや混雑がなくまばらだ。
夜遊びの中継地、夜のオアシスのコンビニエンスストアが開いている。
都会に出ればセルフのガソリンスタンも散在して便利だ。
好きな車やオートバイでコーヒーを飲みながら街路を「流す」だけで「春」を満喫できる。
こんな素晴らしく手頃な快楽があるだろうか。

66歳の楽しみ事としては多少異端とは思うが、思春期の少年のように大人の遊びごとの代表「夜の店」に出入りするワケでもなく、ただ「夜を走る」だけであるのにこれほど愉快な遊びは無いとつくづく思う。
特に飛ばすワケでもない。
バイクで「大人の自由」を「少年の心」で味わうなんて考えただけでも心躍るではないか。
春の宵と心地良い春の風とオートバイとコーヒーと水と少しのお金と健康な肉体とが人生の喜びを思う存分楽しませてくれる。

性欲という悩ましくも強烈な快楽への嗜好がいくらか落ち着きを見せ、楽しみ事が深い陶酔感覚ではなく精神の安定とが理由のない、やすらいだ「快」が脳を満たしている。
瞑想生活を再開したおかげだろうか。
毎日の節制された飲食とか信心とかいくらかの知識がこれらの喜びを抽出してくれるのか。
理由はどうあれ「よろしきこと」ではある。

「本当に楽しいことにはお金はかからない」

・・・と昔読んだ本にあった。
当時も今もその確信めいた「思い込み」が抜けない。
ただそれらを現実生活に照らし合わせると、この法則がかなりの確率で適用されるし応用できることもまた実感済み。

極端な例であるが
@10億円持っている寝たきりの高齢者と。
A無一文の心身共に健康で元気な青年と。
どちらが良いか。
どちらを選択するかで迷っている人はお金の魔力に負けてしまっている人に違いない。
年を取るとお金の必要の生じる場面が多くなり、為に高齢者が意外に金銭に貪欲になったりすることもあるらしい。
お金を稼ぐチカラ、即ち働くチカラが失われているからで、何もしなくても自動的に収入が得られるシステムを若い時から構築しておくことが肝要と「老後破産」についてのネットの情報にあった。
そんな才覚も器量もない人は自然に、無闇にお金に頼ることになってしまうようだ。
それらの現実的で細々しいことで悩んでいる人がかなりの数おられる。
まず「精神の安定」「心の状態」「日頃の心がけ」日常の些事・細事への取組み方がいかに大切か。
多くの人は今その現在の状態が「自ら招いたこと」であるとの自覚もなく殆んど環境依存的に「在る」ので「心」や「精神」と言っても俄かには理解できない。
それらは年寄りの単なる「説教」「精神論」と受け取られるので自分の直接の部下の人々以外にそういう話はしないようにしている。
勿論、聞かれたら答えるけれど・・・。

ありがとうございました
M田朋玖



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