コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 無題22020. 3.21

今春、子供が全員学校を卒業して社会人となった。
嬉しいことである。
ホッとしたかというと実のところそれ程でもない。
今の社会情勢、国際情勢を鑑みてあまり楽天的予測がつかないからだと思える。
どんな職業であれ。
昔のような人口の自然増、順調な経済成長も望めない。
あらゆる業種で衰退と縮小の兆しが見える。
今や人口過剰であった戦前の一時期のように海外に活路を見出すべきなのかと考える。
戦前とは違った意味で・・・。
「市場」や「販路」を求めて海外に踏み出すのは工業国家・商業国家の進むべき道か。
その成長の為に。
それにしても何かにつけ「昔が良かった」と感じるのは年のせいなのか。
父親は昭和初期、戦前生まれであったがそれでも「昔は良かった」と言っていた。
「世の中が良くなっている」という感覚は殆んどの人間が感じ取れないご時世のような気がするが「白書」などの数字をたどると我が国の治安、即ち犯罪、交通事故については年々改善が見られ、明らかに「良くなっている」。
コンビニやケータイやら便利にはなった。
それでも実感として感覚できないのは何故なんだろうと考える。

若者たちの気力・体力の衰え、愛国心や努力、頑張りについての否定的な見解・解釈など人心全体に漂うさまざまの法整備に伴う無力感、虚脱感、虚無感、規制強化のための息苦しさ、もっと言うなら軽い絶望感などがうっすら日本国を覆っているように見える。

歴史を紐解くと元々世情というモノはそう感覚されるものであるらしい。
大昔から「昔は良かった」という言葉が流通していたようだ。
共産主義から解放された東ヨーロッパ諸国やソ連邦から「晴れて」独立した国々ですらそうしたコトを口にする人々がいるらしい。
「昔は良かった」と。

「存在の耐えられない軽さ」というチェコスロバキア出身の作家ミラン・クンデラの大ヒット小説。
自由を求めた運動「プラハの春」を題材にしているが、自由を求めて自由圏に亡命した若く高名な外科医が共産圏である母国に帰って、それでも信念を曲げずに国家の強要書のサインを拒み医師の資格を失い田舎で妻と二人農業を営むという物語。
これは同業でもある筆者が観賞した当初、それほど共感しなかったが今はよく分かる。
亡命して自由を得て自然的に孤独となり母国を想い、帰国した妻を想い、傷心のウチに不自由そのものの母国に帰ってしまう・・・。
自由で享楽的な生活というモノは案外楽しくないモノなのかも知れない。
抑圧的で集団主義的で秘密警察に監視される社会、不自由で貧しい社会での生活にどんな「喜び」があるのだろうと考えた時に自らの少年時代の寮生活に思いを致す。
するとその共産主義的な団体生活が案外気楽であったことにも気づかされる。
それは自分で選択する余地が殆んどないからで、自然に「選択の自由」は内面に向かい「精神の自由」こそ誰にも奪えない素晴らしい境地であったことに気づかされる。
逆に考えると一見自由で楽しい筈の個人の精神は環境に左右されやすくなっている・・・ように見える。
物もお金も自由もないあの少年時代に戻りたいとは思わないが、さりとてそれらから解放されて人生を楽しくさせる物品や状態に囲まれて素晴らしい幸福感を味わっているかというとそうでもなく、仕事はともかく自分を縛りつけている筈の子供や教育費の負担など言わば「圧力」から解放されてしまって或る種の虚脱感が心に発生しているとも言える。

ある友人は仕事を辞め、自由に遊び呆けているがそれほど楽しそうでもない。
一方で自衛隊に入って厳しい訓練に入り、激しい鍛錬を受けた友人の顔は「ヘトヘトだ」という言葉とは裏腹に誰が見ても「美しい」という顔をしている。

察するところ「人間の美」というものは或る程度希望のある苦難・困難によって生じさせられるという法則も確認できる。
仕事を辞めてしまった友人の容姿の衰えがいかにも激しい。
その美と醜の落差には目を見張るばかりでこれらの事態は筆者を少しく困惑させている。
「人間はいつも糸に繋がれたタコである」
即ち糸に繋がれていないタコは上手に飛ばない。
各個人にとって「糸」はさまざまであろうが、究極的には「愛」であろうと思える。
最後まで自分をこの世で生かし、行動を奮励し制御している心は。
仕事愛、家族愛、人類愛、自己愛・・・。それぞれの愛を失うと人生は意外に脆い。

ありがとうございました
M田朋玖



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