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■ キャンセル | 2020. 2.28 |
我が愛車ハーレー・ダヴィッドソンとホンダVFR800には「ウインカーキャンセラー」が装着されているので便利だ。 交差点を曲がり終えると自動的にウインカーの点滅がキャンセルされる。 結構助かる。 さて「コロナショック」の為に世間ではキャンセルの嵐だ。 個人的にも殆んど全ての会合、集会、講演会が中止もしくは延期になった。 カレンダーの予定表がここ1ヶ月間殆んどバツ印で埋められ自由な時間が増えた。 この流れで卒業式も殆んど中止、或いは保護者の参席が禁じられたようだ。 この調子だと入学式もどうなるか分からない。 個人的には一生に一度の思い出。 いったいこの騒動が終息し平静に戻った人々が正気に戻った時にいったい誰が責任を執ってくれるのであろうか。 ホテル、飲食店、交通機関などさまざまの「集会」の場所と移動手段についてのキャンセルはされる側としては非常に「痛い」。 色々な計画や仕入れや人員の手配などさまざまの準備が一変で台無しになるワケだから。 それらの方面の企業やお店にとったら安易なキャンセルなどされたらたまったモノではない。 キャンセルする側というのはキャンセルされる側の事情、背景、苦労を鑑みないことが多い。 少しばかりのキャンセル料ではまかなえない事も少なくない。 そもそもキャンセル料の発生しない零細な店舗や飲食店では相当な「痛手」であると想像している。 その規模に準じて・・・。 当院のような小さなクリニックでも「キャンセル」は当然ある。 一番困るのは時間外に「何時ごろ来院します」と言って来られない場合だ。 スタッフと一緒に一定時間待機するワケで携帯電話のない時代はその潰れた時間(待機時間)を返してと言いたくなったものだ。 今は携帯電話さえ持って出れば近場の用事などその待機時間内で済ませられるので殆んど問題なくなった。 やはり業種業態でいうと飲食店が最も困ると想像される。 大量の仕入れをして料理をそろえたのに当日にキャンセルなどされると発狂するほど「怒り心頭」といった状態になるのではないか。 ドタンバキャンセルをドタキャンと呼ぶらしいがドタキャンが最も悪質だ。 待っている人、準備している人、期待している人を「裏切る」ことになる。 結果、人によっては二度と立ち上がれないほどの信用失墜を覚悟しなければならない。 自らを「ドタキャン王」と幾分自慢気に放言していたが、実に恥ずかしい「約束破り」の所作であり、お陰で信頼できる友人が出来ない。 「孤独が好き」「孤独で平気」というのも社会的には問題だ。 勿論、どうでもいい遊びの「付き合い」までこのキャンセルをした友人をそのキャンセルで親の仇のように責め立てる人もまたパッとしない人生をおくる。 「寛容の徳」が欠落しているからだ。 人間社会の調和において妥当性の高いキャンセルは明瞭に「許される」。 この高い妥当性を社会に提供しているのが目に見えない敵、新型ウイルス・コロナだ。 というよりそれを「ネタ」に騒動しまくっているマスコミと世間一般の人々の「反応」そのものだ。 歴史的に見て恐らく数年後に「何だったの」というレベルの微々たる「数字」しか出て来ない。 実に恥ずかしい結末を味わうことになると想像している。しかし誰もが誰かのせいにするので、二重に恥ずかしいのに、それとは自覚出来ない。 現在の人間の集団つまり情報加工操作社会の悲劇的側面をまざまざと見せつけられて、言い知れぬ恐怖を感じる。ウイルスそのものよりも。 ありがとうございました M田朋玖 |