コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 晴れ着2020. 2.13

世界のホンダの創業者でご存知、本田宗一郎氏は叙勲される時、天皇陛下に作業着で拝謁しようとしたとのこと。
或る意味、大変なご無礼、マナー違反とも言えるが本田氏はこれが「晴れ着」ですと堂々と述べたそうである。

日本人の文化習俗で「晴れ」と「褻(け)」という考え方があって、民族学者の柳田國男が認見し分類した。
『「晴れ(ハレ)」は儀礼や祭り、年中行事などの「非日常」、「褻(け)」は普段の生活である「日常」を表している。ハレとケは衣食住を画然と別にするという文化である』そうだ。
叙勲(ハレの場)で仕事着(ケの衣類)であろうとした本田宗一郎はこの考え方をブチ壊しているワケで、伝統を守る側からすると「破壊者」と言える暴挙である。
しかし一代で世界に冠たる会社を創業した人物は普通の人と違う。
絶対人マネしないというのが彼の人の信条であるそうそうなので矛盾はない。

ところでこの考え方は個人的に気に入っていて「仕事」を「日常」とか「普段」と捉えるのではなく、どちらかというと「晴れ(ハレ)」「表舞台」と考えている。
たとえば仕事が「役者さん」なら舞台に上るのは日常であり「晴れ」だ。
「晴れ舞台」などと言うではないか。

ディズニーランドの職員教育でも「仕事」を始める時に「Let‘s on the stage」「さあ、舞台に上がろう」だそうだ。
それぞれの「役」を舞台で演じましょうというワケである。
これらのことから宗一郎氏、及びディズニーランドの「仕事」への取組み方・考え方を窺える。
少なくとも両者にとって仕事というモノの重みや楽しさが普通の人とは違う。

仕事着が晴れ着の反対ではなく仕事着が晴れ着。
仕事は日常ではなく非日常。
そうなのだ、仕事は業種によるが創造的に精魂を込めて行えばそれは「ハレ」であり、修練であり、妙なる自己成長の「場」なのだ。
お祭りや宴会やセレモニー、式典が「晴れ」であるのは認めるとしても毎日の仕事も「ハレ」の称号を与えたい。
なにしろ多くの人は仕事によって生活の糧を得ていて子供の教育、娯楽、家賃、水道光熱費などすべての個人と家族の生活のコストをそこ(仕事)から確保しているのだ。
それを日常の「褻(け)」と呼ぶには少しく抵抗を感じる。
確かに日常「的」ではあるが・・・その頻度において。
「仕事は日常であって日常ではない」
ましてや個人の考える普段着でする類ではないと考えている。
少なくとも農作業や土木作業などの「汚れ仕事」でなければ・・・。
またそれらの仕事ですらそれなりにカッコウよくスタイリングすることは可能であろうと思える。
個人的にも宴会やパーティーなどのさまざまの祭式よりも仕事着で「オシャレ」をして仕事に臨んでいる。
自分の手持ちの服で最も気に入って、最も新しく高価な類を身につける。
決して高級品ではないけれど礼儀にかなうようにしているつもりだ。
これはクライアント(患者さん)の為だけでなくスタッフ、仕事仲間にも最高度のマナーと礼儀と服装で接するように。
フレンドリーとマナーの良さを混同してはイケナイ。
これらは時々誤解釈されて使用される。
「親しき中にも礼儀あり」だ。
それでまず挨拶、服装、態度、ふるまいを上品で美しい類にするようにすること。
「晴れ着」を着て。
これは自分の仕事のスタイルで、ここ数年間過ごしている。
決して普段着などではない。
たとえばジーンズ、ジャージなどの体操着、イージーでカジュアルな服装をチョイスしないように。
これは仕事へのモチベーションを高めると同時に仕事の質を良化すると考えている。
何故なら相手(クライアントおよびスタッフ)など仕事に関わる周囲の全ての人々を大切にしているというメッセージになる。
同時に仕事についてのプライドの表現をしていると考えているから。
服装(ファッション)は自己表現のエッセンスだ。
人間だけが衣類を選択し「着る」ことができる。
それを最大限生かすのに遠慮はいらない。
大昔「衣」は高位身分者だけのモノであった。
これほど身近になったことはとても有難く嬉しいことだ。

ありがとうございました
M田朋玖



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