コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ モタセル2019.12.17

知人からの伝聞であるが当地でも有数の企業の社長さんの話である。
この方は熊本市内のとあるパーティーで卒然と脳出血を発症し急逝された。
地元では名士であられるので当然多くの人の知るところとなった。
その前年に同人は「インプラント」で自分の歯を植え替えたそうである。
1200万円以上かけて・・・。
歯と脳の関係については色々と研究されていて特に前歯、奥歯を問わず物理的に脳に「近接」していることもあって、その「密接な関係」についてはまだ未知の部分もあるようだ。
ここではその因果関係について語ろうというワケではない。
ご承知のように人間だけでなくあらゆる生物はどんなにあらがっても生きていれば「老い」と「死」からは逃れられない。
早晩必ずその機能とカタチを失うということである。
前記した歯についてもよりよき機能とカタチ(美)を求めて人工物に取り替えたのであろうけれど、究極的には「一時しのぎ」であるのだ。
それがどんな完璧な機能とカタチを備えていても・・・。

筆者の思想の根底には常にこのことがあって、医者の仕事は天から授かった生命の正しい流れ・・・自然と呼んでも良い・・・に逆らわず一生涯をなんとかかんとか「モタセル」
それも快適に。

この考え方からすると医学治療上出来る限り自然に近いカタチで・・・少なくとも考え方として施用するべきと思える。
「人生を快適に、愉快に楽しくする」お手伝いをするのがあらゆる仕事の本質で「医療」はその大切なパートを預かっていると考えている。
人生における健康の大切さについては多く語るべくもない。
それで話を戻すが人間の全ての臓器は移植などで強引に取り替えたり、人工的に作った機器を入れ込んだり、はたまた遺伝子工学なる高度な科学技術を使ってその「モタセ方」の選択肢を増やせても形あるものの「必滅」という「宇宙の法則」を誰もがその心身に蔵している。
あるいは「宿命」として持っているワケで、これらの絶対法則から逃れることはできない。

「自然のままにモタセル」という考え方に基づくとすべての医療行為は極言すると「延命」であり、生きる苦痛を少しでも柔らげようとする「慰労」、「慰撫」にとどまるべきではないかと思うのだ。

インスリン投与とか人工透析(腎臓)とか各種移植医療とか先進医療がいくら進んでも「人間の必滅」という法則に基づけばやはり「モタセル」という思想感覚が「適当」「適切」ではないか。
「ナオス」も良いけれど「モタセル」ための援助、助言、提案も立派な治療・医療と考えるのだ。

余談となるが筆者の前歯は夏のツーリングの時に突然折れて今「仮歯」である。
通常の治療計画ならば2本抜歯してブリッジか義歯かインプラントにすべきと思われるが個人的には66歳という年齢を考慮しても今のところ何も困っていないので、よしんば「仮歯」のまま「モタセラレナイ」かと都合の良い計画を立てている。
元々一度脱臼して抜けた歯が何とか20数年「モッタ」ワケであるから今後10年や20年「モツ」のではないかと勝手に楽天的妄想をしている。
とにかく人生を楽しく生きていければ良いのだ。
わざわざインプラントなどする人の気が知れない。
「容姿」が商売道具で大切な資源である芸能人、俳優や歌手ならイザ知らず・・・。我々凡俗のしかも高齢者が全歯インプラントでもあるまい。気持ちは理解できるが。

ありがとうございました
M田朋玖



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