コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 誕生日騒動2019.12. 5

12月3日は66歳の誕生日だった。
子供の頃から自分のB.D.を祝ってもらうという習慣が無かったのに年を重ねる毎にその日が重くなっていき、今やそのお祝いのないことが「事件」になってしまった。

親や子供のそれらのメッセージの無さについては慣れてしまったが、親しき人々、即ち職場、仕事や個人的な付き合いのある人達のその欠落が心理的に大きな「打撃」となっていることにあらためて気付き、いつもの「心穏やか」が失われて大ショックである。
「そんなことくらい」であった誕生日が重大な一日になってしまって「心も重い」
心底とても戸惑っている。
実際に騒動にもなった。とりあえず大事には至らなかったのは、その人物の即断即決と勇気ある行動で、殊更に「運」と「器量」をあらためて感得した。なるほど「ピンチはチャンス」なのだと。

お祝いと言ったって物やプレゼントなどは勿論ありがたいが最もイヤな感じはソレを「忘れられること」。
個人的には過去に付き合った女性の生年月日と両親や子供、兄弟と前妻と現妻などの誕生日はソラでスラスラとアタマから出てくる。
即ち忘れたことは一度もない。
それが他の人がそれらを記憶していないこと、憶える気もない・・・ということに改めて驚きを感じるのである。

自分の感覚や価値観を人に押し付けることはできないが、自分にとって重要な人物の生年月日くらい憶えておいた方が「身の為だ」と思える。
それで仕事上重要な人々と言ったらスタッフと患者さんということになって
ダイアリーに誕生日を数年間にわたって書き込んでいたら毎日誰かの誕生日になってしまって・・・たとえば3月3日など30人くらいに・・・なってしまってやめてしまった。
「毎日が誕生日」
それもおびただしい数の人の誕生日になってしまったのだ。
ビジネスの戦略として誕生日にメッセージ・・・ハガキとか封書でソレを贈るということをしている会社があるが、これも「アザトイ」
貰っても感激しない。
それでも無いよりは良い。

親しい人でこれを忘れると「絶縁」を覚悟しなければならないくらい・・・と個人的には思う。
それほど「大切な日」。
この一年に一回の誕生日をビジネスチャンスと捉えて毎年物を贈ってくれた製薬メーカー大手の営業マン・・・今はMR(メディカルレプゼンタティブと呼称するらしい・・・)がいて、この人物は順調に出世しておられる。
「本社に呼ばれた」という噂もある。

人間の活動の中心はやはり「心」なのである。
誰もが「自己尊厳欲求」や「自尊心」を持っている。
それでそれを大事にしてくれる人を重視、重用するという特質を持っている。
これらに惑わされて混乱するのもまた人間。
これらの事柄をよく諒解して人間関係能力を高め上手に調整すればビジネスも家庭も、はたまたプライベートの付き合いも一気に様相を変えて素晴らしきモノになる可能性がある。

それらのコツをひとつだけ、イヤ2つだけ述べさせていただくと、これまで繰り返し述べているように
@「与える」こと
A魅生与滅求−その人間の魅力は「与える」ことによって生じ、求めることによって滅すという意味。
誕生日というのは年1回の「与えるチャンス」なのだ。
それを忘れることの損失も極めて甚大。
このことをよく記憶しておくことである。
誕生日を忘れることは時に「大失態」となり得る。
自らの心の有様をしみじみと観察するとそのような結論を導き出させる。
特にステークホルダー、受益者にとっては・・・。
ヤレヤレ、メンドクサイあるネ。

PS:男女関係においてはコトによると「別れる」口実にされる。オソロしい。
とにかく「心」次第というのは大問題なのだ。双方にとって。
再度クワバラクワバラ。自戒自戒。

ありがとうございました
M田朋王久



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