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■ 喫煙者の論理 | 2019.12. 4 |
先進国を中心にタバコについてのネガティブキャンペーンと喫煙場所の制限圧力が起こっていて多くの喫煙者を追い詰めている。 タバコの値段も上昇したがヨーロッパのイギリスほどではない。 当院でも喫煙場所を別途に増設しなければならず経費的、制度的に「圧力」になっているのがここ最近の社会全体の流れだ。 「隠れてタバコを喫う」という行為には心おきなくどこでも喫えた時代より「美味しく」感じる。 タバコを喫っていると少年時代を回想してしまう。 高校3年。 即ち17歳ごろより喫っていて、大学時代には1日40本くらい喫っていて本を読んでいる時にタバコが欲しくなりワザワザ自販機に買いに行ったほどそれに依存していた。 月末にお金が無くなり食事代もままならない時もクルマにガソリンを少し入れてタバコも数えながら喫ったものだ。 昔から飲食に興味が無かったようでキャベツの玉1ケと水道水だけで3〜4日過ごしたこともある。 優先順位は勉強、クルマ、タバコの順で食事は入って来ない。 学生時代から晩酌をする輩がいたが、これらには強い違和感を覚えたものだ。 「オジさん臭い」 寿司屋のカウンターでビールや日本酒を飲みながら食事するというのには学生時代にお金がなくてできなかったが今でもそれは滅多にしない。 タバコも喫ったり止めたりしているが、最近の喫煙者苛めには少しく反感を感じる。 そもそも喫煙というのは自傷行為だ。 アルコールも危険な遊びも激しいスポーツもワーカホリックも・・・人間は長生きしたい欲求と同時に死にたいという欲求も併持しているようで、人間の行動のいくつかは「死に急いでいる」ように見える。 その代表で最もポピュラーな類が喫煙と思える。 自傷的、自虐的行為も医者の何人かは多くの医学者に「洗脳」されて放射性物質とか麻薬とかと同等の危険度と論っている。 大気汚染とか自動車の排気ガスと同等以上というワケである。 確かにそうなのだが・・・。 酒やタバコは嗜好品であると同時にひとつの文化であり、ファッションである。 生きることに倦んだ人々、死にかけている人々、人生を捨てた人々にとっては素晴らしく安易な「生き甲斐」であるのだ。 そのことを諒解しないまま社会や世間がいくらタバコの害をかしましく述べ立てても喫煙者の言い訳、論理と真逆の思想を持っている人々がお互いに分かり合える筈がない。 共産主義と資本主義と似ている。 根本の思想哲学がちがう。 そういう意味では喫煙者の方に哲学的な香りを感じる。 特に非喫煙者の・・・たとえば受動喫煙による健康被害を被った人々については気の毒と思うが・・・。 ジャンポール-サルトルの言葉。 「タバコは知性と品格のシンボルである。」 そういう時代だった。 ありがとうございました M田朋王久 |