コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 偉大な知性2019.11. 8

たまたまNHK−BS放送で2人の著名人のドキュメント番組を観た。
その人物とは2018年に「病死」したスティーブン・ホーキング博士と1961年に「自死」したノーベル賞作家アーネスト・ヘミングウェイ。

それぞれ76歳、61歳の「死」であるから現代では決して長命とは言えない。
ただし後者は自殺であるので本来どのくらいの生命を天与されていたか不明。
自殺も大きく捉えると自然死と同じかもしれない。
そう考えると寿命、生命力についてはホーキング氏の完勝となる。

活動分野は異なるが、2つの「偉大な知性」を結果として一言で分けると「希望」と「絶望」となる。
生涯「男らしさ」と「強さ」を追い求めたヘミングウェイも降って湧いたような災い・・・飛行機事故に遭遇。
頭蓋骨骨折、脊椎損傷、内臓破裂などの重傷を負ったらしい。
完治ではないものの一見したところ歩けること、会話することには障害を残さなかったように見える。
それでも作家として「書けなくなった」「言葉がアタマに浮かばない」ことに絶望し、所有していた散弾銃で自殺した。

一方、世界的な理論物理学者ホーキング氏。
アインシュタインの相対性理論の「間違い」を正確に指摘できるほどの知性と頭脳の持ち主。
宇宙や物理学を一般の人にも理解できるよう平易に説明する能力にも長けておられ、この点でも同人を世界中に知らしめ「人気」を博している。
決して権威的でもなく自然なユーモリスト・タレントとしてエンターテインメント能力にもその才を有しておられるとのことだ。

また特筆すべきは、その「闘病生活」
1963年21歳時にALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病に罹患し余命数年と宣告された。
それでも敢えて「結婚」・・・病気を承知のうえでしてくれる女性がいて、そのお陰もあってか・・・愛は全てを癒やす・・・病気の進行が止まり数年間同じ状態がつづいたが呼吸筋まで病勢が及び人工呼吸器で生命を長らえることができたものの必然的に声を失い会話ができなくなってしまった。

幸い米国の研究者によって音声変換合成装置を無償で与えられ研究や講演活動を続けることが可能になった。
あの独特の「ホーキング博士の声」の登場だ。
しかし病塊は静かに、着実に同氏の身体を蝕んで行き、晩年には瞼を僅かに動かせる程度まで進行した。
しかし活動意欲は少しも衰えず講演や研究をつづけていた。
凄まじい「意志」の人だ。
それも「超」のつく極めて強靭な意志。
何しろこれ程の難病を持ちながら、2度の結婚と1男1女をもうけておられる。大した男である。
一見堂々たる体躯のヘミングウェイ氏が虚弱に思える。
中国古典にもあるように、「柔弱は強剛に勝る」の典型例をこれらのお二方に見ることができる。

ホーキング氏の宇宙論は科学至上主義に基づいており、神とか創造者の作為を完全に否定している。
これは筆者の少しも得心しない考え方で、存在論的に神もしくは神に酷似する存在を持ち出さないとこの宇宙・人間の存在を説明できないと考えている。
「何故」という問いかけに対してあくまで科学者という立場で回答しようとした姿勢には敬服させられるが科学という学問はどうも世界の現象の「How(どのように)」についての疑問に対しては解答できても、「Why(何故)」の問いには弱い気がする。

いくらか無神論者的な立場を堅持しつづけた同氏の不運な難病罹患もこれらの「言い分」と「立場」によったかも知れず、その無邪気さと人類愛によって76歳の長寿(その病の割には)を与えられたのではないかと推論する。
これらの運・不運という考え方にも断固として否定的な考えを通し、或る意味、天晴れと思うが一度これらの点について議論してみたかった・・・と考えることがある。
それだけの情熱(科学信仰)についての思いは残念ながら届かず、そういう事柄は実現しなかったが・・・。

「偉大な知性」と言うと多くの人は難解なことを難解に説明する人を想像するようであるが、ホーキング氏やその他の偉人も述べていることは常に平易で解りやすい。
また同氏の場合、極めて難解とされる宇宙物理学・理論物理学を一般の人にも解りやすく現した書「ホーキング、宇宙のすべてを語る」は世界中で1000万部、日本で100万部も売れたそうである。
日本人が10%を占めるというのは誇らしく感じる。
科学的好奇心の旺盛な人が多いという点で。

皮肉なことに人間の「強さ」をその生涯のテーマとして追い求めたヘミングウェイが自殺し、若い時から「病弱」だったホーキング氏が自殺もせず天寿を全うしたという事実が興味深い。
また前者がノーベル賞の受賞者であり、後者が意外なことにそれを受賞しておらずそれ以外の殆んどの賞を受賞しているという事実は奇妙である
昔から天文学者は宗教家、音楽家、画家などとともに長寿を得ると言われている。
どうも自然と哲学は人間の寿命を延ばすようだ。
一方、所謂作家は短命者が多い。
・・・というより両極端だ。
どこかしら人間のドロドロとした欲望と感情に基づいた「現実」を書くことで心身の変調を来たすのではないか。
実のところ「偉大な知性」と呼ばれる人々には長命であって欲しいと思う。
何故ならそれらの「知」によって人間の幸福を実現することがひとつの使命ではないかと考えるからである。

P・F・ドラッカーとかJ・K・ガルブレイスとかからの経済学の知者が長命であったことを思慮しなくても、経営と経済については長命で健康という要素がその活動に必要欠くべからず・・・の一大要件と考えられる。
短命は経済的損失よりもはるかにその個人の知性の価値や意味を減じていると考える。

五体満足で元気な人が平凡かつ苦しみながら生きているのは、贅沢というより、それ「五体満足」を味わう知性の問題かも知れない。
素晴らしい「財産」五体満足も有難いと感じるか「知る」知性がなければ無価値と同じだ。
多くの人はちょっとした不調や懸念で簡単に「心が折れた」などとフザケタことをおっしゃる。
筆者も含めて。多くの人。実に嘆かわしい。
前記したお二方からそういうことを学べる。

ありがとうございました
M田朋王久



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