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■ パーフェクトバイク | 2019. 9.23 |
ハーレーダヴィッドソンXL883以外のオートバイを9月中にすべて買い替えた。 基本的に新車を中古に替えたので金額で「お釣り」が出たくらいであるが他の借金返済に消えてしまった。 ローンは残ったがカタチで差し引き0となったわけである。 新車→中古車であるけれど、勿論満足度はほぼ100%でランクダウンしたワケでもない。 自分としてはパーフェクトなバイクチョイスと確信している。現時点では。 馴染みのホンダの専売店ホンダドリーム霧島で新しく手に入れたバイクは「白い」CBR250Rに「白い」VFR800。 どちらも低速からの鼓動感と振動が何とも言えず素晴らしい。 CBRについては黒のソレを持っていたがレブル250を買う為に一度手放し買い「直した」ワケだ。 ETCやグリップヒーターも装着されていてボディーカラーも「パールホワイト」。 かつての黒より「カワイク」見える。 黒色のそれはいくらか武骨でクルマとは逆に仕事用のバイクの外観。 サイズも感覚的には「白」に変えて2倍くらいデカくなった印象だ。 デザインの良さも際立っている。 所謂ホンダのトリコロールカラーの白系。赤や青色の部分が狭くサラッとした爽やかなインプレッション。 ややクリームがかった「白」には微かな高級感もある。 色も走りもデザインも250ccクラスでは最も「シックリ」くる。 ベストチョイスと思える。 またCBR650を買い替えたVFR800はまさに「秀逸」とか「白眉」という言葉を冠せられるほど素晴らしい。 こちらは青みがかった純白で紛れもないホンダカラー。 外観は「白バイ」だ。 実際に女性の隊員には現在でも使用されているらしく極めて運転しやすい。 軽い前傾のライポジも無理がなく足着きも抜群に良いので信号待ちなどで足をベタっとつけて「フラツキ」もなく全身のチカラを抜くことができゆっくりくつろぐことができる。 その上、素晴らしいエンジンの鼓動感。 「ドルル・・・」と言ったジェントルな音はV型エンジンならでは。 心地良く乗り手の脳を刺激する。 白バイ隊員もこんなに乗りやすく良いバイクに乗っているのだと想像すると嬉しくなってくる。 ただし絶対的なパワーは不足気味。今のスーパーSS(1000cc以上)には追い着かない。 カワサキH2などには完全に「置いて行かれる」ほどスピードは出ない。 とは言え、これも安心材料でスピードの出るバイクもさんざん乗り継いで来て何回もオソロシイ思いをして来たのでMax120km程度の巡航速度は高速道路でも安心感を生む。 重量が240kgあるが低い車体と走行安定感と「足着き」のお陰か相対的にバイクを軽く感じる。 これは「色」による感覚もあって「黒は重く、白は軽い」と感じるのが普通の人間の普通の感覚だ。 とにかく長く乗れそうなバイク2台だがどうなるのかワカラナイ。 我ながらバイクについては強烈に「倦きっぽい」 それでもハーレーとCBR250とVFR800の共通点として「鼓動感」と「振動」で、停まっている時も走っている時も退屈するということがない。 これらのバイクたちの与えてくれる「音と振動」は独特の喜びをライダーにもたらしてくれる。 またいずれのバイクも「速くない」というのが何よりも嬉しい。 「恐怖感からの解放」がめでたく実現した感じがする。 勿論オートバイであるから或る程度の恐怖感は残るものの強烈というほどではない。 白いバイク、黄色いバイクといずれも明色で重苦しくないのが良い。 今ではカワサキの緑色に懐かしさを覚えるくらいに「違和感」を感じる。 ここ2~3日は台風17号の影響で荒れ模様の天気だ。 しばらくオートバイはおあずけ。 クルマを楽しむ。 これも得意。 コーヒーを飲んだり音楽を聞いたり後部座席に寝転んで仮眠を取ったりと自由自在の使用感はオートバイをはるかに凌いでいる。 クルマで出かけてクルマで遊ぶ・・・これも素晴らしい楽しみをくれる。 特に雨の日は。 傘も要らず暑くも寒くもない安全な環境とその移動能力には稀有のものがある。 道路さえあれば基本的にどこだって行けるのだ。 特にレクサス600hのオーディオ環境は下手な「家」のそれらより優れている。 サウンドシステムはドライバー用に設定すれば「サラウンド」感がたまらなく、良い音を出してくれる。 それらを聴きながら都会や田舎や山道を走っていると世界の中で自分だけ特別な喜びを特別に味わっているという「錯覚」まで抱いてしまう。 パーフェクトカーなのだ。 現時点ではスーパーカーだとか高級外車などをわざわざ買って乗ろうとは思わない。 クルマにはそこまで望んでいない。そもそもレクサスは高級車だ。いくら古びていても。 オートバイにも圧倒的なスピードや加速を求めていないのけれど、どこかしら奇妙な完璧主義が心の内にあって悩ましい。「自己不全感」。ソロソロ終わりにしたい。オートバイの買い換え趣味。 表題の言葉がおのれの「自己不全感」の犠牲者、即ち「売られたバイクたち」の鎮魂に、いささかでもなれば幸いだ。 いやいや、自分よりは大切に乗ってくれる筈なので、「幸せなバイクたち」とも言える。実に悩ましい。いずれにしても。 ありがとうございました M田朋王久 |