コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 11年2019. 9.18

11年前の11月下旬にある人を突然に亡くしてしまった。
それは心の深い傷(トラウマ)となって今でも強い悲しみの感情を心に湧き上がらせる。
それでもその年月が少しずつ、確実に心を癒やしてくれているようで、瞬間的に発狂しそうになることは少なくなった。
「喪失の痛み」についての「時間」の作用は思ったより確実であるようだ。
平成20年当時、その経験を味わった時にいくつかのルールを自分に課したことを思い出す。
@酒を飲まないこと
A自殺しないこと
Bお墓参り(その人の)をすること

これらが自分を救ってくれたように思う。
飲酒は悲しみや怒りの感情を増幅させ、行動が荒乱してロクなことはない。
脳へのダメージもある。
「自殺」については故人も喜ばないだろうと自分勝手に考えたワケである。
正直に書くと「自分のせいで死んでしまった」とか「何とか自分のチカラで死を防げたのではないか」という後悔の念が強くあって、他の人から「アナタが殺した」と言われても当時も今も強く抗弁できない自分がいる。
「俺が殺した」のだという念いは今でも心に鮮明にあって、勿論自分が実際に「手をかけた」訳ではないが、そういう風に悲劇的な死に至る過程で自分の行動や言葉が「死」を後押ししたのではないかという実感が今でも心の底に重く居座っているのだ。

それは自責というより「深い愛」の実感で、不思議なことに「自分に殺された」ことが彼女の本望ではなかったのかという確信に近い「思い込み」もあって11年という年月を経てその「考え」が尚更しっかりと心に根付いてしまっているのである。

「愛する人を殺す」という物語は映画や小説、文学の世界では数多くある。
それは「愛の永遠性」を深化させ不動のモノにするチカラガあるように見える。
それで自分も死ねば「愛の完成」ということになるのであろうが、どうしてもその「愛の物語」を何らかのカタチにして知らしめる要があって、その「語り部」として自分が「生かされている」のではないかとも考えるのである。
その素晴らしく純粋で献身的な愛の物語を涙なしに思い出し、書きつづることはできない。

その心の絆は誰にも上手に表現できないし、言葉にできない。
こうして筆を走らせていてもどこか嘘臭い。
世間的な男女の愛のカタチ、それは普通の結婚とか恋愛とか情事とか「好いた惚れた」のレベルではなく純粋な愛、即ち「純愛」と呼べるモノで、いくらか神々しく高尚なものなのだ。

これらは人に説明しても普通伝わらないが同様の経験をした人に時々分かってもらえることがある。

42歳の最愛の娘を失ったご両親や実兄・実姉のとても善良で頭の良い立派な親族の方々に支えられて死後の11年を何とか生きて来たのだ。
それもこれも彼女の「無垢の魂」の為せる技と思える。

夜にクルマの運転をしていると助手席や後部座席にその存在をありありと感じることがあって悲しみと共に或る種の温かい心持ちにさせてくれる。
平成8年の4月に初めて出逢った時に受けた衝撃的な嬉しさ、喜びはとても強烈なモノで今でもそれを鮮明に想い出すことができる。
それは早22年前。
筆者の43歳の春だ。
今想えばまるで若造でまだまだチンピラ風情の酒飲み、子供も就学前と生まれたての嬰児とで家内は心理的には少しも落ち着きのない団欒のある世界。
個人的には最も苦手な心理環境であった。
それは「家族」という重荷を下ろしたワケではなく、チョットした逃亡であった筈であった。
多少言い訳染みているが・・・。
それから逃れ出て過ごした11年間はどちらかというとおだやかで静かな暮らし。

それらの思い出が、それらへの郷愁が時々チクチクと心を突き刺し、喜びとも悲しみともつかない不思議な心持ちにさせる。
人生が時間だとすればそれらのどんなに愛に満ちた「黄金のひととき」も夢のようにはかなく過ぎ去る宿命にある。
その終焉は早いか晩いかのどちらかでしかない。
あらためて気付かされる重い真理だ。

人生は「出逢いと別れ」で構成されている。
そうして最終的結末は「別れ」だ。
そのことをしっかりと整理してアタマに刻んでおくと毎日の出逢い、めぐり逢いがとても愛おしいものに思えてくる。
どんな出逢いも別れの悲しみを「事前」に「確実」に含んでいるのだ。

「さようなら、こんにちは」だ。
逆かも知れない。

来生たかおの大ヒット曲「夢の途中」の歌詞。
♪さよならは別れの言葉じゃなくて♪
ふたたび出逢うまでの遠い約束♪

近頃は「再会できる」と理由のない確信を抱くようになった。
そして彼女のことを思い出すと、悲しみと共に「生きる勇気」を貰えるのだ。
彼女の持つ天真爛漫に明るく、いくらか大胆不敵な生き方が、そして「与えつづけた人生」が悲しみとともに強い自信をくれるのだ。
今では彼女との出逢いで最も深く感銘し、受け取れた感情が「自信」であったような気がしている。
それは全てにわたっていて「ありのまま」「すべて丸事」しっかりと何の見返りも求めずに愛してくれた最初の人であったと思うのだ。

いつの日か彼女の42年の物語を書いてみたい。
それはいくらか平凡でありながら人々に生きる勇気と自信を与えてくれそうな気がする。

ありがとうございました
M田朋玖



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