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■ コントラスト | 2019. 9. 7 |
トンネルを抜けると雨だった。 人吉インターから北に向けて走ると隣市の八代インターまでトンネルが23ケも潜ることになる。 そのおかげで小雨くらいだと楽に感じる。 天気予報で「悪天候」を報じていたが、迷わず高速のゲイトをくぐった。 市内で晴れていたのに人吉−八代の中間地点で雨が降り出し、八代市に入ると本降りになった。 暗い雨雲が銀色の輝きを放つ美しい雨粒を、まるで打ち上げ花火ように、ヘルメットをパチパチと叩き、メッシュのバイクジャケットとジーンズをビッショリと濡らした。 ヤレヤレ。 八代インターを降りてUターン。 目的地の映画館は次回にお預けだ。 人吉に帰り着くと嘘のように路面が乾いている。 晩夏の濃密な空気が街に充満して蒸し暑い。 愛車のホンダレブル250も走行500kmを超えた。 短気筒エンジンは快調でパラパラという心地良い破裂音を放ちながらやや太目で径の小さく重いタイヤが走行に安定感をくれる。 スピードが出ない、軽い、などハーレーダヴィッドソンより随分と取り回しが楽だ。 心理的「怖い」がないので小型〜中型のバイクはありがたい。 1000cc以上の大型バイクのあの夢のような加速感、スピードの伸びはバイクを逆立ちさせても体験できないけれども、この「楽しさ」は軽バイクの本領。 とにかく楽しくてしょうがない。 最高速120kmは安心感。 200km超、中には300km超のモンスターバイク(1000cc以上)が今の日本の道路事情にそぐわない・・・と今は思える。 勿論「加速感」「スピード」「スリル」など「快」のレベル、質が異なるので何とも言えないが今はとても満足している。 最高速200kmチョイのホンダCBR650Rですらオソロシイと感じ、その恐怖感から最近はソレにあまりまたがらせない。 ひょっとすると大型バイクから降りるかも知れない。 それは鈍足のハーレー883で充分見たいな感覚である。 令和元年9月は台風の到来が頻繁のようだ。 それで秋の天候不順は毎年ながら爽やかな「秋晴れの日々」はしばらく先だろう。 悪天候もモノともせずに走れるのも軽バイクの安心感のひとつだ。 「スリップ」の恐怖をあまり感じない。 何しろ飛ばせない、スピードの出ないバイク。 45歳で取得した大型二輪免許も今はハーレー乗りの為だけと思える。 あとは皆国産の「軽バイク」になりそうな勢い。 「東本昌平」氏のカラフルで美しいオートバイ漫画は、多くのバイク乗り達に勇気と元気を与えてくれる。 ハーレーも登場するがスクーターは出て来ない。 種々雑多なオートバイが「主演者」として登場し、短いけれど中身のある「人間のドラマ」が完了。その物語にはいつも心癒やされ慰められる。 男と女、親子、友達、ライバル、警察、白バイまでが登場する色彩豊かな美しい「絵本」。気の利いたセリフが愉快さを情感を盛り上げる。 それぞれのカットがイラストのような美しさ。 物語を追わなくても充分楽しませてくれる。 バイク乗りの聖書と言えるかも知れない。 「RIDEX」シリーズ。 全巻ネットで購入して毎日テレビも見ずに読みふけっている。 それにバイクカタログ2019年版。 春に買ったこの一冊はボロボロだ。 毎日持ち歩いて眺めている。まるで子供だ。 それにしても見栄やハッタリを度外視して本当に楽しいモノ、楽しいコトに特化して生きているとこんなに人生が楽しいものなのかと思う。 ただ息をしている、ただ歩く、ただ何かを読む、話す、書くだけでひとつひとつに「喜び」を感じる。 それらが少年時代の「夢」であり、オートバイを自分で稼いだお金で買って自由に夜でも昼でも乗りまわせるというのはなんて幸せなのだろうと思う。 ついでにクルマも。 クルマの与える喜びも素晴らしい。 動く応接室、動く寝室、動く書斎、動く映画館、動くコンサートホール・・・。 雨露寒さをしのげてこんなに素晴らしく楽しい道具があるだろうか。 それに見栄で高級車に乗る気もなくなった。 そういうものにもできるだけお金をかけない方が楽しみが深まる気がする。 そうして雨の日にもオートバイに乗れるという発見は大きい。 レインウェアを着てさえいればこの中秋の暖かさ。 何のことはない、チョットばかり濡れるだけだ。 それでも夕方になって早くオートバイに乗りたい・・・とは思わない。 仕事もそれ以上に好きだからだ。 それらの喜びも「女」には敵わない。 実在する女性である必要はない。 ビデオや雑誌や本に登場する「女」には心をとろかす「チカラ」があって、生まれてこのかたこの力に抗し切れたという実感がない 「女性」とは不思議な人間の「種」だ。 筆者にとって永遠の謎。 謎は謎のままにしていて欲しい。 男女が同質化するなど興醒めする。 イスラム教徒の男女差別にも意味があるのかも。 「性」の意識を高める為には「差異」「区別」が要るもので、男女の間の落差ほど性的興奮をそそるものはない。 「コントラスト」は「性」「エロス」そのものだ・・・という個人の感覚がある。 それはオートバイに乗る「喜び」と共通している。 「日常」と「非日常」の落差。こんなことに命をかけることもあるまいに。現代の邦画に匂う微かな「死」と同様にオートバイには、甘いエロス、生と死のコントラストが秘められていて筆者を魅了してやまない。 病者がいて、健常者がいて、若者がいて、老者がいて、父がいて、母がいて、男がいて、女がいる。 この対極性は生と死の落差ほどに、対比、対極、差異、違い、多様性、二極性は充分に物事を楽しみと捉えるひとつのコツであると思える。 雨があって晴れがあって曇天がある。 これがもし年中晴れ、年中雨なんてとてもツマラナイ。 落差。これがギリギリの安全圏で繰り広げられるときスリル、即ち「生」の喜びを感じとるのだ。 個人的にそれらを「コントラスト」と勝手に呼称して楽しんでいる。 ありがとうございました M田朋王久 |