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■ 煽り運転 | 2019. 8.30 |
今年の夏、これがメディアで話題になった。 この事件に先立つ数年程前より同類の事件が頻発し、中には死亡者まで出すほどの悪質な例もあったようだ。 煽り運転そのものは大昔からあって、それぞれのドライバーがそれなりに対応していて近頃のようにメディアで話題をさらうほどではなかった。 最近は「煽り運転」そのものが悪質であるというより、その「後」の行動が異様に暴力的で問題となっていて、結果的にリッパな犯罪事件に発展している・・・というのが事の本質であるようだ。 例えば、追いかけまわす、前に出て急ブレーキ。 果ては相手の車を停めて「暴行致傷」などハッキリ言って交通犯罪と言うより「暴力犯」 一時的な怒りの感情や衝動に駆られた「狂人」の悪質な所業。 純然たる犯罪者のソレだ。 それらの一連の事件報道によってあらためて生じた「煽り運転」という言葉と行為。 ドライブレコーダーという運転と道路監視機器の普及が同時に進行していて皮肉な現象。 即ち証拠収集に困らないという側面と「煽り運転」の「抑止」と「模倣」とかが併せて起こっているところが人間心理の不思議なところだ。 ただし少しく好影響もあって、最近は追い越し禁止の2車線の国道をのろのろ走るクルマが減り、すぐに道を譲ってくれたり高速道路でも追い越し車線をゆっくり走っている車が少し減少しているように思える。 それでも田舎の高速道路や広い直線の国道では「煽り」「煽られ」が頻発しているようだ。 最近は警察(パトカー)もノロノロ運転に注意を呼び掛けているようで、高速の追い越し車線をゆっくり走行する車のドライバーには停車させて、もしくは拡声器で走行車線に戻るように指導していると聞く。 いずれにしても交通マナーについては自動車教習と同時に、義務としてあらためて教育教習するべきではないかと考えている。 安易な警笛(クラクション)使用、パッシング(前照灯の点滅)、不用心なドライバーへの注意・指導など喧嘩や争いの元は控えて「御礼」や「謝意」の合図、会釈、手振りなど一般社会における基本的なマナーと同様のソレ。絶えずその価値を検証しながら実際の運転を正調で美しいものにするべきと思える。 「運転マナー教習」なんていうのを警察交通課などの肝入りで時々開催したり、テレビでのAC(日本広告機構)などで流したりしたらと思うのだけれど今のところそのような動きは見られない。 筆者の場合でもノロノロ運転にはイライラさせられる。 勿論、煽ったりはしないが50km制限を40kmで走っている若者などには特に。 高齢者や初心者ドライバーの場合はそれほど感じない。 また「流れ」に乗らず微妙に遅いクルマ、渋滞道路で車間距離を無意味に空けている迷惑ドライバーなど、とにかく調和を乱す運転車にイラつくことがある。 飛ばしているクルマにはそういう感情は湧かない。 後ろから迫って来たら素早く道を譲ればコト足りるからだ。 クルマの運転における一般自動車道路ほど空気を読む、相手の気持ちを慮るなど、人間のコミュニケーション能力を発揮する運転者の「社交の場」なのではないだろうか。 そこに和やかな会話や飲食はないかも知れない。 それでも温かな笑顔のやりとり、御礼の合図、譲り合いなど美しいマナーの応酬はひそやかで、ささやかながらいくらでも好意や敬意の表出ができる。 そう決心すれば。 クルマの運転は穏やかな気分と平和な心、思いやり、親切心などの良心で行うべきだ。 個人的には自分の運転ぶりを荒い方と考えている。それでも、できるだけ他車の迷惑にならないように気は使っている。 たとえば、 1)高速道は走行車線を走る(ゆっくりの時)。 2)流れに乗る運転で飛ばしているクルマが後から迫って来たら迷わずに譲る。 3)道路上の駐車はできるだけしない。したとしても超短時間。 とにかく周囲への配慮と運転センスは常に学ぶ、磨くということをして「美しい」運転を心がけるように心がけている。 最近の若者たちはクルマそのものやクルマの運転に興味・関心が薄く、人とのコミュニケーションも苦手と聞く。 果たしてそうだろうか。 交通事故の報道の仕方、処罰の重さによって必要以上に恐怖を社会全体で「煽っている」せいではないのか。 若い人達に運転技術の稚拙でセンスの無い人が多くなっているように見える。 結果的に何となく、何も考えずにボーっと運転しているドライバーも多いようだ。 トラック、バス、タクシーなど職業ドライバーですらそれ(運転)を好まない、苦手などと公言する方もおられて、逆にまたそれらの運転車と所謂ウィークエンドドライバー、素人臭いヘタなドライバーとが混在する「公共財」である道路上では余程マナーと運転技術については、それなりの緊張と習熟と洗練を要する。 メディアや一般大衆庶民はすぐに法制化、厳罰化などと言い立てるが短絡的だ。 警察の対応の方がより優れている。 「煽られやすいクルマ」に注意を喚起しているくらいに。 この煽り事件についても煽られている側の特性や「罪」も検証するべきと思える。 「調和が取れていない」 「流れに乗っていない」 道路における集団行動(同じ道を同じ方向に走っている者共としての)をかき乱していなかったかどうかなど・・・。 マスコミ特有の一方的な非難・・・それは加害者のみに向けられる・・・一辺倒では問題の真の意味での解決になるまい。 芸能人・著名人のセクハラスキャンダル、他の醜聞の本質も何がしかの「ハニートラップ」だとか悪質な「ツツモタセ」とかではないのか・・・。 いつも「コトの真相」は表面(おもてづら)と違って時々真反対だったりする。 加害者が被害者で被害者が加害者で・・・なんてザラのような気がする。 こと煽り運転についても「煽られたクルマ」の動きがどんなものだったかを知りたい。 その時点での道路状況など。 事件モノのノンフィクションなど数多く読み込むと加害者が被害者に見える事例も数多く見受ける。 ありがとうございました M田朋王久 |