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■ 楽しいこと | 2019. 7.26 |
「何か楽しいことありますか?」 この問いに「格別ありません」とか「ない」とか即答されるのを聞いて内心ビックリしてしまう。 人間の脳は何らかの快楽がないと「生きよう」としないらしい。 つまり「死んでしまう」ということだ。 人生に「楽しいことがない」なんて俄かには信じ難いが、そういう人を仕事柄数多くお見かけする。 残念なことだ。 人間は視覚・聴覚・嗅覚・触覚・振動覚など少なくともV(Visual・視覚)、A(Audience・聴覚)、T(Touchsense・触覚)があってこれらの感覚は捉え方によっては快楽抽出装置だ。 視覚は自然界の美、海・山・空・星・朝日・夕日など素晴らしさを感得できる。 とりわけ筆者は男であるので女性の美についてはこれを楽しむのに現代ほど豊穣なヴィジュアル時代はない。 スマートフォンには画素数の巨値によって素晴らしい映像を心おきなく次々と味わうことができる。 わざわざDVDとかを買う必要もないほどだ。 盲目の人、視覚障害があるワケでもないのに視覚による楽しみ事を味わえないなんて世の中の自然(神の創造物)やそれを模擬したあらゆる芸術が泣いてしまう。 聴覚 これも凄い。 音楽という神の天恵のような素晴らしい芸術や雨音(盲目の音楽人・宮城道雄の最も愛した音)や雷鳴や小鳥の鳴く声、秋の虫の声など素晴らしい「音」に囲まれ生きているのに何らかの心の病や悩みごとの為にそれらが「耳に入らない」即ちそれから楽しみを得られないというのはとても残念なことであるに違いない。 触覚 この説明をし出すと単なる「エロ話」になってしまいそうだが妙齢の女性の「柔肌」については何とも名状し難い素晴らしさがあって言葉に出来ない。 これらの事柄を楽しめない・・・その感覚器官が健常であるにもかかわらず・・・というのは大変不幸なことに違いない。 愛する人との軽い抱擁にしたってそれができるというのは実に素晴らしいことであるのだ。 また入眠時には必ず「楽しいこと」以外に脳裏に浮かべないように意識して努めているが、この時にも悩み事、心配事、気懸かりな事を寝具の中に持ち込んで悶々としているのを日常的になさっている人の話を聞くと何とオソロシイことをと深く慨嘆するワケであるがこれらのことに注意を払う人もまた少ない。 深夜にNHKのニュースを観たりその他の胸クソの悪くなるようなドキュメントやドラマや物語などを観たりしてベッドに眠るものだからこれらが脳をひどく傷めつける可能性があることはよく知っておきたい。 不注意にもそれらの行動をしてしまったならまたキッチリ起き出して灯りを点けてとりあえず正気に戻り、テレビや心地良くなるビデオや心を落ち着かせる音楽などに切り替えてあらためて心を穏やかにするモノ、ウキウキ、ワクワクするようなイメージや妄想を心の中に描きながら瞑目し入眠に入るべきである。 さもないと現実に不運不幸、体調不良が起こってしまうことは必定である。 くれぐれも用心しておきたい事柄である。 「楽しいことが無い」という状態は急いで治療するべきであるが或る程度は自分の強い意志をもって人生や日常生活に「楽しい」ことを見つける努力・工夫はするべきと思える。 繰り返し述べて来たように人間は自然にしていて考え事をする・・・そしてそれは心配事、悩み事などネガティブなことが多い。 また不安や心配の為に緊張をする。 それをポジティブにしてリラックスに変えるのは人間の理性的な決意や意図によるものなのだ。 是非とも明瞭明確に意識してプラス思考とリラックスを習慣として身につけ、楽しい事柄を求めつづけるべきと思える。 仕事や勉強などにこれを見つけると人生は素晴らしく幸せで素敵なものになる・・・筈なのだが・・・。 ありがとうございました M田朋王久 |