[戻る] |
■ 「1173」 | 2019. 7.15 |
どうしてこんな事態に立ち入ったかを自問してみると興味深い真理と心理が見えて来た。 令和元年6月12日に納入されたハーレーダビッドソンXL883はスポーツスターFamilyだそうである。 書店の雑誌にも「スポスタ愛」なんてのがあるくらい人気の定番車種のようである。 少しこの出会いついて小さな物語として書いてみたい。 平成31年春。 鹿児島の学会のついでに生まれて初めてレンタルバイクというものを借りて乗ってみた。 ホンダCBR400. 深紅のソレは2気筒でボロボロと実に頼りない音と馬力。 まるで玩具であった。 当時はYAMAHA FJR1300という無駄に重いバイク(300kg近く)を所有して乗っていたので、現在生産されている400ccのレベルがあまりにも貧弱で、それならということで思い切ってカワサキニンジャH2という世界最速のモンスターマシンを注文して乗ってみたワケであるが、これは個人的には「大失敗」であった。 「疲れるバイク」「重いバイク」 それでもう一度熊本市内にあるレンタルバイク・・・それはホンダCBR400とカワサキニンジャ400と・・・試しに乗り比べてみたらホンダの方が見栄えはショボいのに「乗りやすさ」が格段に違う。 カワサキは重くて取りまわしが悪く走らない。 一方ホンダは軽快そのもの。 楽しい。 それに味をしめて近所の見知ったバイク屋さんに行く同じくホンダのCBR250がさり気なく置いてあった。 チョット試乗してみるとこれが250ccながら凄く良い。 単気筒で低回転でのトルク感と「バルル〜」と音も極めて良いフィーリングの音と感触。 それで即買いしたらナンバープレートに「11-73」とある。 良い波が来た・・・と感じた。 それでグレードupしてCBR650Rという今年3月に新発売のオートバイが霧島のホンダ店に在庫してあってその赤色をこれまた衝動買いした。 それでも旧知のカワサキ乗りからの勧めもあり、カワサキZ900RSというレンタルバイクを求めて同じ店に(レンタル店はハーレーダビッドソンを扱っている)に行ったら系列店の他の店に行くしかそのRSが無いという。 それで仕方なく気紛れに全く「乗るつもりの無かった」試乗車のハーレースポーツスター883cc、1200cc、750ccと3台を乗り比べたら883ccだけが何かしら特別な体験で、運転していて物凄く愉快。 その上、前にクルマがいようとトラックがいようと「追い越したくない」と思わせるほどオートバイが乗り手を「急かさない」 原付のスクーターにさえ左側を追い越されるがまったく気にならない。 こののびのびとしたゆったり感、解放感はいったい何・・・と思わせるほど楽しい体験。 念の為1週間の間を置いてもう一度試乗させてもらうと、これはもう「一目惚れ」という有様。 以来夢中過ぎて毎日ハーレーに乗らないと気が済まない重い「ハーレー病」になってしまった。 ただ「ハーレー」に乗っているというと他のバイク乗りから気のせいか少し「嫌そうな」目を向けられる。 バイク同士の「手振り挨拶」もグッと少なくなる。 少し孤独になるハーレー乗り達の仲間にも入れない(その集団が苦手で・・・)。 ハーレー以外のバイク乗りからも少し距離を置かれた。 益々ソロツーリングが増える。 ハーレーにはLEDライトとグリップヒーターを装着してあり「夜」も寒くなく、明るく尚更に心楽しい。 クルマが少ない時には山合の川沿い道を「月」と一緒に一人オートバイを走らせている。 それはまさに至福のひととき。 何と素晴らしい世界か・・・なんて心持ちになる。 空が、川が、学校が、ガソリンスタンドが、コンビニが、星が、月が、雲が益々身近で親しさを増して感じる。 人工物と自然という愛の世界がこちらに飛び込んで来る。 そんなオートバイだ。 「絶対飛ばさなくて良い」 勿論アクセルを捻ってもスピードは出ない。 そして重い・・・それらが素晴らしい安心感をくれる。 今までのバイクライフはスピードとスリルと恐怖。 それがハーレーのお陰で一転、ゆったりのんびりおおらか。 オートバイの楽しさだけを抽出してエキスにして楽しんでいる態である。 「この独特の乗り心地」で運転していると、味わう喜びでは「自動車の免許を取って初めて運転している感覚」「生まれて初めてオートバイに乗った感激」がずっと続いている感覚と言えばよいだろうか。 6月12日よりずっとそんな調子なので1カ月が経ってもこの感触がつづいているというのには嬉しい驚きだ。 とっくに飽きている頃だからである。 それにしても偏見というのはオソロシイものである。 「じゃがいも」を常食にしている人種に「米」のおいしさをいくら説いてもジャガイモ以外「下の下だ」・・・のような「食わず嫌い」がありはしなかったか・・・ハーレーに対して。 今はあらためて断定できる。 自身がお米のおいしさを知らない「じゃがいも食い」であったことを。 オートバイは筆者にとって新しい趣味の世界ではない。けれどもこだわりの強い人が多いのがこの「遊び」。 今さらながら「何だっていいじゃん、楽しければ」「誰だっていいじゃん、幸せならば」。 こんな風な展開も精神的、時間的、経済的な「ゆとり」のなせる技で、何よりも「精神的な壁」を勝手につくるのは、こと趣味・遊びに限らずビジネス・商売・仕事・人生などすべてにわたって言えることではないのか・・・とあらためて考えている。 常に自由な発想で好奇心のままに素直に流れていると良いことばかりが起きる気がする。 「こだわり」の人々への或る種の同情を感じながら自分の楽しさの世界がさらに拡がっていく予感がして嬉しい。 これに従って少しずつ付き合いも変化していく予感もあって一時的に「孤独」も味わうかも知れないが人生も遊びも「自由」こそ本質であり王道と考えている。孤独という過程も心の中では何の矛盾もない。 それにしてもCBR「1173」良い波から始まったこの思いがけない展開はひどく心をウキウキさせている。 「1173」CBR250も「自然」に売りに出された。 また新しいバイクの購入が起こるかもしれない。 やれやれ。 クルマと異なりバイクは「財」になる。この発見によりその売り買いが、盛んになっている。その価格の手頃さと相まって。 ありがとうございました M田朋玖 |