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■ 歩くな! | 2019. 5.22 |
またまた痛ましい交通事故の報。 保育園の園児が自動車の迷走迷動によって何と歩道上で犠牲になったらしい。 「子供に道路を歩かせる」なんて危険極まりないと思えるのに未だに通園・通学、果ては散歩、しばらく前に流行ったナイトウォーキングなど「歩くこと」「歩かせることが大人にも子供にも世間で強く勧奨されている。 イミワカラン。 元々「道路」は危険なところだ。 横断歩道とか安全地帯(何かの皮肉かと思える言葉だ)とかの呼称があるけれど、少しも安全な場所ではない。 縁石のある歩道上ですらそうであるのに人々の歩行者としての危機感が無さすぎる・・・と個人的にはいつも思う。 以前にも愚コラム(歩行者)で書いたので重複を恐れずに書きつのれば、まず「道路」はすべて「危険地帯」と見なすべきだ。 日本のように広場とか公園とかの設備の少ない国では特に「道路」について注意を払う必要がある。 何しろクルマとかトラック・オートバイ・自転車などの凶器と考えられていない「凶器」を持った人が道路上にいて、中には発狂した人、病気持ちの人、認知機能の低下した高齢者、無免許運転者などどんな人が「道路」をその凶器を走らせているかワカラナイ。 またドロボー、ヒッタクリ、悪質な客引き、人さらい(北朝鮮も含め)、幼児性愛者など数え上げたらキリがないくらい「信用できない人」が密在しているのだ。 多くの善良優良な人に混じって・・・。 またそれらの人ですら人間であるのでマチガイを起こす、ミスをすることが「あり得る」のである。 それらの道路環境を鑑みても幼い子供を集団で「歩かせる」なんてアリエヘン。 先日も地元の保育園の園児を何と昼休み前の午前中に激しくクルマの行き交う「歩道のない」道路を20人くらい連れだって歩かせておられた。 考えられん。 勿論一連の事故のニュースの後は実行されなくなったと想像するが実態は不明だ。 話しは変わるが糖尿病と知ってその治療法をすぐ「運動」と反射的に思考して「歩く」ということを懸命になさっている方をお見かけするが糖尿病や肥満の治療に運動は全く関係ない。 ・・・というかよろしくない。 「減量」というくらいで食事の量を調整する、減らすことでコト足りるし効果はテキメンである(勿論減らし方に工夫を要するが)。 これは多くの内科系、外科系のドクターを問わず世間一般に全くステレオタイプのアイデアとしてアタマにあられるようで何かの病気、不具合を得るとすぐに「運動不足」を原因と治療法として考えられる。 困ったものだ。 「運動」で糖尿病や肥満を治療しようとするとかなりの時間と気力と体力とエネルギーを要する。 極めて非効率な治療法(?)なのである。 こういう理屈の信奉者がおられて成人した男女、老若も一生懸命「道路」を歩いておられる。 まったく笑えない「お笑い」である。 まさに生命がけの所作であることに考えが及ばないのであろうか。 筆者は道路を殆んど歩かない。 もし歩くならば公園かグラウンドを歩く。 もしくは家のベランダ(これが結構良い。片道30〜45mある)。 油断して道路を「歩く」などということはない。 ほんのチョットの距離でも夜はタクシーに乗る。 ホンノ数百円で自分の肉体と生命を守ることができるなら安いモノだ。 大学時代の親しい友人は酔っ払って道路を歩き側溝に転落して顔面に酷い後遺症を残す怪我を負った。 マブタを閉じることができず、夜眠る時にはガーゼを眼帯につけて眠る必要があり、絶えず点眼薬をその視力の劣った眼球に頻繁に供給しなければならなくなった。 一生。 本当に気の毒だ。 またバスケの仲間の銀行員だった男も同様に酔って側溝に落ち・・・これは深さがほんの1mくらいであったので・・・怪我には至らず事なきを得た。 この時は筆者と同歩していたので落ちる時も手で支えたりしてバスケの仲間の他の一人・・・巨漢185cm90kg・・・と一緒にそのオゾマシイ暗穴から救い上げたものだ。 またまた研修医の時代に明晰な頭脳を持った東大出の美しい女医さんは新婚ホヤホヤの時に地下鉄を降りて横断歩道を渡過中にトラックに轢かれて意識不明の重体に瀕し間も無く他界した。 そのドクターの実父は脳死状態の愛娘の延命装置を取ハズす決心がつかず半年余りをその病床で過ごしたらしい。 また近々では、お寿司屋さんの店先から酔っ払ってヨロヨロと出たところを運悪くクルマが通りかかり、この中老の女性も今は殆ど「寝たきり」だそうである。 そんな自分なら発狂しそうなほど痛ましい事故を色々と伝聞したので道路についての「歩行者」としての立場にクルマやオートバイと同等以上の慎重さをいつも堅持している。 また歩行することで得られると信じられている健康上の益については全く期待していない。 従って歩くことなど個人的には差し控えている。 色々な意味でアブナイから・・・。 それより体操や筋トレ、ストレッチの方がはるかに健康に良いと思われる。 有酸素にしろ、無酸素にしろ、効果が確実に肉体に現出してオモシロイ。 キモチがイイ。 こういう視点から先述した歩行者事故についてはドライバーの側の問題、法規の問題だけを議論しているのは少し見当違いではないかと思える。 もっと歩行者保護の立場にマジメに立てば通学通園はスクールバス、キンダーバスとなるのではないだろうか。 バスという大袈裟に言うと護送車で目的地へ移動させるという方法である。 大人は歩行者に道路についてまず「危険」という認識をしていただくことだ。 道路イコール危険となればそこに出る時にはとりあえず用心深くなるであろうし、心の準備をするであろうし、油断しないであろうと思える。 ・・・とは言え日本の今の文化では道路のことを「通り」と称しているし、元々ヨーロッパのように広場文化がない為に「通り」がその役割を果たして来たという歴史もあって未だに街頭演説というとやはり道路上である。 それだけソレについての安易な心の姿勢が窺える文化であるのだ。 道路についての脅威とか恐怖感というものをいくら醸成しても何の問題もないと思えるが、これらについてはいつまで経っても人々の意識はクルマや運転者に向けられる。 少し遠望するだけで人間が全然成長していないと思える。 生活文化的にこれら一連の事件事故は人々に対する警鐘なのではないだろうか。 「子供を道路で歩かせるなんて言語道断」という神様の警告だと筆者は考えている。 ありがとうございました M田朋玖 |