コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 二輪車三昧2019. 4.24

カワサキH2を友人に無事譲り渡してから250ccのスクーターを購入した。
カワサキH2の見た目の美しさ、スピード、その秀逸な存在感は捨て難いモノであったが「所有する」ことに独特の苦痛があって、またそれに跨ることがあまり多くない・・・その取り回しの悪さ、重さによって・・・ことを考慮すると筆者の最重視する時間で物を割る(金銭的価値ではなく時間的価値)とH2の存在価値がかなり低いモノになってしまう。
即ち「乗りまわす時間」の少なさをもってして、それがいかに美しく見事な性能を持っていてもごく個人的に時間的価値が弱いと判断したワケである。
多少言い訳じみた論言ではあるが、これはひとつの「人生観」であるので仕方ない。

この感覚はどうも人に伝えにくくて自分でもどう人に説明して良いかワカラナイ。
特に「モノ」や「お金」にこだわる人々にはこれらの理屈が伝わりにくいことが多い。

人生の時間も自分の肉体も「使ってナンボ」なのである。
たとえば素晴らしい造形美と機能を「備えた」女性や男性がいたとして、それをいかに「活用するか」の方が重要であって、それそのものの価値は上手に活用されなければ無価値と同様なのではないかと考えるのである。

男性の場合も女性の場合も賞味期限(楽しめる時間・活用できる時間)というのが厳然とあるのでそのことを深く思案するとスポーツにしろ、飲食にしろ、セックスにしろ、その他の趣味にしろ、こと楽しむとなったら賞味期限という概念を強く意識する必要がある。
人々はもっと「時間切れ」を意識しても良いのではないかといつも思う。さすれば今の不景気もいくらか改善するのではないか。

それなのに「人生は永遠につづく」と大きな勘違いをしてそれらの事柄を「後にとっておく」みたいな考え方を無意識に持っている人がいて驚嘆してしまう。これらの傾向は学校教育のひとつの弊害と思えるが、これは仕方がない。
教育の場合、大人も子供も価値ある「未来」のために「現在」の楽しみを犠牲にするという性質を持っていて、それはそれで大変有益な「考え方」である。努力をしないで手に入る価値ある財は殆どない。特に子供の教育には絶対的に必要な考え方である。
因みに「財」とは「貝」(お金のこと)へんに「才」と書く。勉強で身に付けた「才覚」で「財産」を築くしかないのだ。

しかし同じ教育者である林修先生の「今でしょ」も、こと勉強を始める時期についてのモノで老い先の短い中高年に向けた言葉ではないと受け取っている。
それでもこと中高年の「遊び」についてはTV出演の忙しい同先生ではないけれど「今でしょ」が人生の過ごし方の基本であろう。

「何でも鑑定団」という人気のテレビ番組があって紛らわしいが、時間をかけて価値の高くなった物品についた骨董的価値を専門家と言われる人々が「値づけ」するのを観せられる。
もしかして筆者の場合はそのような高い価値のある物品を所有していると分かったらただちに売り払って人生を楽しむのに使ってしまうだろうと思える。

株とか不動産とかお金とか莫大な財産とか書画骨董とかそれら全てごく個人の人生という観点からすると・・・即ち「後世に残す」「子孫に残す」ことを全て考慮しなければ・・・お金に変えて楽しんだら良いと思うのだけれどもそうは考えない人が世の中には結構な数おられる風だ。

美と若さ、人生、これらの「生物(ナマモノ)」は経年的に、着実に劣化していく宿命にある。
それらをまるで保存のきく食品のように、それこそ「塩漬け」にして後で掘り出して楽しむなんて実際できないことを考えておられるようだ。

いつものように前置きが長くなってしまったがそういうアイデアに基づいて元々それを好まなかった二輪車の世界に挑戦してみるべく250ccのスクーターを安価で購入した。
それはHONDAのブランドのFolza。
シルバーメタルの地味なデザインとスタイリングながらジャンルとしてこの排気量だと「ビッグスクーター」という分類になるらしい。

それに初めて乗って運転した時には、何と乗りにくく危うい「乗り物」かと思ったけれど乗り慣れてくるとこれがまたとても楽しい。
楽チン。
愉快。
見た目のオッサン臭さ、ダサさを考えなければこんな楽しい乗り物はない・・・とさえ思った。
丁度風を切ってジェットコースターを自分で運転している感覚で、子供の時に初めて乗った遊園地の遊具、自動車運転のソレであった。

スピードはせいぜい高速道路で110~120kmをフルスロットルで精一杯。
即ち安全な速度を超えることができない。
それで得られる安心感が走りの不安定感を補って余りある。

「鈍足」トコトコってな感じで素朴に走りまわるので何とも愉快である。
振動がガタビシしてそれが逆に或る種の「ポンコツ感覚」を刺激して嬉しい。
カワサキの速さ、優雅さ、豪勢さ、なめらかさなど丁度真逆の存在感、フィーリングである。
軒下に停めておいても誰も見向きもしない地味なイデタチがさらに安心感をもたらす。
ファッション的には灰色の上下のジャージだ。
実にダサい。

美人の奥さんを貰うと心配でオチオチ仕事に行けない不幸があるらしい。
そうでもない奥さんだと妙な嫉妬もせずに済むし、もしかしてそんな風なマチガイ(他の男に盗まれる)があったとしても深く失望したりする、絶望したりすることもあるまい・・・という価値と存在感という「容姿」なのである。
褒めているのか腐しているのかワカラン。
乗っているスタイルはこれまた少しも「イケて」ない。
とにかく農作業に使う「耕運機」のような雰囲気を持っている。
これは個人的な美的感覚では完全にNGなんであろうけれど、実用性において他の二輪車を圧倒する潜在力を秘めている。
大き目のヘルメットも入れられる収納力、大きな割に意外に良い取りまわし。
また前照灯の明るさが素敵な安心感を運転時にくれる。
これは結構スピードの出るYAMAHA FJR1300に優る。
勿論安定性、スピードにおいては相当に劣るものの、その価格が同程度というのにもどこかうなずける。

いずれにしてもCBR250、CBR650、250ccのスクーターと二輪車を三台も所有する羽目になったがそれらは殆ど毎日乗りまわし、楽しんでいるので時間と感覚を中心とした日常生活におけるコストパフォーマンスについてはこれらの陣容は今のところ「申し分なし」というレベルである。
・・・というか今までのバイクライフに新たな展開の予感と期待があって毎日が益々心楽しい。

ありがとうございました
M田朋玖

PS:今度は一丁「ハーレー」にも挑戦してみるか。
人生に「食わず嫌い」は禁物。



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