コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 退化2019. 3.28

自動運転とかクルマの運転補助装置とか出現している。また他のあらゆる分野での「便利な機器」の出現によって人間はどんどん退化している、もしくは退化する予測があって個人的に強い危機感を抱いている。
人間を退化させる便利な電子機器の登場には驚嘆させられるが、殆んど人はその便利さに慣れてしまって、さしてありがたくも感じておらず、それらの機器類の持つ有害さや、自らの退化について思いを致す人など希少ではないかと想像している。

自動車のバックモニター(後方を映し出すカメラ映像)についてまず自身の退化を実感した。
知人のクルマ(バックモニターの装置されていない)でいつものようにクルマをバックさせようとすると後方視界を確保する為に後ろを振り返る動作を要する。それなのにトシのせいかうまく振り向けない。また勘が鈍ってしまっていてバックするのが昔よりはるかに怖い。
特にコンビニの混みあった駐車場だと歩いている子供とか高齢者だとか他のクルマの動きとかがバックモニターのようにありありと目視することが出来ず、強烈に不安に感じた。
これはマズイ。
相当な退化だ。

「便利さは退化を生む」

このことをアタマに入れて周囲を見回すと枚挙にいとまがないほどおびただしい数の便利危機に囲まれて自分が暮らしていることが分かる。
それで文明国の文明人という人種は確実に心身の機能が退化している一方で、野生の動物たちの進化、適応能力の向上には驚くべきものがあって、先夜「猿」の行動を伝聞した時には強い驚きを感じてあらためて人類の未来について暗然たる心持ちにさせられた。

過疎化の進んだ山村の住人の話である。
今は地方の町や村の人口減少の結果、多くの地域で人間より鹿や猿の方が増えてしまったという現実があるらしい。農作物を狙った鹿や猿の侵入防止の為に田畑や住居に金属製の柵を作って囲んであるらしいがそれらの効果は殆んど無く、彼ら(鹿や猪、猿)は新しい知恵をつけてどんどん苦も無く民家に侵入して獲物にありつくらしい。

特に猿。
日本猿の場合、集団行動が得意らしい。
ボス猿とその補佐みたいな存在がいて猿たちを巧みにコントロールしているとのことだ。
知人の猟師(鹿や猿の駆除、即ち射殺を請け負っている人)から聴いたところによると、「見張り役の猿」がいて、食物をあさっているときには、必ず周囲に油断なく目配せをしていて「事」があると「ボス猿」に合図を送りそれを、「ボス猿」が集団全体に一瞬で知らせ、最後を「補佐役猿」がぬかりなく後の状況まで確認するというから念が入っている。
それら一連の行動が極めて短時間に素早く、目にも止まらぬスピードでなされるらしく猿のリーダーシップ能力、集団行動能力は現在のスマホ時代・パソコン時代の人間よりもはるかに勝っているのではないかと疑ってしまう。
少なくとも団体行動・集団行動については人間の場合、或る程度時間をかけて訓練せねばならないのに、言うならば本能的に毎日のルーチンのチーム行動として猿が出来ていることに驚きを感じる。

「猿の惑星」というSF映画もこれらの猿の能力の観察によって生まれたのかも知れない。
冗談事とは思えない。
ちなみに猿を、たとえば鉄砲で打ち抜いたとしてもその場所に放置されていることは少ないらしく、仲間の猿が「搬送」するか助けるかして現場に残されていることは滅多にないということであった。
察するところ猿情も人情なみに備えているということになる。
現代人の薄情さ(時と場合によるが)とひきくらべても少しも遜色のない猿様のようである。
少なくとも「人間対猿」という対立の構図を理解して行動しているようである。

その点、鹿などは学習能力が低いらしく親鹿が撃ち殺されるとその場に立ち尽くし逃げることを忘れ「茫然自失」といった状態になって親鹿子鹿供に撃ち殺されるとのことであった。馬の生態には不明であるが、「馬鹿」という言葉もこれらの「情愛による愚かな行動」を指して表現されたものかも知れない。
日本人における「馬鹿」が必ずしも軽蔑の対象になってばかりではないことを窺わせる事実だ。情愛の深さを感じさせて。
親子の情愛が危険を生じさせるという意味で殊更に憐みの情を催せられる。

あらためて人間の退化については

「鍛えなければ衰える、使わなければ退化する」

この理屈が正しいモノと仮定すれば人類の未来はこと一般人の肉体と精神にとってあまり明るいモノとは思えない。
便利な生活やシステムが新しく誕生する度にそれらについての人間の機能が次々と退化してしまうと考えられるからだ。

先述したようにクルマのバックですら、モニターの無かった頃より明確に運転の巧みさが衰えたことを実感できるほどに。

ましてや、人間がオートストップとか自動運転のクルマにでも乗ってしまったらと思うと考えただけでも空恐ろしい。

人間のコミュニケーション能力についてもスマートファンのメールとかラインとか会話とかの何とはない「粗雑」さと同時に「危うさ」を秘めながら毎日進行していて人間は気づかないウチにメールやラインの「語調」と、お互いに推測の域を出ないであろう気分をも誤解し合って関係性を簡単に、ヤヤコシク危険に晒しているようでこれまたオソロシイ。
これらもひとつの退化であるかも知れない。
テレビで観る芸能人の姿や放送されるニュースも映像と音だけで「その人物」や「世界」を知ってしまった気分になりはしないかと少しく心配になる。そういう独特の愚かさを無自覚に備えている自称「賢者」を時々世間で散見し、これまた暗澹とした気分にさせられる。こういうタイプの人が都会を中心に増殖していて、普通の会話を何処かしら不愉快な心持ちにさせられる。益々もって危機感を募らせる。これらも自覚されない「退化」と言えるのではないか。

「百聞は一見に如かず」
という言葉以上の知性と感度を備えていないのに情報処理について自己満足的に勝手に得心して「分かったつもり」になっている人を見かける。たかだかテレビの映像と解説者の言った極めていい加減な言葉に踊らされていて、それらの人々に対して「悲しみ」やら「哀れみ」やらのどちらかというと「余計なお世話的」なマイナスの感情を心に抱いてしまうのは筆者だけなのであろうか。

こういった事柄への自動反射的な人々の反応も「退化」と呼んで良いかも知れない。

危機に際して猿たちのようによく統制され秩序だった行動が人間様にできるのであろうか。
完全に「平和ボケ」した個人主義の日本の一般人にそれを望むのは土台無理なことなのかも知れない。
世界に誇る日本人の集団行動の巧みさは「日本猿」に見い出すことができ、それが確実に進化している一方で「日本人」の退化が浮き彫りになる・・・。公立の中学校の教師の先生の言葉を良く耳にする。「猿以下の生徒たち」と。それほど無秩序な学級であるらしい。親の「甘いシツケ」とケータイとゲームとテレビと漫画とが、寄って集って子供の脳を猿以下にさせている。

ありがとうございました
M田朋玖



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