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■ 人也、人 | 2019. 3.11 |
いつの間にか春になった。 何と3月である。 今年は記録的暖冬であったらしく仕事着のスーツは毎日夏物、ついでにシャツは半袖で通した。 ユニクロ製のヒートテックという防寒下着が冬の「薄着」を実現させてくれる。 ありがたいことだ。 表題は文字をくっつけると「他人」となる。 人間は人の御縁によって生じ、御縁によって生かされ、時にそれそのものを「幸福」としている。 自分の親からして元はと言えば夫婦関係については立派な他人様だ。 普通血縁ではなく実際に血縁だと遺伝医学上マズいことになる。即ち劣性遺伝の組み合わせの増多による「奇形発生頻度」の問題である。 それで一般的には他人同士が結び合って「縁」を築き夫婦となり子を産み、家族という形態の血族をつくることになる。 これは世界中同じで、自然界における哺乳動物についてもこの他人(?)同士の結び合いというものが厳正に守られているようで、自然界の掟であり宇宙の法則と言っても良い。 また親子・兄弟というのは一般に考えられているよりはるかにヤヤコシイ。 まず相性の問題。 特に親子の相性は重大で、その子どのもの人生や親の人生に巨大な影響を及ぼす。 相性が良くても悪くても問題で親子の特質・性質が良くても悪くても組み合わせによっては悲惨な結末になることがある。 まず母親と息子の相性。 これは悪い方が良い。 良いと「マザコン」になる。 それも厄介なマザコンだ。 女性の愛情が無条件に手に入るので「努力をしない」男になる可能性が高くなる。 これは母親の子育ての能力に準拠していて、知性とか知能とか学歴に殆んど関係なく巧みな子育て能力を持っている母親の場合、これらの相性問題がないこともある。 父親の存在とか在り方とかはあまり関係のないことが多い。 最悪は甘やかす母親と純然たるマザコン男の組み合わせで、その男性は一時的に成功しても一生鳴かず飛ばずか最悪の場合、犯罪者になって警察のお世話になることがある。 母親との関係性が歪んでいる場合、もしくは父親の存在が結果として悪影響を及ぼす場合(父親の人格とか能力とかに無関係)、一生家を出れず、勿論結婚もせず老母・老息子のままで一生を終えることがあり、この場合の老母は通常とても善良で優しい女性であることが多い。 その老息子にとっての理想の女性があまりにも身近にいて、その為に男性の人生が「親子関係」だけで完結しているからだと考えられる。 本人はともかく人生に山も谷も花もなく結果、喜びも悲しみもなく美しい彩りもなく殺風景で誠にお気の毒である・・・と余計なお世話的な同情をしてしまう。 それぞれの人生であるからそれはそれで別に何の問題も無いのだけれど・・・。 ただ生物の法則・自然の摂理に反していて、ライオンや虎や熊など猛獣と呼ばれる哺乳動物ですら母と息子は離れ離れの関係「母親に追い出される」という自然界の厳しい法則にもかなっていないので大自然の摂理に合致していないと思える。 母と娘の場合は息子ほど深刻ではない。 それで基本的に成人したら少なくとも思春期以降に「母子密着」だけは男女共、用心深く避けておきたい。 関係性が良好にしろ劣悪にしろ「ロクなことがない」 良好な場合には娘の「離婚」を促進したり、悪い場合には妻として、母としての自覚が弱くその役割を全うできないことがママある。 それでも男性(息子)より悲惨でない。 人間や高等な生物はどうも他人(血族外の存在)と睦み合うように製作されているようだ。 経済的な問題でも如実にこの理が表出されている。 経済的に困窮している人々の場合「親子関係が良く兄弟仲が悪い」という特徴と「他人」をないがしろにするという特質を持っている。 親子のみならずご存知のように身内同士では「経済活動」が生じない。 ビジネス・商売における「お客様」というのは極言すると「他人様」「人様」である。 血族以外の人々が富や貨幣を自分の元に運んで来てくれるのだ。 即ち他人様・人様が「ありがたい」お客様になってくれる・・・。 このことは案外忘れられやすい。 勿論、家族も大切だ。 充分に手篤く保護し、養育し、守っていかなければならない。 それと同時に職場の同僚や会社という呼称の「法人」や「お客様」に対し丁重丁寧に応接していかなければならない。 仏教の一派、日蓮宗では自分の子供だけ大事にする親は他界したら地獄で業火に焼かれるそうだ。 自分の身内だけを重視することを強く戒めている説話になっている。 そもそも人を自分の身内と他人とに分けることそのものにすでに身びいきがあって好もしくない。 身内と言えば、外国人から見ると、海外で災害や事故が起こった時に日本のメディアで邦人の安否や有無を報じることが奇異に映るそうだ。 考えてみれば確かにそうだ。 日本人の常識ではあまり異様に感じられない。 日本人の意識では「差別意識」は表面的には殆んど見られないが潜在しているのかも知れない。 ちなみに朝鮮半島を領有していた頃、日本人の韓国人への「差別」は全く無かったそうである。結果、日本の敗戦時に朝鮮半島からの生還者の言では、韓国の人々と日本人の関係性は極めて良好で、帰国者は「餞別」を貰って帰ったそうである。親切な日本人と韓国人。野蛮なロシア人。この白人たちは物書きや人頭さえ数えられなかったそうである。 結果ロシアや中国のことを強く恐れていて、実際に中露に占領された北朝鮮の人々の惨状は「脱北者」の存在とそれらの人々の窮乏生活をメディアで流すくらいに悪いことからでも、「推して知るべし」である。 話しが少しそれてしまったが、他人の出発はキリスト教の言う「隣人」ではない。 それは配偶者である。何故なら日本人の場合殆どの人が「夫婦」の間に生まれている。 それなのに、元々は赤の他人であった筈の夫や妻を何と多くの人が「ぞんざい」に扱うのか。 自分を含めてあまりよろしくない人間様の傾向である。 人間の場合、最も愛し敬うべき「隣人」とはそれぞれの配偶者なのではないかと考えている。 なぜなら実際にとてもお世話になっている。 さらには専業主婦の場合、その婦人が余程の資産家か収入の道が別個にある人以外、配偶者が唯一の収入源なのである。 この「動くATM」を大切にせざるを得ない筈なのに・・・。 実際にそうではないことが多く、且つまた夫の方でもこの頃では共働きの場合、適正に妻に自らの報酬を与えていないというケースも多々耳にする。 自分の子供がいるのにである。 まるで自ら進んで離婚への道を選択し、走破しましょうという妻への態度である。 結婚と言っても日本の場合、特に契約書を交わすワケでもないので実際に生じるであろう金銭のトラブルに充分に備えているワケでもない。逆に自分がおろそかにしている事実を棚に上げて相手を責めるだけ責めるという調停であったり裁判であったりするこたが多いようだ。それで、さらにそれらの有り様が醜くなってしまうことがあるようである。 諄いようだが配偶者は、元は他人で、その上とても「縁の深い」特別な人なのである。 そのことをよく諒解しないままに関係がつづいていると、関係性の良い時は全く問題ない。けれども、より良き関係性を構築したいのであれば離婚や結婚維持に関係なくお互いに人間としての「美意識」を念頭に置いて言行を整えていくことをお勧めする。 この「美意識」こそ人間としての最後の砦にちがいない。 まとめ。個人つまり「自分」や「身内」や「血縁」だけを大事にして、「他人」や「人」を疎かにすると、大概貧窮する。これは先述した理屈で、当然の帰結である。この場合の他人とは「配偶者」も含まれる。アタマの片隅に入れて置きたい。 GAFA(Google、amazon、facebook、apple)だとか称されている世界企業群は、人と人、人と物、人と組織、人と知識情報をパソコンやスマホで「直接」つなぐネットワークビジネスで巨額の収益を得、今や人類を支配するほどの「力」を持ちつつある。ある意味オソロシイ現実である。 個人的には人の「絆」の異常事態と見なしている。 ありがとうございました M田朋玖 |