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■ 年の始め | 2019. 1. 6 |
あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 5日連休の年末年始。 その長い休みの過ごし方には例年特段に計画を持たなかったが昨年より今年については年末30日、年始、2日とバイクツーリングが予定されていて、その日を中心に自分の最も「やりたいこと」を実行してみた。 そのお陰でとても満足なお正月となった。 それはとてもシンプルな行動。 クルマを運転し、クルマと「二人きり(?)」で過ごすこと。 それも出来るだけ長い時間。 特に遠出する必要はない。 年の瀬が押し迫ってから急激に寒気が深まり、いくらか暖冬気味であった人々をいきなり冬の準備へと急がせたような年末。 石油ストーブ、電気ストーブ、炬燵、電気カーペット、エアコン、コート、セーターなど売れ行きが伸びて関連の各業者は胸を撫で下ろしているに違いない。 そんなあわただしい時季の喧騒をヨソに一人、10年モノの幾分くたびれた我が愛車レクサス600hに荷物を持って乗り込んだ。 荷物と言っても殆んど本である。 自分にとって「良書」「楽書」と思える類をクリスマスの日に手に入れたので、クルマの中で合間に読もうという算段である。 昨年11月に足まわりに「手を入れた」せいか、はたまたオイル交換をした為か多少古ぼけているとはいえ走行20万kmに届かんとする我がレクサスもすこぶる快調。 どこも何も不具合がない. 流石に天下のトヨタ様だ。 外国車でこんなことは起こらない。 それらは10万km走行を越えると急激に故障が増え、20万km前に「残骸」になってしまい鉄屑になり果てるのがオチだ。 これは何回も経験して確認済み。 昔「ソニータイム」という言葉があって、ソニーの電気製品が或る一定の時間がくると壊れる・・・という現象を巷間噂になっていたが、これは実感したことがある。 お陰でビデオムービーカメラを10台あまり買わされた。 そして修理に出すと「出来ない」と差し戻される。 以来、ソニーの電気製品は購入しないようにしている。 同社は製品より「保険」にその軸足をシフトしておられるようである。 同様のコンセプトで外国製、或いは国産のクルマのメーカーのいくつかは設計されているように思える。 ビジネス戦略としては適当に「故障する」というのと「故障しない」というのではあきらかに前者に分があるように見える。 ところが長期的に見ると自動車の耐久性についてはことによると生命に関わることなので「安全」についての深考によって多くの国々でトヨタ車が選択採用されていて世界一の乗用車生産台数を誇っていつようだ。 やはりビジネスでも「信用」「信頼」というモノは欠かせない繁盛繁栄の要素となる。 何しろビデオカメラと違ってクルマは人命に深くかかわるのだ。 ただ止まる、動かないだけでも。 それでいつも安心安全をくれる・・・それは世界一と呼べるレベルらしいので心置きなくドライブを楽しめる。 お陰様で誠にもって有難いカーライフを送っている次第である。 人間の価値「感」というのは全て満ち足りていてそれでも尚且つ行動したいことに含まれているそうで「満ち足りている」という明瞭な自覚がある自分にとってドライブ、クルマというものの価値は相当に高いモノであることにあらためて気づいた格好である。 それでそれらの行動がもたらす「心」とは何ぞやと自問したところ、それは「自由」であった。 どこにでも自由に行ける。 とりあえず道路やガソリンスタンドがあれば。 恐らく時間さえあれば日本中に「行ける」 或る人物を思い出す。 筆者と違って遊んで暮らしている風のお金持ち、斎藤一人さんも同様の行動をしておられるらしく、センチュリーというトヨタの最高級車に乗って日本中を旅して巡っているそうである。 そのあたりの感覚・感性はよく理解できるのだ。 人間することが無くなれば大概したいことは決まっているモノのようだ。 ヨーロッパ旅行をした時にも年配の男女がオードバイでツーリングを楽しんでいるのをあちらこちらで見かけた。 年齢を重ねて知った深い喜びが少年時代と殆んど変わりがないというのにも驚かされる。 それほど身近で簡単に手に入る娯楽がかなり重要な「心の栄養」であることを知り得て素晴らしく愉快な心持ちである。 それは正月3日の朝・・・というか午前11時。 車中泊で目覚めたのは高速道路「九州自動車道」のえびのパーキングエリア。 気温9℃。 微風。 新春のうららかな陽光が降り注ぐPAのレストランのテラス。 その肘掛け椅子に腰を下ろして足を組んで、自販機で買った強炭酸水とコーヒーを一気に飲み干した。 涼やかな風が通り抜け、眼前には霧島の連山が青々と広がっていてPAの駐車場を子供連れの一団や老若の男女が行き交っている。 それは何気ない日常の一コマフィルムであろうけれど、とても素敵で幸福な瞬間として一生目に焼き付けるほどの感動を憶える光景であった。 いくらか脱水気味の肉体は件の炭酸水を1ℓほど呑み込み、カフェインで覚醒した脳がさらに愉悦を帯びて活動するのを感じる。 鈴木祐という著者の本「最高の体調」に記してあった「畏敬」というのはこういう心持ちを言うのであろうか。 そうならカラダの「炎症」を鎮め、癒やされているのであろうか。 件の書物によれば篤い信仰心のような畏敬の念を良く持つ人は心理的不安や肉体の炎症レベルを著しく下げてくれるらしい。 ちなみにその対象は自然、芸術、偉人などとあった。 いずれにしても「畏れ敬う」という感情とは違う言葉にできないやすらぎ感、自由でのびやかな気分をしっかりと味わえるのは事実なのだ。クルマで過ごすのは。 昔の自動車のコマーシャルで「至福の時」と。当時は大袈裟と思っていたが、定年後の高級車購入にも今は強く共感できる。 ありがとうございました M田朋玖 |