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■ 天下り | 2018.11.11 |
戦後、その社会的地位と権威がしみじみと下がっているのが「先生」と呼ばれる職業の教師、医師、弁護士、政治家などの人々と国家の中枢にいて重要な仕事を担っている官僚と呼称される人達だ。 それらが皆、殆んどマスコミの影響でその権威が失墜させられていることがいかにも亡国的ケシカランと思える。 これは世界的な傾向であるようで、いずれも基本的に国家の安泰、安定、安寧を損なうものである。 医療と教育は国家の国民に提供するサービスの最大のモノで、軍隊による国防(自衛隊)、治安(警察)などと同様の国家の行う重要な責務である。 それらを統治する国家の中枢部にいて政治を動かしているのが「官僚」で、中でも高級官僚と呼ばれる事務次官、各局長、実際は課長クラスまで「高級」と言えるかも知れない。 少なくとも国家公務員上級試験を合格し、所謂「キャリア」と呼ばれる集団、各省庁のトップ、恐らくは官僚の最高位となる事務次官まで上り詰めると「薄給」から解放され、とりあえず民間に流れて順調に出世している同じ努力、学力、能力を学生時代に有した人々に追いつく待遇、地位を得られるようだ。 ところが60歳定年で「天下り」が無いとすると比較的高額な退職金や年金を得たとしても大企業の役員ほどの待遇的な旨みはない。 勿論、一生働けるワケでもない。 「天下り」という制度(?!)は官僚の人生設計のひとつの拠りどころになっていたらしいが、これを高額の退職金を何度も貰うとかのメディアの流す具体的な醜聞によって次第に「天下り=(イコール)悪」という思い込みが一般国民の意識に刷り込まれてしまった。 殆んどの一般庶民で「天下り」を是とする人は滅多にいないと思える。 けれども筆者はこれは3つの点で良い慣習ではないかと考えている。 第1に官僚のモチベーションの問題である。 公僕として若い頃より薄給に甘んじながら天下国家の為にその一身を奉じるワケであるから或る程度の身分保障と待遇を維持し、その退職後もさらに豊かで充実した老後があれば士気も上がるのではないかと思えるのだ。 人間のモチベーションに「夢」は大切である。 60歳で定年退職して年金生活者というのではいかにもモッタイナイし夢も希望もない。 第2に優秀な経験、知識が無惨にもに失われる・・・ということだ。 東大、京大、慶応、早稲田など超難関大学を出て、その頭脳をフル回転して取り組んできた国政への参画・・・それは強い制限を受けた補完的な類であっても重要性においてはどんな仕事にもヒケを取らない。 国家の制度の基本的な設計者、実践者、指導者なのであるから・・・これは反論の余地がないだろう。 これらのチカラは「権力」そのものなのではないか。 権力の最大は人事権であるものの、この「制度」について「関われる」という権力には極めて重大な要素が含まれていて、何しろ民間の経済活動のすべての利益の得失にも影響を与えている筈だからである。 そういう意味で高い倫理観や国際感覚、国家意識、文書作成などの実務能力、幅広い人間力を問われるのだろうと推測している。 第3に官僚に優秀な人材が集まらないという問題である。 実のところこれが最も大きなリスクかも知れない。 官僚、高級官僚の仕事の延長線上に夢と希望と安定(天下りによって得られる)が無ければ全国の有名大学を出た優秀な人材が民間企業に流れてしまう。 もしくは医学部などに入学して医者になってしまう。 医者という職業にはそれほど優秀な頭脳は必要ない。 恐らくアタマの良い人々からすると実に退屈な仕事である。 それは肉体労働者に近い。 つまり体力勝負ということだ。 ただし医者の方はとりあえず今のところ一生仕事ができるし、初任時の待遇も官僚のそれよりもやや高い。 それでも最初に高止まりしてどんどん上昇していくことはない。 待遇的にはフラットな職業である。 所謂、出世とか金儲けにも不向きな職業だ。 これほど野心を持った人間からすると中途半端な仕事はない。それなのに優秀な頭脳を持った有意、有志の人物が入ってくるというのは誠にモッタイナイ。 やはりそれらの人々には国家の運営に携われる高級官僚を目指して欲しいと思うのだ。 最近は「お役人」レベルが多面的に下がって来ているという印象があって、これは日本国の将来にとって由々しき問題である。 そういう意味で「天下り」というのは退職後のセーフティーとして「夢」の仕事として人生設計の後半にあれば安心して目の前の仕事に生命がけで取り組めるのではないかと考えている。 一般庶民はメディアが盛んに流布して生じる世間の風潮に騙されて「天下り」を悪と信じている。 マスコミのつくった言葉では他にも自動的に悪とされている「薬漬け」とか「体罰」とかの言葉もある。 度々述べて来たようにマスコミの多くは反国家的である。 それはマスコミのひとつの役割であり本能、習性と見ることもできるがNHKのドキュメンタリーやニュースの報道の仕方、内容をやや斜めに、分析的に見ると国家転覆を図っているのではないかと思わせる類が出てくるのでますますこれらの言葉の誘導には用心しているのだ。 教育における「体罰」医療における「薬漬け」・・・この言葉はいったいどのような状態を指すのか具体的に説明して欲しいものだ。 単なるイメージだけで物事を語るのはデマと一緒である。 体罰についてもただちに全て「暴力」と片付けられるのは大いに問題であると思える。 少なくとも経験的には家庭内では適切な体罰を受けた少年少女の方がそうでない者達よりマトモなことが多い。 「天下り」・・・それが適正でバランスの取れたモノなら大いに結構ではないかと考えている。 ありがとうございました M田朋玖 |