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■ 涼秋 | 2018.10.22 |
衛星放送で久々に小津安二郎の作品を録画して観た。 「お茶漬けの味」「早春」「東京暮色」の3連続。 同監督の後半の作品は紋切り型で出演者も設定も殆んど似たり寄ったり。 作品ごとに区別がつかなくなる。 来生たかおが小津監督の熱烈なフアンであるらしく、自らのコンサートの開幕前のBGMが小津作品の映画音楽になっていて少しだけ違和感がある。 「ひたすらに」というタイトルのCDのジャケットにも例のあの小津映画のイントロダクションのクレジットの背景に常用されている粗い目の「布地」柄になっている。 数年前のコンサートでは小津作品について熱く語っておられた。 来生たかおは歌もうまいがトークもとりあえず聞き苦しくない。 下手ではない。 小津安二郎の作品は美しい女性をじっくりと鑑賞できて嬉しい。 これはチョット卑猥なんじゃないかなんていう女優さんのポーズや姿勢もふんだんに出てくるし、妙齢の紳士淑女のスーツ姿やワンピースなど正調なファッションを礼儀正しい所作や全身像を拝観することができるし、暴言や暴力や汚いシーンが全くと言っていいほど出て来ないので安心して観ていられる今ではとても稀有な作品群となっている。 ありがたいことだ。 特に晩年に向かうほどこの定型化が著しくなっている。 また飲食する場面がよく出てくる。 家庭の団欒とか少人数の宴席だ。 それぞれの場面が同じ場所で撮られていたのではないかと見まがうほどこれまた設定と撮り方が定型的で安心する。 同じ家、同じ店、同じ看板、同じ街並み、同じ会社、同じ職場、同じ応接室、そして同じ配役。 それぞれの作品がホントにどれがどれか分からなくなるくらい同質化・定型化している。 ことほど左様に小津作品には強固な型があって頑なにそのスタイルを守っておられる風である。 小津安二郎は明治36年生まれ。 七赤金星。 兌宮・歓楽宮と言って飲食とかお喋りとか団欒の星だ。 人と集って飲んだり食べたり歓談したりして楽しむ人々。 結果的に自然にそれらを描いた作品が多くなるのかも知れない。 いくらか映像的にエロティックに見えても性欲満々というわけでもない。 ただ美的センスの優れている星でもある。 少なくともファッションでダサいということはない。 色々な意味で魅せてくれるのでコレクションして観るには最適かも知れない。 黒澤明と同じように何巻ものDVDコレクションがあるようだ。 極めて個人的な感想ではあるがヘタなアダルト作品よりなまめかしくて美しい映像がふんだんにあり、鑑賞者としては嬉しい。 ネットでDVD作品をツラツラと眺めてみると予想どおり高価である。 数年前からくらべても値崩れもしていない。 大したものである。 少なくとも芸術としても大衆に広く受け入れられる娯楽としても年数を経ても鑑賞に堪える優れた作品を創出しておられるのだ。 2003年の生誕100年記念祭には日本中、世界中からフアンとか関係者が集まってパネルディスカッションをしていたテレビ放送を鮮明に記憶している。 ドイツ人の映画監督で「ベルリン・天使の詩」のヴィム・ヴェンダースなどは同作品で「小津安二郎に捧げる」とエンドクレジットに流すくらい同監督に傾倒していたようだ。 また連続して次つぎとテレビ放映された平成15年当時はVHSビデオに録画して1本1本丹念に鑑賞したものである。 今はそれほどの根気はないが当時よりも楽しみの味わいが深くなって小津映画の価値が高くなった気がする。 60歳の誕生日12月12日に他界しているので何から何まで或る種の几帳面さ、律義さが作品にも人生にも漂っている趣きがある。 暑くも寒くもない10月の中旬の良季ながら彼岸も過ぎ、夕暮れは暗くなり淋しさは深まりゆく秋そのものだ。 そんな季節に観る小津安二郎はまだ格別である。 作品全体にただよう奇妙な明るさ、軽さと同時にそこはかとない哀愁が見事なほど美しく描き込まれていて、しみじみとした不思議な感動を与えてくれる。 日常のささやかな日本人の生活様式や文化が素晴らしく愛おしいとさえ感じる。 ただし映画の中身のような飲食生活は現代の医学・栄養学的には有害な類が多く、真似をしたら健康を害するかも知れない。 そのことを見事に体現するように今の平均では60歳の死亡という短命な結果をもたらしていると考えられる。 筆者の見解では作品中の飲食スタイルを日常的に実践しておられたのであれば当然の帰結と思える。 ラーメン、トンカツ、お茶漬け、日本酒、ビール、定型的な日本人の宴会食の多くなどは健康長寿の為には率直に言って有害であると明記しておきたい。 小津の一連の作品はどうしても「秋」のイメージがある。 もともと七赤金星という星が夕暮れである。 秋であり団欒の時である。 それらを何回も描いているので観ているとついつい「外食」をしたくなるが個人的には禁酒にともなって晩酌、宴席、パーティー、会食などとは益々縁遠くなって秋の夜長は読書と映画鑑賞かバスケの練習、オートバイで「楽しい」時間を過ごしている。 季節ごとの過ごし方の差異が思ったよりあるものだと最近気がついた。 「涼秋」という言葉から自然に生まれた人物と文章が小津安二郎とは。全く個人的に趣味的に府に落ちる。「秋深し戸鳴りは風か人魂か」 ありがとうございました M田朋玖 |