コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 一生一業2018.10.17

モノ心ついいた時から自分は医者になって親の後を継ぐべき人間であると無意識のウチに強く自覚していたようで、もしかして医者になりそこなってしまったら自分の人生は滅茶苦茶に破綻してしまうと心から怯えていた。
そういう心の旅路を65歳の今までしみじみと歩いて来たので野球のイチローとか最近巨人の監督に3度目の返り咲きと決まった原辰徳のことを思うと心から共感できる。
・・・というのは両人共、父親からその道(野球)へと上手に導かれたように筆者自身も「そうだから」である。
人生で色々な「業」をしてとりあえず名を成すには相当に時間がかかるもののようだ。
色んな職人さん、技術屋さん、手に職や技能を持ったスペシャリストでなくても一生のウチの成し得る業、果たせる結果というのはそれほど多くはなくて、やはり表題に掲げたように「一生一業」なのではないかと考えている。

村上龍の「ハローワーク」を読むと「作家」というのが人生最後の仕事であるらしく、最初から作家を目指すというのはいささか乱暴な目標のようだと知った。
「誰でもなれる」が「誰にでも上手にはなれない」ましてそれで「売れて」「食っていける」となればいくつかの文学賞をコンスタントに取れるくらいの筆力がなければそのレベルになるのは難しい。
ひょっとして映画化されるくらいのヒット作品をひとつくらい持っていてもそれで生活できるということはなさそうだ。
その点、歌手などは一曲でも一生食っていけることが昔はあったが、今はヒット曲そのものが年何本も出ていて、売れ行きもレコードやCDの売り上げという具体的なお金になる数字にはなりにくし、メガヒットというのは無いようである。
音楽業界もどこで何が売れているかというとチョット前までは何と「AKB48」で業界総売り上げの半分、50%というから驚く。
それもCDそのもののコンテンツは聴かれなくてタレントとの「握手券」が売れるそうである。
ビックリだ。

そういう得体の知れないタレント、商品を生み出すビジネスセンスという意味では「秋元康」という人物は一種の天才であろうと思える。

それにつけても自分の今している仕事は天から授かった有難いお仕事で、これに全身全霊で取り組み、その一身を奉じる・・・というくらいの覚悟で臨むべきと思えるが多くの人が簡単に「転職」ということをなさる。
モッタイナイ。
そのキャリア、人脈、信用、身分、技術等々お金では替えられない素晴らしい無形の財産を築き上げたのかも知れないのにだ・・・。
そういう「押しも押されぬ圧倒的な存在」を目先の利欲やどうでもいい都合で簡単に投げ出してしまうケースを結構世間で見聞する。
大概それらに該当する人物は所謂「不平不満居士」だ。
勿論そのような人物ならばそれらの「財」を築く前に辞めてしまって「根なし草」かもっとマシな存在としての「渡り職人」のように転々として総体としてパッとしない人生を送られるようだ。

そういう人生も人柄の良い人間関係能力の高い明るい性格の人間ならばそれなりに成功と言える人生を送ることもあるが、それでも10年とか20年、或いは30年単位でつづける能力と実績がなければ周囲や世間、社会の信用を得ることはできない。
所謂、大成はしない。

また或る業を始めるにはそれ相応の準備が要るもので、その本質は勉強というものである。
実際に資格取得という具体的目標が設定される仕事や業もある。
その敷居が高いほど一般には収入は高い。
勿論そうでないケースもあるが・・・。

どんな身分、職業、職種であっても応分の勉強は欠かせない。
特に社会的地位が高くなるほど細かい勉強と同時に広く総合的人間力を高めるそれなりな教養とかリーダーシップ能力を学ぶ必要があるけれど、残念ながら年齢と地位が上昇するほどそれらを怠る傾向があり、残念な現象である。
人間はどうしても楽な方に流れてしまうようだ。
また「好事魔多し」の言葉もあるように好きなことだけしているとその身を滅ぼしてしまうことがある。
良い事ばかりはつづかない。

そういう意味で「天職」という言葉はとてもありがたい。
どんな仕事であれ天職意識を持って真剣に取り組み全うすればそれなりかそれ以上の果報と実りを受け取ることができる筈である。
一心不乱に取り組んだその「仕事人生」そのものが自分自身にとってこの世の一代限りの、唯一無二の報酬かも知れず、周囲の人々の篤い尊敬と愛を勝ち取る為のもっとも単純且つ明快な方法なのだと考えている。

人生も25年単位で考えると良いらしい。
25年で大学を卒業し、25年仕事をしながらその「業」について学び(50歳)、さらに精進を重ね25年(75歳)でようやく自らの業の完成に向けた総仕上げの段階に入る。
佐藤一斎の名言

幼にして学べば 荘にして為すことあり
荘にして学べば 老いて衰えず
老にして学べば 死して朽ちず

「一生勉強」を説いた言葉であるが、これに「一生一業」と付け加えればその人間の生きた人生というものが偉大とも呼べる業績、実績、評価を世人のみならず後世に語り継がれるかも知れない

偉人の伝記などを読むと少なくとも転職を繰り返し、それこそ「流転」の人生ということはないようである。
一生一業の反対語は「流転」かも知れない。
人生の指針として業種業態を選択する時に「時間とキャリア」くらいは少なくとも考慮して絞っておいた方が良いように思う。

ありがとうございました
M田朋玖



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