コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 言わぬが花2018.10.16

明治30年生まれの戦前の著名な海軍の軍人で総理大臣や海軍大臣も歴任した米内光政という人物の歌。
「見るもよし聞くもまたよし世の中は言わぬが花と猿はいうなり」
「見ざる言わざる聞かざる」の猿にひっかけた作品と思えるが、この人物は「口は災いの元」を人生の指針にしていたようである。
岩手県出身とのことで自分の訛を人に聞かれるのがイヤだったのかも知れない。
東北弁の訛は人によってはナカナカ取れないらしい。
先述した米内光政の人物像については「昭和の名将と愚将」半藤一利と保坂正康の対談を読むと個人的には好感の持てるタイプで、戦中・戦後の評判も顔相も総理大臣在任中の東条英機氏よりはるかに良い。

それにしても世界中、過去のそれも含めて国民の選んだ国家元首の人々の顔相の悪さには驚かされる。
なんでこんなことが起こるんであろうか。
所謂とんでもない悪人で色々な謀略や奸智を駆使して成り上がるのが国家を支配しコントロールしたいという人々の特質なのであろうと考えられる。

普通の意味で「善人」というのはそういうことは考えないものである。
国や国民を支配して蹂躙するというのは彼らの趣味なのであろう。
過去も今も独裁者と呼ばれる人間達の悪辣さにはいつも驚嘆させられる。
少なくともサディスティックな人が多いような気がする。

わが国でも横顔、特に鼻の形と唇の細さが酷薄な人格を思わせるヒトラーとよく似た小泉純一郎氏など「国民に痛み」を押しつけて平然としておられた。
「郵政民営化」という売国奴的蛮行に及んだのも国際金融勢力の意図を代行したものでいかにも怪しい。
その手下の竹中平蔵氏など米国の大学留学の経験もあり経済学者でシカゴ学派のミルトン・フリードマンなどの影響を強く受けておられたようで、経済活動の目標を「利潤追求」を唯一にして最大のモノとしているようだ。

これらの考え方は結果的に経済人全体の倫理観の低劣化を招いたようで、現代世界の天文学的な「格差」社会を誕生させてしまったように思える。
彼の人(竹中氏)など地方活性化政策なども経済人の視点から短慮して付加価値の高い農産品を作って売れば良いなどと述べておられた。
単純。
口が多く災いの元であることは世人の知るとことであるが、このことをしっかりとアタマの中に納めて実行している人は意外に少ない。

野党女性議員の一人、辻本清美氏など異性問題のスキャンダルで一時期表舞台から退いていたが、ほとぼりが冷めた途端またぞろ国会などで以前と同様かそれ以上にかしましく安倍総理に向かって例のいくらか関西人訛の混じったイントネーションで吠えておられる。
またまた自らの墓穴を掘られるのであろうかと余計な心配をしてしまう。

人間の持つ風韻風雅というものはその多くが言外の物腰や態度、ふるまい、たたずまいによって生まれるもので、その言葉やその調子、声などで表現されるものではないが多くの人は瞬間的にそれらの所謂、弁才に惑わされるようで結果的にそれそのものが「悪」とされる「デマゴーグ」のようなものに追随してしまうもののようである。

デマゴーグ、即ち民衆煽動家としての素質と奸智に長けた謀略家の複合体は国家の指導者になりやすいというのが、民度の低い国民性を持つ国家で常態化しているので益々真の意味での英雄とか王者の育ちにくい環境が生じてしまったと考えられる。

余程のことが無い限り立憲君主制、即ち王族や皇族などを国家元首に象徴としてだけでも戴いている国の方が大統領に冠を置いた所謂共和国よりも上品に見えるのはデマゴーグが出現しにくいという因を持つからとも考えている。

政治の世界で「言わぬが花」を体現できるのはこれらの王族以外にあり得ないのかも知れない。
勿論、民主的でもなく豊かでもない国々にとっては愚昧な王による独裁国家などはクーデターや革命などでその政治システムが転覆破壊されてしまうこともままあるが、連綿とつづけられ継承されている「帝王学」を持つ我が国の王族即ち「皇室」は、幾分神格化され、「千代に八千代」につづいているようにと国歌にも込められていて国民としては深い安心感を憶える。
その貧しさによって王制を廃せざるを得なくなったエチオピア、ネパールその他の国々のその後の惨状をまざまざと見せられるにつけ、英国・スウェーデン・ノルウェー・オランダ・スペインなどヨーロッパの比較的裕福な国々の安定感や我が日本国と同じ匂いを嗅ぎ取る時、先進国としての誇りが倍加される。
そのような高貴な人々でなくても上品とか気品とかと呼べるものは少なくとも饒舌からは生まれないのだ。
世の中には言ってはイケナイことも数多くあるように言わない方が「花」と呼べる事柄も多いようだ。
筆者の場合、少しばかり才気が走って自分の知識や考えをそのまま剥きだしで語るものだからあちらこちらでその場の空気を汚してしまうようで現在猛省中である。
大昔から東郷平八郎とか米内光政とかどちらかというと寡黙な男に憧れを持っているのについつい破口直言をしてしまい顰蹙を買って後悔ばかりしている。
まさに「口は災いの元」ならぬ「口は傷心の元」だ。
一言で物事が爆発してしまうとかあるものだと最近気づいた。
自戒である。

ありがとうございました
M田朋玖



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