コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 人情2018. 9.28

ハーバード大学では日本史を学ぶ学生が多く、人気も高いらしい。
当然ながら知識レベルでも普通の日本人より高い人もいるようだ。
それらの研究で日本、日本人の強みは「何か」と問われて「人情」と回答されたそうで、これはひとつの定説にもなっているそうである。

礼儀正しさ、高い倫理観など世界中の人々から称賛されている日本人の気質もその根底にはこの「人情」があるのではないだろうか。
人情は人道的な行為を生む。
そう考えると巷間普通に信じられている中国における日本軍の残虐行為にも疑問が残る。
戦争という異常事態を考慮しても旧帝大や軍部を中心に行われたとされる中国や日本で行われた非人道的な人体実験も俄かには信じ難い。

これらの「史実」はあのNHKが繰り返し報道するので、いつもながら同局の何かしらの悪意を感じてしまう。
本には数々の日本人の国際的な美談が出てくるのにNHKでは何故かあまりそれらを報道しないのか不思議に思う。

いずれにしても日本人は人情家が多く、またそれら人情家を尊び敬うという文化もあるので、たとえば中国人の信奉する「ブラックフェイス」(厚顔)などの考え方は一流の経営者を中心としてあまり流行していない。
相変わらず「誠実」「善良」というのが少なくとも表面的には日本の日本人の起業家、経営者達の心の構えと思える。
そうでなければ人はついていかないだろう。
安心して。

「GNN」(義理と人情と浪花節)というのを社是にしている優良会社もあるらしい。
ことほど左様に日本人には人情とか人情話は一般庶民に程よく定着していて、時にはいつしかのトラブルの元になったりするようであるが、それでも日本人の文化・社会を構成する要素になっている。
この人情にすがって生きている人々もかなりおられるようだ。
「人情話」と言えばすぐに思い浮かぶ日本人作家がいる。
山本周五郎だ。
彼の人の書く、特に時代小説にこの傾向が顕著で貧しい人々の人情話には時々泣かせてもらえる。

特にお気に入りは「おたふく物語」で、極道息子を兄弟に持つ二人の美人姉妹の物語である。
貧窮した生活をしているのに大店のお嬢様のような気品と美貌を備え、明るく振舞っているのに自分たちのことを少しも美人と思っておらず「おたふく」と思っている。
その姉の方がかんざし職人と結婚して幸せな生活を送っているところにチョットした行き違いから嫉妬に苦しむ夫とそれについての姉の対応など細やかな交流のあり方に心が温まる。
この小説は所謂人情話ではないが、日本人の女性のひとつの望ましい典型を見せてくれる。
多分にして男性側から見た理想像で、このような女性を現代の日本人の女性に求めることはできない。
結構リアルな現実生活を描いていてファンタジックな物語である。

現実(今の日本人)と理想(小説の中の女性)の落差をいつもまざまざと見せられる。
女性から見た理想の男性像と男性から見た理想の女性像には大きく差異があるようで、相方に誤解と争いの原因となりやすいが、これはそれらについてのいくらか高尚な知識を持っておくと或る程度それらを回避できることがある。

筆者の観察では一般的に女性の方が薄情のように見える。
勿論異論もあると思うが、これには理由があって大昔から女性は戦の時の勝利の「戦利品」としての価値を持ち、金銀財宝や土地や家などと同等かそれ以上の価値を持ちそれと同じ扱いを受けていた歴史がある。
結果的に望む望まないに関わらず敵側・相手方への戦利品として生きなければならないので前夫・前配偶者・前パートナーとの断固とした決別をする為に或る程度の「薄情さ」がどうしても必要となってくのではないかと想像している。
これが男の場合、その奪われた女性を「取り戻す」可能性が残されているので、つまり積極的に行動できるので一種の「未練がましさ」とか「情」とかがなかなか消えず「過去の女性」を追い求めてしまう傾向があり、多くのストーカーが男性であり女性の側にストーカー恐怖もあるので人の情という視点から考えると悩ましい問題を内包している。
上記した山本周五郎の小説で理想の女性が人情家として登場すると男性読者としては一種の感動を持ってその存在をついつい価値高く評価してしまうのである。

またクールに考えて、この「人情」をビジネス上の売りにしている男女もいるが、これらの人々は多く詐欺師であり偽善者である。
本当の人情家は日本人でもそれほど多くはないと思える。
それらの人の特徴をひとつだけ挙げるとすれば「お節介」というものだ。
この言葉は相手の受け取り方を無視して「情を与える」傾向があって、ホンモノの人情家である可能性が高い。
本当に相手のことを思っている人はいくらか「こまかい」し「ウルサイ」し「怒る」し「叱る」し「直言家」で「お節介」であるけれど現在の医療制度、教育制度はこれらの人情家先生の存在をそれとは意識せずに排除しようとしている。

儒教の始祖である我らが孔子様も適当な「お節介」は良いことだとその言を論語に述べてある。
日本人や日本国の「売り」が人情であるならばひとつの戦略としてそれを売って一定の経済効果を発揮できると思える。
国を挙げての「人情国家」は普通ビジネスや戦争では不利に見えるが、少なくとも観光や敗戦国の処遇のされ方については有利に働いたかも知れない。
先の大戦では戦勝国が幸いにして米国で精細に「日本研究」をしていて、天皇制の重要さや国民の人情家ぶりを忠臣蔵という物語で知っていた。
結果、多くの日本人がアメリカの善意と知識に救われたという一面も否定できないのである。

ありがとうございました
M田朋玖



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