コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 空2018. 8. 3

7月も晦日を迎える頃には早くも夏の盛りのウチにも秋の気配を感じさせられる。
蝉の声にも勢いの微かな衰えを、そして日没の早さ、夜明けの遅さ、僅かな太陽光の陰りは鬼のように怒った入道雲を丸い金属のように輝かせながら確実に「夏の終わり」を人々に告げているかのように見える。

何と南西方向に驚くべき迷走をした台風も真夏の日本列島に大した被害を及ぼさずにいるものの、台風の第2弾に南から迫られて、北からの高気圧に押し戻され迷い子のように日本海を彷徨っておられるようだ。

毎朝毎夕ベランダから南の空を眺めていると、その表情の豊かさに驚かされる。
特に夏の朝と夕暮れは、その時間が前後に長く仕事を中心とした1日の時間の中で光球の顕れるさまと隠れゆくさまをまざまざと観察できるのでとても有難い。
しみじみと拝むように・・・。
太陽の昇るさまと沈むさまとそれらにともなう初照と残照には語り尽せないほど多彩で、その色どりはまるで映画やテレビの中の見事な風景などよりもリアルで迫真に迫った、美しくも感動的な自然の映像、パノラマを魅せてくれる。
わざわざ旅行になど出かけたり映画や名画を見に映画館や美術館や博物館などに入館したりすることもあるまいなどと考えている。

元々、人工物即ち人間の造った物品や芸術などより人間そのものとか日常の自然のありさまに感動するタチのようで、最近はテレビのスイッチを入れることを意識してやめてベランダでくつろぐようにしている。
田舎住まいの有り難さ。毎日それらの朝夕の感動的な「空」の美しさを心ゆくまで堪能できて嬉しい。
時々吹き流れる夏の涼風がとても心地良い。ベランダとビールと音楽のマッチング。
ついでに夜といっても余程の暗夜、即ち新月「朔」でなければその空の表情豊かな顔を拝むことができる。

夏の夜、秋の夜、冬の夜、そして春の夜。
それぞれ特有の「顔」を持つ空。
その空とベランダの椅子に座り、或いはコンクリート造の柵にもたれてビールグラスを片手に対面する時、それらのにちにちの驚くべき変化に感動しないワケにはいかない。

神の逆鱗に触れるかと思われるほど太く、重く、荘厳にとどろく雷鳴や稲光、そしてそれに続く激しい土砂降りの雨の日ですら「空」をしっかりと観察していると、何かしらの美を持つ彩りを放って地表を照らしていることを確認きる。。

今夕は「赤い」夕暮れであった。
暗い灰色とピンクと青の入り混じった不思議な色で、全体として赤い。
東京とか大阪などの都会でよく見る空であった。
重く垂れ下がった雨雲のために月や星は見えず、いくらか平板な古ぼけた劇場のすすけたカーテンのような色合いでベランダの眼前に悲しそうに広がっていた。
「空が泣いている」そんな風に思える不思議な大気を前にすると、気分も沈んでくる。
とりあえずスマホのカメラで映像に収めたものの登録して「待ち受け」にすることはあるまい。

今現在の待ち受け画面は鮮やかな青空と朝日に照らされた殆んど純白と言える雲で構成された心をとても深く癒やしてくれる画像であるのだ。
「待ち受け」というと同年輩の男女は「孫の写真」をそれにしていることが多い。
・・・時々それを見せられたり覗き見たりさせられると、他人の孫など可愛いとも何とも思わないし、その当人ですら「孫は可愛いくない」と言っているのにまるで国から法律で強制されたかのように知人の多くがそろいもそろって「孫の写真」でゲンナリしてしまう。
それ(待ち受け画面を孫にしているスマホ)を持っている当人がお爺ちゃん、お婆ちゃんでることをあらためて自覚させられて、自分のことを「若い」と見られたい、思われたい、思っていたいという「意図」に逆行しているのではないかと思うのだ。
自分のスマートフォンを開くたびに「可愛い孫の顔」というのは、ご当人はそれなりに心が和まされ癒やされるのであろうけれど第三者的にはどこかしら奇妙に思える、同年輩の人々の習性だ。
自分も孫ができたら待ち受けを「孫の写真」にするのであろうか。

筆者の今の旬は「空」である。
最初は夕暮れの月を撮った深いブルーの多分に幻想的な空の映像であったけれど、次に撮った朝の空はとても美しい青と白の明るいモノで、スマホを手に持って開くだけで「瞬殺」自らの目と脳を射て素晴らしい思い出の「夏の日」に心を運んでくれる。

「あの夏の日はいったいどこに行ってしまったのだろう。」
これは毎年やってくる夏についての筆者の感想の常套句である。
水温が高くなり過ぎて早々と7月下旬にはクラゲの大量発生した海には入れず、多忙と疲労のためにそこ(海)にも行けず、今や心を愉悦にあふれた天上に飛ばしてくれるのは空だけになったような気がする。
ひどく情けないことにバイクとバスケを調子に乗って楽しんでいたら腰を傷めてしまってバスケはともかくバイクが億劫になってしまって、それにまたがって夏の熱した大気と格闘する気が起きない。

それなら「バスケを休んだら」と人から言われるが何故か腰にコルセットを巻きつけて骨折した指には厚くテーピングをして汗だくになってバスケットボールに興じている。

「言っていることとしていることが違うじゃん」と言われるが当施設に勤務するリハビリの名人とその弟子が腰痛の原因と治療を施し、その養生の方法を助言してくれたお陰で痛みが軽くなったらいきなり「バスケの練習」であるから多分自分は「バカ」なんだろうと思える。
精神はともかく肉体はいずれ滅びてしまうのであるから使えるウチに精いっぱい使っておけ・・・というのが筆者の人生観だ。
時間と健康は貯めることができない。

「空」をつらつらと眺めていると、昔大学浪人時代に過ごした鹿児島市の一年間を思い出す。錦江湾の沿岸を走る国道10号線から眺める桜島は毎日その表情を見事なほど劇的に変貌させ見る人少しも退屈させない。この素晴らしい眺望は鹿児島人の県民性にも少なからぬ影響を与えているようで、熊本人のそれとはいささか異なるように見える。それは「変化」に対する受容性で、何事もみな豹変と呼べるほど変わってしまうものだという感性ではないかと思える。それが証拠に明治維新という日本国に起こった歴史的な国家の変革も、ご存知のように、薩長即ち薩摩(鹿児島)と長州(山口)から起こっており、両地が異国に接する「島の先端」に位置することからくる一種の危機感とか進取の気性とかの性質に拠ると思える。
当地のように盆地であるとここら辺の感性が育ちにくいと考えられるが、空を頻繁に眺めることでいくらかそれらの気性を取り入れられるような気がする。何しろ夢や野心願望を心に抱くことを「青雲の志」などと表現するではないか。少なくとも口を堅く引き結んで、地面ではなく「空」仰ぎ見ているさまを想像させる言葉だ。
母方の親族にはひとつのジンクスがあって、それは鹿児島に一時的でも滞在して学べば「出世」するというモノであつた。

ありがとうございました
M田朋玖



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