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■ 墓参り族 | 2018. 8. 1 |
職業柄、街で知り合いに出会ってもあまり声をかけたり挨拶をしたりはしないようにしている。 多少無礼と思われても口の軽い医者とか、不実な男と思われるよりマシだ。 医者には当然ながら「守秘義務」というのがあるので、特にその知り合いが患者さんであった場合、殊更に「知らんふり」を決め込むことにしている。 時々は相手が顔を背けたり、隠したりする場合、尚更である。 「人の秘密を守ってあげる」のも大切な仕事のひとつだ。 何でもかんでも人に話さずにはおれない人々がいる。 それは主に八白土星の人で、秘密を保持するのが苦手な人達だ。 ただしこの星の人は「口が軽い」という印象を人に与えない。 公明正大、白日天碧、とにかく白黒がハッキリしていて清々しい。 ただし所謂暴露本の著者が多いので医者や弁護士など秘密を守るのが仕事の人の場合、雇い入れると後々暴露本を出されるかも知れないと「心配」してとりあえず頭に入れておいた方が良いようだ。 筆者の場合、基本的に「秘密主義者」なので占いの本にも「医者に向いている」とキチンと書いてある。 人の秘密を聴く立場にある以上、これは大原則で警察官なみに口を固く閉ざして、たとえ匿名であっても人に語らないようにしている。 自分自身のことについても男女関係にしてもそのようにしているので、アタマの中は常に「秘密」でパンパンに膨れ上がっている。 冒頭の「知らんふり」はまさに「大人の作法」である。 子供の「いじめ」のように人の事をとやかくかしましく述べ立てて自分の品を落としたくないので噂話にはできるだけ加わらないようにして用心深く、人の事はそっとしておいてあげることを「礼儀」の中心に据えていると言っても過言ではない。 年齢を問わず人間の男女の間には色事が生じる。 これは至極当たり前のことで、年がら年中「発情」しているのが健康な人間というもので、その個人の生命力、バイタリティーの根源でもあるのだ。 まさに「英雄色を好む」の言葉どおり昔から帝王とか殿様とかの身分の人々は多数の女性との関係を持ち、それを楽しみ、エネルギー源としてさまざまの「支配的行動」をして来た。 またしかし、その「色事」が自らの転落の道筋の通過門になったりするので付き合う女性には細心の注意警戒を要するが、悲しいかな多くの英雄ではない男どもも好みの女性が現れると無闇やたらにアタックして「わが物」にせんと活発に動きまわりその実りを得ている・・・というような癖のある男を指して「女癖の悪い男」と呼ばしめるのだ。 一般に男女共に不倫は運気を落とすとされるが、当人達にとってはこれほど面白く秘そやかで悦楽に満ちた遊びはないらしい。 まさしく「禁断の喜び」「秘め事は蜜の味」だ。 それらの男女間の出来事について見て見ぬふりの出来ない女性が時々おられて、周囲や組織を混乱させることがある。 意外なことはそのような不埒な出来事に対して色々と文句をつけたりする人物は「清廉潔白」な人々ではなく、自らも不倫の当事者だった経験を持って、その不倫の果てに「幸せ」を掴んだ・・・というような男女、特に女性が多いのには驚かされる。 自分が不倫(実質的に人に嘘をつく)をした人が他人の不倫が気に入らないのは当然なのかも知れない。 その喜びと苦しみを知っているので、その喜びの方に強い嫉妬心を抱いてしまうのではないかと想像している。 つまり自分が満ち足りている・・・平穏な結婚生活とか男女関係が表面的にうまくいっているかどうかではなく、実質的・本質的に満たされている状態、即ち「愛し愛される」がお互いに殆んど均等に営まれている時にはそれらの嫉妬心は湧いて来ないと思える。 これらの状態は当然ながら期間限定で「恋愛状態」というのは多くの研究によれば「4年」とされている。 もしかしてそれ以上の関係性がつづいているのであればただ単に相性が良いというだけでなく情とか愛とかが生まれているのかも知れない。 ひょっとして純愛と呼べるレベルまで深化しているのかも知れない。 けれどもそれは水面に生える浮草のように儚く脆い関係であるのに、いかにも鉄壁の「愛」が存すると勘違いしている人々が多いのには驚かされる。 人間の心はいつもうつろいやすく、はかないものなのだ。 特に性欲や金銭欲に基づいた低レベルの関係についてはそのはかなさが流れ雲のように消えてゆく運命であるのにそれを信じてしまうのは何故なんだろうと考えた時にやはり「心を信じる」即ちそれらの関係者の「信心」の有無にかかっているような気がする。 不思議なことに表題に挙げた「墓参り族」は不思議な繫がりの強さを示して、元々は「はかない」筈の関係性を長く持続させていることがある。 これらの「族」は不思議な御縁で出逢い、繫がり、恐ろしい不運を遠ざけ、生きてその愛を全うしたりするから本当に人生のめぐり逢いというものの妙を心底実感させられる。 多くそれらの人々が「墓参り族」であり、親しく集い合ったりもする。何かしら奥の深い所で繋がっていてまるでひとつの「血族」のような集団を形成しているのではないかなどと想像してしまう。 墓石のという天からの信号の通信基地のような霊的建立物は、その地中にはまた「地球」と名のつく球体にあまねく張り巡らせられた根枝で繋がり合い、それに訪れて礼拝する人々を集い合わせているのかも知れない、などと妄想している。 また不思議なことにそれらの霊的習慣を持たない人々は幾らか弱い引力磁力しか有しておらず、どんなに素晴らしいご縁であってもいとも簡単にその豊かな関係を破壊して、まっとうな後悔すらしないことが多い。 またまた不思議なことに他の霊的行動、たとえば神社参りなどをする人々もまた同じように廻り合い結ばれていくようで、これは産土(うぶすな)の神様に祈りを捧げる行為であるから、その土地で生まれ育った人が偶然知り合うことと同レベルのチカラを持つようだ。即ち袖すり合う「縁」を生かし何かしらの展開と実りを収穫するようである。 ありがとうございました M田朋玖 |