コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 偽医者2018. 7.20

最近は聞かなくなったが、少し昔には結構世間に出没してマスコミを騒がせたことがよくあった。
それらの偽医者は概ね親切で患者さんからの評判の良い偽物と言えども侮れない表現形として「良医」だったりすることが多い。
法律上は医師の資格を持たない人間が医療行為を行うのはレッキとした犯罪である。

それでもその行為そのものは純粋には善行であることが多い。
即ち人を癒やし、痛みを取り、ひょっとしたら治癒させていたかも知れないからだ。
マスコミや世間的には「天下の大悪人」のような表現をされるがコトの本質はそれほどのモノではない。
勿論外科の偽医者かなんかで適当に人のカラダを切り刻んで重い後遺障害を残すとか失敗して死に至らしめたりする場合は全くもって重大犯罪者であるが一般的な「偽医者」はそういう乱暴なことはしないものだ。
社会の片隅でひっそりと隠遁者のように「仕事」をしているのが普通であると想像される。
前記した乱暴な医療行為はむしろ本物の医者の方に多く見受けられる。

以前NHKのドキュメントでもあったイタリア人のスター的名外科医はいかにも自信たっぷりに、よく考えてみれば荒唐無稽な自説に基づいて「雑な手術」を数人の患者さんに施して全員100%死に至らしめた事件があった。
その後罪に問われたという話は聞かない。
本物の医者による医療行為というものの方が偽医者のソレよりはるかに危険なのではないかと考える時もある。
その自信家ぶり(本物の医者)によって・・・。

あまりに自信タップリな医者には用心したい。
敬虔な祈りを込めて謙虚に、幾分厳かな気持ちで取り組むべきなのが神聖な本物の医療行為と呼べるものではないだろうか。
筆者の在学当時の母校・東海大学の産婦人科の教授はとても立派な人で比較的簡単とされる帝王切開の手術の時にも母体に手を合わせ、こうべを垂れて祈った後からしかメスを入れなかった。
多くの外科医はそのようにするものなのであろうかと想像している。
この先生の学内での有名なエピソードで、或る時術前の検査で全ての診断が明瞭に確定していたにも関わらず、手術直前に「オカシイ」と判断されて手術施行を取りやめ、あらためて検査をやり直したところ悪性の細胞が腹部全体に播種していたことが判明した。腹部の切開をしたら大変な事態になるところを寸前で危なく中止することが出来「最悪の事態」は免れることが出来たと伝聞で知った。

筆者は外科医ではないけれど人が人の体にメスを入れる、切り開くというのは具体的には「傷」をつけることになるので慎重になるのは当然のことと思える。
精神科医やカウンセラーの「言葉」もメスと同じように鋭く心を切り裂くことがあるらしく、現実に「言葉」によって死を後押ししてしまったという話を時々聞く。

薬物についてもアナフィラキシーショック(アレルギー反応の強く出現する状態)を惹起するとか重篤な皮膚症状である「薬疹」とか「スティーヴンス・ジョンソン症候群」などの重い副作用の問題もあったりして、投薬についても当然ながら慎重な対応態度が肝要である。

主として投薬治療や生活指導などの助言や注意を業とする内科医の場合、偽医者と本物医者の差異と言ったら「資格」の問題だけなのかも知れないと考える。
こと治療に限定するなら偽のお医者さんの方が巧みかも知れない。
それなりに調べたり勉強したりするワケであるからコトによったら本物よりもその慎重さ、綿密さによって優れているかも知れないと思える。
何しろ無資格なのであるからかなりの「ひけ目」があって、よくその疾病について勉強をするだろうからである。
今は「グーグル」とかいうスマートフォンに便利な機能があって、疾病治療についてはヘタな専門書・医学書より分かりやすく丁寧に書いてあるのを誰でも簡単に読むことができる。
特に薬剤について調べると治療上好もしくないような副作用についての文言なども出て来て立場上いくらか困惑することも多々ある。

ただ筆者の個人的な考えではどんな人も「医療情報」にどんどんアクセスできることは良いことではないかと思えるし、医療者・治療者の側もそのことを或る程度諒解した上で患者さんの治療に臨むべきであると考えている。

このような時代であるから現在日本国に存在するかどうか不明であるが偽医者からすると「素人」と「玄人(医者)」の差異が小さくなってきて益々仕事がしやすくなっているのではないかと考えられる。

医師免許証というのはお持ちの方はご存知と思うがチョット大き目の卒業証書くらいの額に入れて飾ったらさぞ見栄えが良いだろうと思えるような代物で、もしかしてこの実物が手に入ったら運転免許証のように写真もID番号もついておらず、誰でも「なりすまし」て医者のフリをすることができるでのはないかと少しく懸念している。
現在はどうなっているか知らないが・・・。
勿論、当の免許取得者本人(本物の医者)ならば再発行も可能であろうけれど地域によってはまだ医者不足が深刻な昨今、偽医者の出現も今後あり得るかも知れないが・・・などと余計な心配をしている。

こうして考えてくると医療というものの技術レベル、知識レベルは現実的にはマチマチ、さまざまでこの多彩多様さが医者という存在の面白さであり「妙」であると思える。
先々の未来において医者がロボットになってカプセルに入ってボタンを押したら診断と治療のすべてをやってくれる時代が到来するかも知れず、現在呑気に医者仕事をしているが実のところ安閑としている場合ではないかも知れない。
実際に「パッセンジャー」という米国のSF映画でそういう医療治療機械が「出演」していた。。

20年前より精神科医療にも携わって来た関係でその治療、薬の選択についての「味つけ」というものの難しさ、妙味について少しく腕が上がった感じがするがこれも自らの絶えざる「不確実性に立ち向かう能力」即ち正当な開拓精神の賜物で、これがないと医者の腕の上達は未来永劫ないかも知れない。

こう考えると医者と偽医者の真の差異と言ったら、安心して「不確実性に立ち向かう能力」「開拓精神」に他ならず、そうでなかったら「グーグル」と「今日の治療指針」という毎年発売される「教科書もどき」と首っ引きで仕事をしている何年たっても腕の磨かれない、表現として「新米医者」のまま一生を終える可能性の有無であるかもしれない。
即ち「医療はアートである」と述べられた母校医学部の教授の言葉の通り、患者さんと医者で一緒に「創造」していくのが「医療」の本来の様態であり、日々成長進化発展していなければ本物医者と言えども偽物と何ら変わりがないと言えるかも知れない。情報や知識がこれ程誰でも簡単に入手できるようになった昨今、医療における「アート」「創造」という側面がさらに重要になってきた気がする。偽医者には負けられない。それが存在するかどうかの問題でなく。また「アート」というくらいであるから、求められるのも当然「美」になるのは言うまでもない。これに「真」「善」と来るが、これについては後述したい。

ありがとうございました
M田朋玖



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