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■ 発狂 | 2018. 6.14 |
「五月病」なる言葉があって、確かに4月から5月にかけて気がおかしくなる人が多い。 まず第1に「眠れない」または日中「眠い」「やる気が出ない」中には「死にたい」とまで考える人が出現している。 「五月病」とは即ち「うつ病」「うつ状態」を指す。 原因は諸説あるが、現時点では明確なモノはない。 性的エネルギーの亢進増進がその「はけ口」を求めてその肉体と精神を苦しめるのかも知れない。 即ち出口のない迷路、詰まってしまった水道管、膨らみきった風船、便詰まりの腸管などスムーズに流れない精神と肉体のエネルギー状態が特に精神の不調を来たすのではないかと考えている。 自らのエネルギーの奔流を受けとめてくれる適正な相手がいて、その関係性が順調であるとこれらのネガティブなエネルギーがくるっと反転して逆に素晴らしい幸福感を味あわせてくれる。 人間という生き物も面倒臭いモノである。 5月になると上記した理屈から多くの人がさまざまな異常行動をする。 愛情問題のもつれから瞬間的に愛と欲望を混同し「発狂」してしまうのだ。 こういう時、肉食やアルコールは症状を重くさせる。 菜食とか読書とか瞑想とかスポーツとか性的エネルギーを鎮静化させてくれる手段を選択すれば良いのであるが、多くの人は逆の選択をして「発狂」の度合いを深めてしまうようだ。 たとえばより強い「刺激を求めて」あてもなくさまよう・・・というような行動である。 パートナーがいない場合、性的行為をして「処理」をすれば良いのであるが、色々な事情があってそれらの行為すら出来ない人の場合、まさに狂人のような行動に走る人がいて結構悩ましい。 時に殺人事件まで起こったりする。 酒を飲み、愛欲にまみれていると刃傷沙汰になりやすいので気をつけたい季節だ。 6月になって梅雨になると少し治まってくる。 こういう時、何でもかんでも「セルフな人」は便利だ。 相手を必要としない人を「セルフな人」と勝手に分類しているが、何かしら誰かのサービスを要する人、即ち「サービスな人」と分けて考えるとこれらの理屈が理解しやすい。 「セルフ」と「サービス」と両方、適宜使い分けて生活すると楽で楽しいが、誰もがどちらかに偏していてそれらに拘る傾向がある。 最も良いのはどちらでも良い、どちらにもなれるのをベストとするが、これを「ベストな人」とこれまた勝手に呼称している。 大方の人は無意識に「ベストな人」をしているが、時に「セルフな人」「サービスな人」にかたより、捉われて苦しむことがある。 時々「サービスな人」の傾きが強い人の場合、常に誰かを必要とするのでとても面倒臭い。 犬や猫などのペットを飼ったり色々な付き合いに興じたりと何かと忙しいが、心の中はいつも満たされない。 「自分と一緒にいない」からだと想像される。 その点「セルフな人」はとても便利である。 その知性と教養に応じて孤独を恐れず自由自在に人生、生活を楽しむことが可能だ。 少なくとも「発狂」しにくい。 絶えず自分と向き合っていて自分を喜ばせよう、楽しませようとしている。 最も良くない精神の状態とは「自己嫌悪」というヤツで、これはうつ病などの精神疾患でも起こってくる。 これは心理学とか人間関係の問題ではなくて単なる脳の化学反応であるのだけれども、そうとはご本人が感じないとか考えられなくて悶々とすることがある。 こういう場合、眠れば治るとか運動やアルコールやさまざまな遊興事で治ると信じている方もおられてヤヤコシイが、さっさと病院に行って抗うつ剤とか抗精神病薬を貰って服用すれば速やかに治ることがある。 けれども親や配偶者や知人友人やその他さまざまの「周囲の素人」がマチガッタ助言や提案をしてそれらを受け入れて薬を飲まず単なる精神安定剤とか睡眠薬とかアルコールに頼って少しも良くならず、即ち少しも「眠れず」「元気にならず」悶々として、時に発狂したかに見える場合があって、これまた誠に気の毒であるが相変わらず「薬は毒」だとかのメディアや雑誌の情報を信じていて「救われない人々」が結構多い。 また人を発狂させる力を持っている人物がおられる。 これらの人は世の中に約10%程度おられて、これまた物事をさらに複雑化させることがある。 こういう有害な人物が「薬は毒」ということを述べると事態は極めて深刻になるが、意外なことにこれらの「有害な人物」は薬に肯定的だったりしてキチンと説明すると案外スンナリと受け入れてくれたりする。 いずれにしても「季節」と「人」と「アルコール」は人を癒やしもするが傷めもするので用心したい。 知恵、知識、経験の豊富な医者というのは有難い存在であると思う。それらの割合は今のところ不明であるが、現時点で意外に多くはないとしておこう。 エラソーに書いているが救える人がいっぱいいるのにさまざまな事情から救えない、発狂している人もいていつも今時は悩ましい。 最近、少し自分は救えるようになった気がする。 それはヒントとして「霊的行動」言わゆる「信心」と「食事」ではないかと考えている。 このアイデアについては後述したいが、確信めいた理論理屈を持っている。 ありがとうございました M田朋玖 |