コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 幽霊2018. 5.14

一度だけ見たことがある。
小学校の時だ。
深夜に目が覚めてトイレに行き2階の窓の外を何とはなしに眺めていると、すすけたカーキ色の軍帽を被って、同色の肩掛け鞄に戦時中の軍服姿の兵隊さん。足にはゲートルを巻きこちらに向かって歩いて来て、家の南側に位置してあった銭湯のブロック塀をスーッと通り抜けて家の中に入って行った。
当時それを見て怖いとも恐ろしいとも思わず、また不思議とも考えなかった。
子供の目ながらあまりに自然で、普通で、とにかく戦争に行った兵隊さんが亡くなって幽霊になって帰って来たのだということを理屈抜きに諒解し、また人に話しても信じてもらえない筈だからこのトシになるまで誰にも話さずにいたところ、或る夜の店でたまたま幽霊の話になりこの話を聴かせたところ、その店にアルバイトで働きに来ている20才代の女の子が何とその銭湯の持ち主の家の曾孫であった。

この話を黙って聴いていたその女の子が言うには「それはひいジイちゃんだ」と。
どちらかというと淡々と明言し、その遺影即ち軍装姿の曽祖父のそれを自分の家の床の間の壁にかけてあるのを子供の頃から見て知っているということで、この幽霊話もやっと陽の目を見て堂々と人に語れるようになったという次第である。

多くの日本人の場合、こういう話を信じない人は少ない。
自分自身も数々の幽霊話を聞いていて、それがかなり恐怖じみたスリラー仕立ての物語から涙を誘う悲恋物語までさまざまにあっても概して皆さんと同様に概ねそれらを信じている。

我が家にも幽霊が出入りしているようで、それは現時点で事情があってつまびらかに出来るものではないが、どちらかというと「いてくれて有難い」「嬉しい」という存在である。

ただし大人には見えにくいモノらしくて、我が家の幽霊を実際に見たことはない。
それはその人の遺影が幼少期から最晩年まで壁いっぱいにペタペタと何枚も飾ってあるからかも知れない。
その人と一緒にいるという感覚が湧き起こることもあって、幽霊で出て来てくれたら逆に嬉しいと感じていることが多い。

それでも中には生き霊、怨霊のように好ましからざる霊もあるようなので、そうそう歓迎ばかりしてもいられるワケでもないけれど、幽霊と聞いて無闇やたらに恐れオノノクということはない。

ただ地縛霊とか浮遊霊とか不浄仏霊とか悪い因縁のある霊が種々あって現世でも良からぬ事件や事故を惹き起こすことも多々あるようで、除霊とか祈祷とかお祓いとかを専門の人に頼まざるを得ない深刻な状況とかそれらの憑りついた土地や家の場合、不動産物件としてもその価値に大きな悪い影響を与えることもあるようである。

霊の存在については、特に守護霊(欧米では守護天使と呼ぶらしい)についていつもその存在について感謝していると自分を守ってくれるだけでなく、願望実現も手伝ってくれる・・・とロシアの物理学者も断言していた。
これは日本のお金持ち、斎藤一人というマルカンという漢方薬の会社の社長さんもその著書や講演CDで度々述べておられる内容と同じだ。
物理学者と商売人の言っていることが同じというのも面白い。

幽霊と守護霊は似たところがあって、どうも自分の感触では強く思ったり感謝したりしているとしっかりと自分を守ってくれるような気がする。
協働してくれるような実感がある。
それでもご先祖の霊が一番のようで、個人の盛運家運についても「お墓参り」の重要性を色々な研究者の人がキチンと説いているが信じない人も多い。

それらの信じない人は何回か刑務所に入ったり犯罪事件に巻き込まれたり、子供が引きこもりになったり結婚しなかったりと、こと家運の発展隆盛については或る程度正しい知識を持って実行した方が安全であろうと常々考えている。
また個人的に、無自覚にしてしまっている不徳背徳をいくらか・・・というかかなり取り払ってくれるような気もする。
罪穢れを清めてくれる・・・そんな感じである。

色々な窮地を救ってくれたのは自身のこの「墓参り」の習慣なのではないかと時々思うことがある。
それらの出来事があまりにも奇跡的過ぎるからでもある。

毎週木曜日と土曜日の午後には父の大好物だった銘柄の2カップの焼酎を持ってお墓参りをするのが習慣になっている。これは母親の遺言でもある。
バイクに乗る前にもする・・・。

おかげで妙な幽霊とか見ないで済んでいるのかも知れない。
幽霊を含めて「霊の見える人」というのは結構若いらしい。

昔「シックスセンス」というブルース・ウィリス主演のアメリカ映画があってナイト・シャマラン監督の出世作で、主人公の少年が霊と話ができるという物語で結構その少年も「苦しそう」であった。

冒頭に合った幽霊の実在がとりあえず証明(?)されたワケであるのであるから守護霊・先祖霊の存在も理屈的には理に適っていると思える。
件の曾祖父も、家の前の銭湯のオーナー一族を、戦争で亡くなって英霊となって帰宅し子孫を守ろうとしていたのかも知れない。それがなんで昭和30年代後半とおぼしき時期なのかは不明である。
「戦争に行ったり、出征して死んだ人を家族に持っている一族は幸福であるらしく、強力に「家」を守ってくれるそうである。
それでも条件があって、残された家族の先祖への畏敬とか供養、尊崇とか感謝をエネルギーに依存するようであるから、それらの行動を普段から日常的に正しく行っていることが家族や自分一身の身を守ってくれ繁栄に導いてくれるのであろう。

ご遺体を必死で探そうとする日本人。またそれらを丁重に葬ろうとする日本人。
それと同じように自らの親に連なるご先祖を祀る、敬う、感謝することがどれだけその個人や一家の利益や平和、繁栄に益するかワカラナイ。

ありがとうございました
M田朋玖



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