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■ 少年時代 | 2018. 4. 7 |
小学校時代の記憶は3才下の弟や8才下の妹ほど鮮明ではないが、いくつかおぼろげながら覚えている出来事があってそれを書いてみたい。 小学校低学年のある時、高熱を出し寝込んだことがあった。医者である父は、筆者のことを少しも診てくれず、母親の手篤い看病みたいな世話もなく、古い日本家屋の2階の北向きの廊下に敷かれた布団の上でウンウン唸っていた。そこに母方の禿頭の祖父が現れて枕元に座り、数珠を揉みながら何やら呪文みたいなモノをとなえてくれていたので、自分はこのまま死んでしまうであろうなあみたいなことを子供ながら思った。 その呪文のおかげかどうか不思議なことに40℃以上あった高熱も無事に下がり、口の悪い叔父たちの言う「脳膜炎」にもならずとりあえず何とか正常に近い脳に保たれたとほっとした。当時は高熱が出ると脳がヤられると単純に考えていたものだ。 また或る時、頑固な腹痛で苦しんだ。 この時も父親は診てくれず、「お腹は冷やせば傷める」の逆に「腹を温めれば良い」と考え炬燵の中に潜ってみたり、お風呂に浸かって温まったり、毛布をかぶったりしたが、当然ながら一向に痛みが消失する気配がない。 とうとう数日後の午後、父親の親友の小児科の開業医であるT先生に往診していただいて診てもらうことになった。 この先生はとても真面目で立派な先生であったが、「これは急性の虫垂炎で腹膜炎も合併しているのでただちに外科の病院に入院させねばならない」と、当時の父に叱りつけるような勢いで言い渡したそうである。 ちなみに父は外科医で虫垂炎の手術はお手のもの。無医村の診療所にいた頃には独りでその病気の手術を巧みに行っていたらしい。 とりあえず、めでたく入院となったのであるが、その約40日あまりの入院生活は、死ぬほど退屈であった。 また普通の虫垂炎のようにすぐに術後の傷口を縫い付けてしまうわけではなく創部を開けたままで毎日看護師さんがガーゼで消毒をしてくれるのであるが、その作業が物凄く不気味でオソロシカッタ。 針金みたいな金属の棒(ゾンデというらしい)で消毒用ガーゼ腹部の傷口に穴に深々と突っ込むのだ。 今なら卒倒するかも知れない。 それと夜尿症だ。 今夜こそそれで失敗するまいと一晩中起きていると決心して頑張ったけれども朝になるとやっぱりダメだった。 ・・・みたいな結果で40日間1日も欠かさず律義に、真面目に病院のベッドの布団を濡らした。 勿論対策としてビニールのシートを敷いてあったけれども、子供ながら恥ずかしくて仕方なかった。 この夜尿症の治療の為には、退院後に母親が色々な病院や祈祷師やお祓い所に通ったが軽快せず、果ては夜尿症に効果があるとされるトリプタノールという薬を飲まされ、翌日の朝起きれず学校でも一日中ボーっとしているという状態になったが夜尿症そのものは少しも良くならず寮生活を始めた中学1年から2年までつづき高校に上がる頃にようやく自然に治った。 或る時は夏休みの宿題が完成せず学校をサボったところ母親にバレて柱に縛りつけられて折檻されたりした。 また或る穏やかな初春の朝には、気まぐれに学校をサボって小学校のある丘の上の土手にある草むらで心地良く「日向ぼっこ」していたら、見ていた大人に警察に通報されて保護されたこともある。勿論その後、母親の体罰 も施行された模様である。 父親の暴力というのが凄かったらしい。この件は弟や妹が大人になって説明してくれたが少しも覚えていないし、思い出せない。 父親のことを何故かとても好きだったので、自分にとって都合の悪い「真実」など「忘れなさい」と自分の脳が勝手に記憶の奥底に封じ込めて漏れ出さないようにしているのかも知れない。 大人になってさまざまな心理学のセミナーを受けたり色々なカウンセリングを受けたりしてもこの事実や過去だけは今でも思い出せないでいる。 ただし他の人が手を上げたりすると今でも無意識にその手に近い方の肘が反射的に、防御的に上がり顔や頭を守ろうとする「動き」があったり、人にからだを触れられたりする時にビクッとするようで、他の人に時々指摘されることがある。 少年時代の楽しみは夏休みの川泳ぎ、冬はただの地獄。 小学、中学、高校、大学、大人と一貫して続く楽しみは「エロ本」を買うことで、何故そんな物が好きなのか我ながら不思議である。また異常にそれらに執着しそれをコレクションするという趣味があったが、近頃はインターネットの発達の為か良い作品が出回らなくなった。かつての「黄金時代」のような素晴らしいエロ本天国の時代は再来しそうにないのがとても残念だ。 それはもう完全に終焉してしまったようだ。 あのめくるめく映像美はいったいどこに行ったのであろう。 どんなにインターネットで探しても、アダルト店に行っても、アニメであれ、漫画であれ、写真であれ、美とエロスを持った素晴らしい作品に出逢わない。 名画とか彫刻とかの芸術の中にもそれが古典と呼ばれる作品の方がエロくて美しかったりする。強烈に性的興奮を催すような映像美に出くわさない。そもそもそれらの類でも、キタナイ画像は嫌いなので自分の感覚にマッチする作品に出会わない。 現代では或る意味、エロ本不毛の時代で、アダルトビデオの古い作品にそれを少し見出すがそれらはネットオークションでも異常な高値で、現代の若者のそれらについての作製能力の劣化や美的感性の減弱を感じるほどに出来が拙劣である。 これはタレントや芸能人の人気ランキングなどを見ても感じる傾向で、少しも筆者の下半身を刺激するような素晴らしく美しいエロス美を発見出来ない。例えば暫く人気のあった壇蜜とかいうタレントさんなどハッキリ言ってキモチワルイ。もともと子供の頃から成熟した大人の女性が「お好み」のようで、幼稚とか子供っぽいというのは全くエロスを感じない。 世界的に今は何故か「子供文化」「ガキ文化」時代で秋元康という芸能プロヂューサーもその片棒を担ぐビッグネームだ。個人的には結構迷惑している。 筆者の中学のころでも映画の主人公と言えば50歳代の男優に40代、30代の女優さんというのが洋画の定型であったし、子供のくせにそれらの女優さんに発情していたわけであるから、隔世の感がある。 これらの傾向を分析すると、アニメの影響なのではないかと思える。童顔、巨乳、無毛など少しも大人らしいエレガンスのないそれらのヒロインたち。ついでに男性でも嵐というグループの櫻井翔というタレントの顔立ちが変だ。小さな顎と口にドングリ目に濃い真っ直ぐの眉毛、河豚のように膨らんだ頬など大人の男を全く感じさせない。従って少しもエロくない、魅力を感じない。この顔立ちもアニメ顔だ。このタレントさんが所謂「イケメン」であられるらしいのでこれまた驚きだ。 もしも自分がこのタレントさんの顔立ちと髪型を若いときにしていたら「街を歩きたくない」と思っただろう。 そんな風体の若者が街に溢れているのでありがたい。若くなりたいと思わないで済むからだ。 子供の頃の経験は一生続くものであるようで、筆者のエロ本趣味も就学前の大人の雑誌・・・それは「平凡」だか「明星」だかのタイトルで富島建夫というロマンス小説家(のちに官能小説家)の作品が始まりで、その挿し絵の「信子さん」の水着姿が今でも鮮明に焼き付いていて、小学校の6年間の地獄のような精神を何とか救ってくれていた。 「赤毛のアン」のように空想妄想の世界に心を逃げ込ませて辛さ苦しさ寂しさを自ら慰めていたのだ。美しく表現するなら。 ありがたいことだ。まさにエロ本さまさまである。 「夜尿症」と心の淋しさは常に関連していて、それは性的好奇心へと繋がっていくものらしい。 子供の性的逸脱と夜尿症などの泌尿器の疾患は心の治療ですぐに治ってしまう。 今の自分なら少年時代の自分を治しあげれる。けれども振り返ってみてそれらの経験はみな貴重なもので全て今の自分に必要だった気がする。それでもハッキリ断言できることがある。「少年時代」に戻りたいなどとは決して思わないということだ。 ただエロ本趣味だけは残ってしまったようで少し情けない。 ありがとうございました M田朋玖 |