コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 制度設計2018. 4. 5

教育と医療は同じくサービス業であるが、どこの国でも主に官制の制度によってこれらのサービスが国民に提供されている。
この設計にはどの国の為政者も頭を悩ますようである。
何しろ国によっては国民の支持の増減に関わる問題で、究極的にはその盛衰にも影響を及ぼす。

先日亡くなった事実上の国家元首で独裁者であったフィデル・カストロの建国したカリブ海にあるキューバという小国は「教育と医療」を国民に充分に提供することを目指していて建国時の「売り」にしていたらしい。

特に教育については国の盛衰や根幹にかかわる問題であるし、医療については人間の生活上どうしても「生老病死」というぐらいで必要欠くべからざる社会サービスの重要な類の代表であることは周知のとおりである。
日本人の場合、国民皆保険という有難い制度のお陰で世界的に見ても極めて安価に軽微な例からかなり高度な医療サービスまで誰でもどこでも簡単に受療することができる仕組みになっている。

多くの国民は清潔な水道水かスイッチを入れれば流れる電気みたいにあまりに安易にそれらが手に入るのでその有難さを感じていない方が多いのではないかと時々思うが、それらはご存知のようにタダではない。
多くの人々の努力や工夫によって安価に安全に確実に国民に提供されている。
災害が起こると水と食料と電気とガスなど所謂ライフラインの途絶と、少し落ち着いてくると医療についての要請が起こってくる。
こういう状況を経験して初めてそれらの社会的、公的サービスの有難さ、重大さに気づかされる。
「当たり前」が「有難い」に意識変換される瞬間だ。

特に災害復旧に手間取り、避難所生活など不便でプライバシーのない集団生活が長引くと種々の体調不良が生じてくる。
勿論、病気をもともと持っている方々については言わずもがな。
そうでない普通の健康人でも色々な不快感、気分不良、うつ状態、不安症、不眠などが出現してくる。
これは誰でも想像できる精神不調であろう。
つづいて様々なストレス過重による便秘、頭痛、腹痛、めまいなどの多彩な身体症状が出現してくる。

これらを一気に改善してくれるのが精神安定剤であり、睡眠薬である。
実にアリガタ〜イお薬なのであるが今春、平成30年4月1日の医療法改正においてそれらの使用についてさらに強い制限をかけられることになるようだ。

専門的にはベンゾジアゼピン系という上記の薬剤の中心的な薬物についてその依存性、副作用についての懸念からか、はたまた医療費抑制(受診抑制)の観点からの決定かも知れないが、厚生労働省のお役人や官僚の人々は概ねそのような方針であられるようだ。
これに先立つこと数年前からNHKを中心にそれらの「副作用」についてのもっともらしい指導や報道があったりして、そのような制度に持って行くだろうとは予想していたが実際に実行に移される模様である。
ヤレヤレ。

役人の考えることはいつもどうも浅薄というか安易というか短絡的というか非現場的というか全体としてみるといくらか幼稚である。
社会や人間についての洞察について深みがない。
歴史的にベンゾジアゼピン系の薬物の出現は抗生物質とか麻薬性・非麻薬性鎮痛剤とかの出現と同等かそれ以上のエポックメイキングな出来事であった。
人類を幸福にするという意味で。

筆者の限られたボランティア経験でもアフリカの紛争地帯、極貧国ソマリアに出かけた時に筆者が医者であるとことを聞きつけて多くの人が自分のところに集まって来た。
そこは被災害地と同じレベルかそれ以上の環境である。
体調不良が当たり前だ。
それでそれら「苦しむ人々」に個人で所有していた鎮痛剤、抗生物質、精神安定剤、睡眠薬などを渡してあげると「スッカリ良くなった」とか「気分が良くなった」とか「よく眠れて気持ちいい」とかとにかく筆者を拝むように満足げに、嬉しそうに去って行った。
勿論、異国での医療行為であるからその国の法律に乗っ取ってするべきで資格の問題もある筈であるがそんなことをつべこべ言い立てるような文明国の環境ではない。
そもそもそこは粗末ながら大臣官邸みたいな場所であったし、政府の要人の方もおられて、その方々も凄く喜んでおられた。
いかにそれらの薬物が病や苦痛から解放し、人々を楽にし、気分を良好にするか・・・。
この問題はそれらの状況、環境に至ったことがない人々には理解できないかも知れないが。

また昔、医療制度がもっと「単純で素朴」だった頃、多くの優れた開業医のドクターたちは、その直感的洞察から殆どの患者さんの症状がそれらのベンゾ系の精神安定剤でその苦しみや痛みをとり病を癒してきたという歴史もある。それは時に血圧を安定させ不安や抑鬱を取り去るかなり使い勝手の良い便利なおクスリなのである。
その上それらの薬物を常用したからといって世間で取り沙汰されるような「害」など殆ど全くない。人生の長さを考慮した時に苦痛に生きるか楽に生きるかと考えたら迷うことはあるまい。

筆者の3番目の息子が6歳のころ東京の親戚の家に母親と逗留していて原因不明の腹痛に襲われた。この時は病院に行って色々検査しても異常はなく、勿論出された処方薬も全く無効であったが、帰郷し筆者の処方した最も代表的ベンゾ系薬物のジアゼパムを飲ませたところたちどころに治ってしまった。子供にそれらのクスリを出すことは一般の病院ではありえないから、親ならではの大胆で強引な処方であるが理にかなっていないわけではない。

これらの文脈からもそれらのベンゾ系の薬物が大変便利なクスリであり、また安価に簡単に病者を痛み苦しみから救ってくれるかなり便利なおクスリなのである。医療費抑制にも一役買ってくれるかも知れない。

そういう意味でお役人の方々には、所謂御用学者と呼ばれる専門家や経済人の話だけでなく現場に一度は降りて欲しいし、少なくともリアルな想像力くらいは持って欲しいものだ。
そのくらいの知性はお持ちの方ばかりであろうから・・・。

もし今春の医療法が実行されたら少しく混乱が生じるかも知れない。それらのベンゾ系の薬物は地下に潜り、アンダーグラウンドの世界でインターネットや闇で取引され、流通し裏社会の人々の資金源になるか模造薬品、粗製薬品の出現が起こったりしないかと本気で危惧している。

アメリカの禁酒法とまではいかないがそれに近い悪法になる可能性を秘めていると思うがいかがであろうか
まだ施行もされてないのに取り越し苦労であることを祈りたい。

介護保険の改正も相も変わらず「バカのひとつ覚え」のように「在宅」に拘っておられるようであるが「在宅」というもの、自分の家というものが終の棲家として、また不自由な老境を過ごすのに適しているかというと、そんなことは経済的にも現実的にも「否」と即答しておきたい。
少なくとも個人所有の家を「在宅」と限定した場合であるが・・・。
この人口減少で人手不足の時代に「在宅」など実現不可能だと思える。
特に介護者の高齢化、人手不足は既に始まっており多くの人手と手間を要する極めて複雑な「在宅」の支援制度などアホかというくらい時代錯誤もいいところだ。

多くの国民は困っている。
それは制度設計の悪さからかも知れない。
自分たちをアタマが良いと思っている不遇や挫折や病気を知らない「健康人」のエリートの役人に制度設計を任せること自体、問題であると筆者は考えている。

実際に筆者のとても裕福な親戚の叔父夫婦はそろって仲良く自分たちの豪邸を出て介護施設に入所している。
周囲の人からしてもその方が介護者も被介護者も効率的でハッピーなのである。
日本や世界の民間企業の、例えば日本の自動車の設計ほどには為政者とその手下たちの創る制度の設計については「劣と悪」「愚と賢」ほどの差異を感じる。

新しい法改正は少しも実際の、現実の国民のことは全く顧慮されていないように思える。
少なくとも国民を幸福にする法律ではなく、自分たちの勝手な都合(集団的健康管理、医療経済管理)をしているという傲慢な思い込みによって設計されている。

また制度そのものをどんどん煩雑で複雑なモノにていく傾向に歯止めがかからず、今やそれが野放図に、勝手に構築されて多くの医療機関や福祉施設、自治体、ひいては国民をひどく戸惑わせている。

3月初めからいまだに中心的にメディアの遡上に昇っている実に「クダラナイ」文書問題よりはるかに重要課題と思われるが、殆ど表立って報道された形跡がない。フザケルナと言いたい。

制度というものは、もともとその本来向かうべき方向と異なり放っておくとどこまでも複雑化していく傾向にあり行政府の「省」即ち省く、簡素化するという基本や使命を忘れドンドン複雑化するものだという宿命を負っていると自覚してその設計に取り組むべきだと思える。

いずれにしても医療における治療法制限の流れは加速されているようで、それも

『安価でシンプルな方法についてに対して顕著で、不思議なことに複雑で高額で難しい治療法についてはこの傾向が弱い気がする』。

この傾向は全ての医療行為について言えることで何故なんだろうと考えてしまう。この点でも制度の設計者に「素人」臭さとなにやらヨロシクナイ「背景」を感じる。利害のヤリトリを。とにかく高額医療というのは儲かるらしい。それらの薬剤費と治療法のバカ高さには驚愕する。1人分の1か月治療費が一軒の内科クリニックの診療報酬額と同等なんていうレベルもあるようだ。

実際に同じ病名なのに簡単で安価な治療法があるのに高度先進医療などの高額医療については、その金額が莫大であるにも関わらず殆ど看過されており、我々のような市井の零細な医療機関についてほど制限が厳しくなっているように感じる。何かの陰謀か策謀かなどと勘ぐりたくなる。
この点でも何だか素人臭い。ブランドを有り難がる一般庶民の感覚だろうか。

一般企業での人材の配置するときに何となく複雑難解な仕事に取り組んでいる方が有り難く感じると同時にそれらの人々に頼ってついつい重用してしまうというのに似ている。また単純な労務の人々を軽んじてしまうというのにも。どちらも重要さおいて大差ないということに気づくのはかなり哲学的に成熟してからである。

これらの制度から最近は患者さんからのクレームも時々あるが筆者の回答はいつも決まっている。
「スミマセン」。
言い訳や説明をしても解決はしない。制度なんだから。

ありがとうございました
M田朋玖



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