コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 鈍雑2018. 3. 7

最近の映画やテレビ番組を観ていると正直気分が悪くなる。
キタナイ、暴力的、残酷、ファッションセンスがない、酷いなど、見た目の悪い映像と邪悪な事件や物語が次々と映し出される。
美しい女性とか男性とか、気品のある上品な態度や優雅な物腰、優しく思いやりにあふれた言葉も陰を潜め、観ていて心地好くないし、少しも楽しくない。
自分の心の反映か・・・と考える時もあるが本を読んでいるとそんなことは全く無いので少なくとも脳の中、心の中については清潔で美しく上品で、できれば気高くありたいと願ってはいるようである。

ニュース番組でも恐ろしいくらい次々と世界の酷い争いや不正、混迷、混乱を伝えている。
人類が、少なくとも国家の指導者たちは発狂したのではないかと思えるような言動行動をしてみせるので一般国民からすると同じように発狂するか、たとえ正気であってもそれらの人々を狂人と見做して精神的に相手にしないか悪い影響を受けないように工夫することが賢明な判断かも知れない。

人類は本当に古代より成長し、より高尚になっているのであろうかと自問した時に答えはただちに否と即答できる・・・くらい野蛮で粗雑で鈍感で自己中心的で強欲で悪辣に見える。
これでは原始時代の人間達の方がはるかにマシなのではないかと思えるくらいだ。

色々な文明は利器を手に入れて宇宙までも(少なくとも地球周辺については)手に入れ、支配しフルに活用しているのにその精神の方は相変わらず幼稚で低劣で愚昧極まりない・・・というのはいったい全体どういうことかだろうかと考える。

現在世界中の国家元首たちは1950年代が中心になっている。
昭和20年代だ。
これらの人々の教育で失敗しているのだ。
筆者の同年の中国の総書記はご存知、習近平(昭和28年生)、米国のトランプ大統領(昭和21年)、ちなみにオバマ前大統領は1961年(昭和36年)、ロシアのプーチン大統領は1952年(昭和27年)、イギリスのメイ首相は1956年(昭和31年)、ドイツのメルケル首相は1954年(昭和29年)、日本の安倍首相は同じく1954年(昭和29年)、トルコのエルドアン大統領も同年、ついでにフィリピンのドゥテルテ大統領は1945年(昭和20年)、韓国の大統領・文在寅氏もプーチン大統領と同年の1952年(昭和27年)、ちなみに北朝鮮のアトトリ息子・金正恩は1984年(昭和59年)。
ざっとこんな顔ぶれである。

これらの人々の鈍雑(筆者の造語)ぶりには驚嘆させられる。
イギリスのメイ首相、ドイツのメルケル首相、日本の安倍首相についてはいくらか正気に見えるが他は気が違ったのではないかというくらい目先の利益、私利私欲の塊で少しも高い知性とか人間らしい公徳心とか教養というものを感じない。
粗野で乱暴で言いたい放題で欲張りで廉恥心というものを知らない言動、行動ばかりが目立つ。
これらの人が親族にでもいたら強い羞恥心を抱くに違いない。

少し前に「パナマ文書」という国際的スキャンダルが発覚してプーチンや習近平をはじめ、名だたる国家元首や著名経済人が税金逃れの為にタックスヘイブンの国(パナマ)の架空の会社を使って資産隠しをしていたが、その後ウヤムヤになっているようだ。

そもそも政治の中枢にいる人間が資産隠しとか税金逃れをして平気でいられるという神経を疑うが、ロシアはともかく中国では普通のことであるらしい。
世界中の多くの人々は忘れているだろうが、中国や北朝鮮は未だ共産主義国なのである。

ルーマニアのチャウシェスク大統領をはじめ旧東欧諸国の元首たちがいかに悪辣で廉恥のない人々であったかその苛烈な統治のやり方と裏腹にその異様に贅沢な暮らしぶりや蓄財をそれらの国々の崩壊後に一般国民に知られて、民衆によって惨殺された。
いつの世も独裁者の末路というのは凄惨なものなのだ。
最近ではリビアのカダフィ大佐がその好例だ。
イランのパーレビ、イラクのフセインなど枚挙にいとまがない。
短気間にこれらの法則がまざまざと証明されるのは韓国の大統領だ。
政権の交代が起こると必ず何らかのしっぺ返し、揺り戻しがあって元大統領は惨めで悲しい末路を辿る。

それらが分かった上での行動であるのか明確ではないが、中国の習近平にいたっては自己の政治基盤をより強固なものにする為に5年毎で最長2期10年とされていた任期を取っ払ってしまった。
いったいこの先どうなさるおつもりなのであろうか。
怖くてしようがないのかも知れない。
自らの政治決断の為に失脚させられた人々の逆襲とか復讐とかが。

永遠につづく人生などないように、永遠につづく政権などありようもないのに。
ロシアのプーチン氏についてもこれは言える。
独裁者とされる世界の元首たちのありさまは本当に同世代ながら見ていて恥ずかしくなる。
この方々は夜もオチオチ眠れないのではないだろうか。
神経と精神の繊細な筆者ならひどい不安感、不眠症になるかも知れない。
相当に鈍雑な人々なのであろう。

世の中をざっと見まわしても最近では全てにわたって粗雑なモノが増えた。
テレビ番組、映画など・・・。
その点書物や絵画など逆に洗練度を深めている気がする。
それと国産の自動車とか電気製品などの工業製品だ。
外国製と比べそれらの商品群には深い尊敬の念を抱かずに接することができない。
人間だけ鈍雑になるワケではないだろうから、恐らくそれらの直接製作者は芸術家・技術者を含め素晴らしく繊細で完璧主義的感性をお持ちなのであろう。

人間の精神だけがどんどん粗雑になり、鈍感になり、かつて有数の神経質なほどで細やかな美意識と感性を持っていた武士道や華道、茶道、武道の国・日本国ですらも世界中の鈍雑な勢力に呑み込まれてしまいそうなトレンドである。
そしてまた「力」とその「数」の多さにおいて鈍雑は敏細(これも筆者の造語)をドンドン凌駕しており、世界規模で美と清潔と調和が失われ醜と汚濁と不調和が世界中を跋扈しているように見える。

この世界を生き延びで行くには自らが鈍に、雑になるしかないのかも知れない。
人類を進化論的に俯瞰した時に圧倒的に丈夫で長持ち・・・即ち生き延びるのはかつても今も鈍感で粗雑な神経の生物なのであるから。

多くの日本人もそれらに目覚めて、どちらかというと悪辣で鈍雑な連中とわたり合って行かなければならないのだ。

ありがとうございました
M田朋玖



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