コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 名前2018. 3. 6

人生はその人物の名前の影響を強く受けるようだ。
ことにその字画数には。
誕生年月日という数字と同じくらいかそれ以上に名前の画数という数字に運命を支配されてしまうらしい。
最近は特にこの傾向が強くなっているようだ。
凶数の人は特に凶運へ。
吉数の人は吉運へと明瞭に分けられている風である。

先日行われた平昌オリンピックでも活躍した選手の殆んどが外国人を含め吉数の名前を持っていた。
有名人、著名人でも昔より近頃のほうがこの傾向がさらに加速されているような印象がある。
このことの原因のひとつには人々の命名についての知識の拡がりと現代人を囲む環境、特に食事のそれの悪化によると考えられる。

運と飲食の関係との関係については江戸時代の著名な観相家「水野南北」がキッチリとその「節食開運法」で説いているように、食を慎めばあらゆる凶運を避けることができ、完全に実行すれば大吉運も得られるそうだ。
その点で厳しい「節食」をしているらしい容姿と体形の人については、その名前がいくらか凶数であってもそれなりに富を得、名を成すような人々がかつては結構おられた。
現在では殆んど皆無である。
それは現代人の飲食の乱れが顕著になっている証であると考えている。
飲食を慎むことが「あらゆる凶運を回避し、吉運を得ることができる」と水野南北は言い切っているので、自らの運命をふり返って凶だと思える人は思い切って改名するか飲食を変更し、より慎ましやかで健康的にするというアイデアも検討して良いかも知れない。
平穏で実り多い人生のために。

筆者の個人的経験では凶運の人、凶数の人はこれらの助言・進言を全く聞き入れず頑なに自分の名前に拘泥するという傾向があられる。
また食事についても概ね無頓着である。
「頑固な人」「人の話を聞かない人」は元々弱運の人であるから早々にあきらめて何も益になる話などしない方が良い。
こんな風に周囲に思われるということ自体、衰運・悪運・凶運であろう。

人間は社会的動物である。
社会に適合できなくなった人間が生きていくのは大変だ。
心を開いて素直に人の話をよく聞き、社会と自分をうまく適合させ調整し、自己を実現していくのが良い人生と言える。
「あれはイヤ」「これがイヤ」というワガママな人間はこの世の中では気分良く愉しく存在できない。それがいくらか裕福で高い身分を得た人でも同様である。そういう傾向のある人間の生き辛さは生半可なレベルではないと思えるが、自覚がないというか鈍感というか問題の本質を自分の考え方、生き方ではなく周囲の問題、環境の問題、果ては政治の問題とまで考え、思い込んでいる人も時々見かけるが、誠にお気の毒である。

人生の過ぎ行く速度を考えればとっとと名前を変え、食事を変え、適宜適切に時々薬でも飲めば人生もどれほど楽で心豊かで楽しく愉快に過ごせるか分からない。
時間効率も良いと思えるのだけれども。

百円ショップのダイソーは業界最大手で、社長の矢野博丈氏は実際に2度お会いして面識が少しだけある。
御自身が講師をされた月間致知の主催するセミナーで講演後の昼食会で名刺を交換させていただいた。
その後、テレビ番組・マネーの虎で有名になったリサイクルショップ「生活創庫」の堀之内九一郎氏のセミナー(日本経営合理化協会主催)に参加した時に受講者として参席されており、お見かけしたので二度目の名刺交換をした。
元アマチュアボクサーで全日本の強化選手にも選ばれたいくらか短躯の丸顔の同氏は名刺と筆者の顔を見くらべてまじまじと視線を合わせておられたのが印象的だった。

講演中に奥さんに「苦労をさせた」と涙を流す場面もあり感動した。
同社は年商4200億あまり。
日本と世界に5000店舗を有し、お話の内容だとセブン&アイホールディングスの鈴木敏文氏を師と仰いでおられるらしく、しばらく同系列のコンビニエンスストアのセブン・イレブンと近接してダイソーがいくつも存していた時期があった。

本名を栗原五郎というらしく、どういう経緯かは不明であるが矢野博丈に改名しておられる。
殆どパーフェクトな大吉数の字画で栗原五郎(総画34の滅亡運)よりはるかに良い名前だ。
改名というと戸籍上はとても面倒臭いが一般人の場合、ただの呼称であるから芸能人のように変えやすい。
名刺を変えるだけでもかなり効果がある。
これが医者とか弁護士とか司法書士とか、とにかく自分の名前を公文書にサインする機会の多い人にはチョット難しい。
・・・というか名刺を変えたくらいでは改名の効果が出難い。
元々、医者や弁護士の場合、偏業と言って凶名でも構わないそうである。
本来の業務である「人助け」に専心すればのハナシだが・・・。
ただし凶名であると副業とか事業拡大とか多角経営とかはしにくくなるようだ。

こういう言い方には問題があると思われるが一般庶民にとって開運と言った場合、この名前と食事が最も簡単で確実であり、中でも名前は名刺とか呼称とかであるので、こんな簡単な方法はないので誰でも飛びつきそうであるが、先述したように殆んど全く凶運・凶名・凶数の人々ほど変えることに躊躇される。
不思議なことである。

人の話を聞かない凶運の人々の特徴がここでも顕著に出ているようで本当に残念である。
元々強い運気の持ち主と言われている六白金星の人にこの傾向が少ない。
これまた不思議だ。
いずれにしてもたかが名前ごときで本来楽しかるべき人生をあたら不愉快に、不首尾に終わらせるより前記したダイソーの社長のように思い切って改名して人生を新しく創造して行ったらさぞ楽しいだろうと思うけれど、自殺してしまうような凶名の人は殆ど全くこのようなアイデアを採用することはない。
また思いつきもしない。
映画の作品などでも隠れた名作というのがあって、それは名前の付け方、つまり命名を失敗してヒットしなかったなんて例も多いような気がする。
これは字画の問題というより作品の名前の印象・イメージが内容の良さとかけ離れているというケースで起こるようだ。
ついでに中国の国家元首の名前・習近平、北朝鮮の金正恩、いずれも総画が大吉数23画である。
日本の芸能人にもこのナンバーを持っている人が結構おられて加山雄三、松山千春、矢沢永吉などいかにも強運の人達ばかりだ。

吉田松陰という歴史上の人物、松下村塾を起こして日本を代表する偉人たちを育てたが29才で獄死した。
総画30画でやはり凶運の持ち主である。
史実によるとその偉業にくらべ、死に際はとても往生際が悪く激しくもがき、わめき散らしたと言われている。

ありがとうございました
M田朋玖



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