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■ 小指の思い出 | 2018. 2. 7 |
1967年に発売され、その年のレコード大賞を取った昭和の歌謡曲の名曲のタイトルだ。 ご存知のように小指を立てる仕草は女性のことを指す時の、あまりお上品ではないジェスチャーである。 「私はコレで会社を辞めました」という有名なテレビコマーシャルがあって、この作品は禁煙用の器具(?)を売る為のソレで、この時に出演者の中年男性がまっすぐ「小指を立てている」 2018年の1月28日にバスケットの練習中に左手の小指を傷めてしまった。 ボールを掴む時に少し角度が悪かったのか、強いボールに跳ねられた小指の関節が屈曲する側の反対側、即ち背側に反り返るように脱臼して、ついでに骨折してしまった。 脱臼はすぐに自分で整復したのであるが、骨折は翌日のレントゲン撮影で判明したもので、関節部の骨の内側端が欠けて小さな骨片をつくっている。 ヤレヤレ。 バスケでの怪我は何度もウンザリするほど経験した。 それぞれ数年の間隔で傷めた両足のアキレス腱断裂(これには結構不自由した。松葉杖を数カ月要するし、普通に歩けるようになるのにまたさらに時間がかかる。しばらく怖くてバスケが出来ない)。 左肩の打撲(1年間肩が上がらなかった)、前歯の脱臼(前歯4本が抜けそうなのを知人の歯医者さんに深夜救急に診てもらって今もしっかりと生えている。数年かかったけれど・・・)。 プロスポーツならばダメ選手の典型だ。 早々に引退勧告だろう。 特に両足のアキレス腱の怪我は10年越しにそれぞれ片足ずつしたのであるが、走る、跳ぶなどの能力の著しい落下を来したようで、元々自信のあったジャンプ力、走力を想像以上に衰えさせた。 NBAのスター選手でもアキレス腱断裂経験後は競技能力の低下を生じるようだ。 これは自分の経験からも容易に想像されることで、不幸だったとしか言いようがない。 それはアルコールを前日に飲み過ぎた時に発生しているので、筋肉とか腱とかが飲酒の為に固くなるのであろうと考察している。 怪我の予防に準備運動とかストレッチとか殆んど効果がないという説を述べた成書もあったりして混乱する。 怪我や事故は或る意味「運」ではないかと最近は考えている。 世間的な有名人・著名人の伝記や特集番組をテレビなどで観ていると順調に健康を維持し、事故や怪我もなく長寿を全うしているスポーツ選手は意外なほど少ない。 何故なんだろうと思う。 普通の一般人として当科のような町医者に通う患者さん達の方がそれらの人々よりはるかに幸福で健康そうに見える。 その字面のとおり穏やかで平凡ながらも「健やかで康らか」である。 著名人の場合、善良であるよりも悪辣である方が順調なように見える例も多い。 もともと善とは「お人よし」という言葉もあるように「弱さ」を表す言葉であり悪は強いという意味を持つ。 あまりにも華々しい栄光を背負うと、その反動かひどく惨めで暗く酷い運命にさらされてしまうものなのであろうか。 人々の人生を広く汎く遠景で眺めてみると、絶対の不幸も絶対の幸福もなく、プラスマイナス0であるかのような錯覚も抱かされる。 人類全体として最終的に辻褄が合っていくものなのではないだろうか。 いつものように前置きが長くなった。 話しを小指に戻す。 実は30年前にも右手の小指を骨折した。 これはバスケの練習ではなく正真正銘の殴り合いの喧嘩でだった。 若い時、10代、20代から30代前半まで・・・それこそ右手の小指を骨折するまでとても喧嘩早かった。 異常なほどだ。 「口より先に手が出る」と言った按配で、言葉が巧みでなかった分、手も早かったのであろう。 特に飲酒をするとさらに激昂しやすくなり、とにかく「血の気が多かった」ようで年に2回から3回は夜の街で暴れていたものだ。 これは9才年上の同じ内科の先生のホンモノの喧嘩の強い「師匠」もおられて、この先生の実のお兄さん(外科のドクター)とは実際に夜の街で殴り合いの喧嘩になりただちに弟先生に取り押さえられて観念し、深夜の居酒屋で或る筋者の人物を仲介に「手打ち式」なるものも執り行った。 このご兄弟は仲も良かったが同じラグビーの選手であった。 バスケよりラグビーの方が強そうだ。 まだまだヤクザ映画とかの流行の名残りのある昭和の時代であった。 この先生(弟)はとても愉快な人物で、日中飲んでいない時は面白い話を延々としていただいたが全く退屈することはなく思いきり腹を抱えて笑わせてもらっていた。 「殺しても死なない」ような頑健な肉体の持ち主に見えたが、さすがに若い時からの過量飲酒、喫煙、不摂生がたたったようで晩年は肥満とそれにつづく糖尿病、肺気腫、間質性肺炎、肺癌と急激にカラダを弱らせ60代後半割とアッサリとこの世を去ってしまわれた。 吉田兼好の「徒然草」にもあるようにあまりに頑丈な肉体の人とは付き合うな・・・健康を害する・・・という教えと同様の母親の進言もあったりして小指の骨折以来、喧嘩の付き合いもできなくなったという理由からか親密な交際はしていなかった。 当時(30代前半)の喧嘩早さが災いして元暴力団という両手の小指のない人物と、その付き添いの男(殺人の前歴のある)、その愛人とで・・・即ち3人で・・・夜の10時に我が家の玄関に訪れたところをバスケットボールの試合の打ち上げで飲酒をして気が立っていたのも手伝って玄関のドアを開けると同時に男2人に殴りかかり、揉み合い、殴り合いの喧嘩になり自分から振るった暴力にもかかわらず警察に通報させ、その時に全員パトカーに乗せられ人吉警察署の取調室で簡単な尋問の後に帰宅を許された。 相手側はその後も警察に留め置かれたようで、その後は彼らの脅迫まがいの電話や訪問は止んだようで、その時負った「小指の骨折」という犠牲も、払った代償は素晴らしく、その後暴力を伴った喧嘩というものを一切したことがない。 ありがたいことである。 おかげで右手で人を殴ることができなくなったからだ・・・というのも小指は所謂「変形治癒」となり、その第一関節は2度と屈曲することができなくなった。 人間の拳は小指を中心につくられるようで両手共に握力が20kg前後しかなくなり、さらに軟弱になってしまったようだ。 この時担当した丸暴の刑事さんにはとてもお世話になった。 角刈りのヤクザみたいな風体の人で、素晴らしく美しい奥さんを紹介され仰天したものだ。 その後前記した暴力事件の当事者たち即ち元ヤクザの男達もどういう経緯でかは忘れたが当医院に訪れそれぞれしばらく通院したり入院なさったりしていた。人生は本当に面白い。 今回の左手の小指の骨折の意味するものも分かっているつもりだ。 これもご先祖や神様、守護霊のご託宣、啓示でバスケットボールをし過ぎるのは良くない…実際にそれは身体的に全身的にキツかった。 とても楽しいものではあったけれど・・・それとオートバイだ。 左手でのクラッチ操作がしばらく出来なくなった。 つまりバイクにしばらく乗れない。 これは筆者自身に全身の健康管理について百考を促すもので決して悪い出来事ではないと考えている。 交通事故を防ぐために時々軽微な速度違反で切符を切られるのと似ていて注意・用心を喚起する「良きこと」と理解している。両手の2本の小さな指が全身の健康管理をしてくれているようにも思えて少しく愛おしくなる。まるで殆どモノ言わぬひと差しの「歯」のように。要するに何事も「調子に乗るな」ということなのだ。 ありがとうございました M田朋玖 |