コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 相撲騒動2018. 1. 1

力士同士の暴行事件をきっかけに警察や相撲協会、果てはモンゴルとの国際関係まで巻き込んで騒動になっているらしい。
相変わらず筆者はテレビのニュース番組やワイドショーなどを観ないので詳しいことは知らない。
けれども貴乃花親方の奇妙な表情や振る舞いが気になってこれを書き始めている。

ご存知のように相撲は日本の国技であり、ただのスポーツではない。
それは言うならば神事のひとつであり、日本神道にとっても或る種シンボリックな伝統文化なのである。
相撲協会というところは多くの日本人にとって一種独特の権威を持つ、どちらかというと厳かで重々しい古式豊かな組織なのである。
それは新奇より伝統、革新より保守、変化より普遍性を選択せざるを得ない宿命にある。
同じ国技で格闘技でも空手や柔道などとは強力に一線を画す単なるスポーツ団体と呼べない団体なのである。
これらの事柄について多くの人は何も知らされていない。
これは敗戦による占領軍(GHQ)の画策とか政策とか方針によって幾分歪められたとは言え、ここまで色々なシキタリや伝統、風習が守られて来たことは日本人として慶ぶべきことと思える。
戦前は「国体」という言葉をよく使っていたが、それらを守ることが悪いことのような意識が国民に植え付けられたが、考えてみると決して悪いことではない。
国があっての国民であるし、意識的か無意識的かを問わず多くの日本人は実際に「日本人であること」の幸福と豊かさと平和を享受しているのであるから・・・。
これは主にアフリカ大陸とヨーロッパ大陸の間に横たわる、今となっては少しもロマンチックな響きを持たれなくなった「地中海」をボロ船でさまよっている多くの難民(国を失くした人、追われた人、さまざまな事情でそこに住めなくなった)を思う時、我々普通の日本人がいかに幸福であるかを思い知らされる。
それらの国際情勢のありさまを見せられるにつけ、連日報道される相撲騒動には驚きを禁じ得ない。
報道そのものと即ちマスコミの取り上げ方の執拗さ、口説口説しさと大袈裟さについてである。
それは微に入り細に入りといったレベルで殆ど知らずにいたことまで知ることになって(相撲協会の組織図とか人間模様とか確執とか)、知りたくもないことを知らされるという意味では多くの国民は迷惑しているのではないかと思える。
だいたい「それが何?」「それで?」みたいなどうでも良い報道を倦きもせずにするというマスコミ、報道機関の習性についていつも疑問に思うのであるが、それが重大なことなのか、些末なことなのか、国民が優先的に知るべきことなのか分からなくなってしまう視聴者もいるかも知れない。
この一連の騒動について考えたことが2つあるのでそれを記してみたい。

第一は前記した文脈からも考えられる問題として、国体の保持を毀損するために相撲協会を一生懸命「揺さぶっている」勢力がいて、それらの人々の悪企みではないかというのがある。
今のところモンゴルと日本の国際関係は概ね良好であるので、モンゴル出身の力士について言及されてはいないようであるが日本の国体を破壊しようとする人々にとって伝統文化、日本人のバックボーンである天皇制とそれに連なる数々の神事の流れを汲む相撲に切り込み、それを崩すというやり方を使っているのではないかというひとつの推測である。

以前のコラムでも繰り返してきたように日本のマスコミはNHKや朝日新聞を筆頭に多分に「反日的」であると断じたが、そのことを前提に考えると「相撲協会」への揺さぶりが何の不思議もないことなのだ。
そのような広く、高く、幾分邪推的な視座も必要なのではないかと筆者は考えたのである。

第2は貴乃花親方の精神状態である。
これはテレビでチラッと拝見させていただいただけであるが、こうはもう「異常」とか「病的」というレベルの表情や態度の奇妙さである。
眉を高く吊り上げ能面のような無表情、歩き方、やつれ顔を見せられるにつけ、どうしても「正常人」とは思えない。
これは筆者の勝手な分析、「生い立ち分析」「家族分析」であるが、幼少期のトラウマ・・・世間的には全くもって美しく理想的な家庭環境に生まれ、スクスクと育ったと当時のマスコミの報道でも見せられたが、その屈託のない子供らしい兄弟(若乃花)の姿には微塵も感じられなかった。一方内面では精神的にかなり薄幸であった可能性がうかがえる。
心の奥底の問題もあらためて家族の相関図を分析した時に発見できたことで、これはもう「仕方がない」としか呼べない幼少期のあまり精神的に幸福でない環境ではなかったのかと確信するのである。
さらに今の家庭環境である。
主に夫婦関係であるが、これはもうハッキリ言って「うまくいっていない」
少なくとも貴乃花親方にとって少しも幸福なものではない。
つまり相性が悪い。
この相性は、社会的成功は或る程度勝ち得るが家庭的には少しも満たされていないという相性である。
特に性的な問題が大きい。
45才という男盛りの人間、それも功成り名を遂げた人物の表情とは思えない。
「愛と性」において満たされていない男の表情である。
これは誠に気の毒な大問題であるが、他に付き合っている女性とかいっぱいいて、もしくはコッソリ女性を囲っていて、或いはやたらにモテモテで女性の愛情をたっぷりと受け取っていたらあのような顔にはならないだろうと思える。
そのような意味で名や地位のある男性のそのような行動を許さなくなった今の社会やマスコミの態度は大嫌いなのである。男というものは、女性の愛情でしか絶対的に「元気」にはならないのだ。
風聞ではかなり弟子に愛情を注ぐらしいが、その注いだ愛情を一体どこから補給するのであろうか、と考える。
その方面で満ち足りていたならマスコミへの対応も多分こんな感じであろう。「バカヤロー」とか「フザケルナ」とか「ホットケー」とか冗談半分で言い放った後、ニヤリとして手刀を切りながら軽快にクルマに乗り込む。思いきり爽やかな態度で周囲の空気を明るくお茶目に揺らしながら消え去る。
相撲協会の体質上は、こういう態度も御法度で「降格」どころか「除名」とかになったりして(笑)。

昔、特に戦前のようにそういうことに寛容でのどかな時代の方が特に知名士、著名人にとってどれだけ有難かったか分からない。
そのようなエネルギーの高さによってその地位や身分を得ているという側面もあるし、その方が多く男女にとってより幸福ではないかと思うのだ。

少しも幸せそうに見えない、とても真面目で完璧主義者であろう筈の、貴乃花親方の「顔」を見る度に胸が痛くなるほど同情をしてしまう。
自分自身の45才時の精神的な幸福度と比べると天と地ほどの差異がある・・・と思える。それは貴乃花親方の生い立ちと筆者の生い立ちがよく似通っているという一面と彼の星が筆者と同一という面で他人事とは思えないという理由による。
何よりも筆者が当時こういう「知識」を持っていたということにとても有り難さを感じる。

追記
東京の両国国技館で生の貴乃花を初めて見た時にはその美しい肉体とキラキラとした大きなオーラを感じたものだった。登場したときには観衆が一瞬大きくどよめいたくらいであった。現相撲協会理事長の八角親方よりも戦績も容姿も優れているものの9歳も年下だ。相撲協会も年功序列はあるだろう。しかも同じ星。野球の落合博満も同一星である。彼らは頭も良く目下や弟子を可愛いがる一方で自分の倫理観や考え方に自信を持ちすぎていて、世間からするとやや傲慢な人間、奇人変人に映るかも知れない。

ありがとうございました
M田朋玖



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