コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 秩序2017.12.16

兄弟喧嘩の多い家庭の観察では子育ての雰囲気として行き過ぎた平等主義というのがあるようだ。
最近は世の中全体が平等を言い立て過ぎていて、特に学校の教育現場で先生方が困り果てていると聞く。
民主主義というものが誤解、曲解されて権利と自由と平等など個人の視点に立って勝手に解釈するものだから何となく社会全体や家庭や学校がややこしいことになっているように見える。
ひとつには戦争のない長い平和のために男も女も女性化してしまい、男性的で父性的な暴力や権威が封じ込められ、上下関係や秩序を軽んじて上長や先生や指導者の「言うことを聞かない」ことを良しとする風潮が蔓延しているように見える。

それで自衛隊とか警察とか消防とか、どちらかというと秩序の守られている組織や集団を見るとひどく好もしく思える。

これらの悪平等とも言うべき社会や学校の上下関係への鈍感さ、センスの無さ、美意識の欠落によってどちらかというと醜い人間関係が生じているようだ。
たとえば暴力事件のあった中学校への警察の介入時に中学生の警察官への呼びかけが「おい」とかだったりするそうである。
驚愕してしまう。

これらの憂うべき状況の出発点は家庭にあると思われる。
以前にアドラー心理学の研修があって、少し本も読んでいたので熊本市にいる時に参加したことがある。
それで仰天した部分があったのであるが、それは家族関係における対等さというか、平等さというか、そのような平行的な関係性を重視していて「つべこべ言わずに言うとおりにしろ」などという、昔風に言うとやや封建的、絶対的、独裁的な親のモノ言いがいかにもお勧めできない独善的で悪辣な言行であるかのような雰囲気であったので「子供の反抗的態度にはどう対応するべきか」というような問いかけに対しては「ウルサイ!」とか問答無用で平手打ちするとか蹴り飛ばすとか怒鳴るとか答えたら受講者の一部から失笑を買ったり呆れられたりした。

アドラー心理学はモチロン或る側面においてはとても優れた心理学である。
それを元にしたテレビ番組や「嫌われる勇気」という書物まで出たりしてもてはやされている。
上記の本はどちらかというと良書である。
とは言え、家庭の教育において対等とか平等とかの感覚はお勧めできない。
これは「父権の復活」を唱える。
心理カウンセラーの説にも同調するものであるが「父権・・・」とは言い換えるなら上下関係とか秩序の復権と呼んでも良い。

人間は「愛」(平行の関係、平等が含まれる)と同時に「敬」(上下の関係、ヒエラルキー)という言葉も持っているし、猿にだってあるかも知れない。
日本猿の集団はボス猿を中心に運営され、展開されるので敬に似た畏れみたいな感情の存在がうかがわれる。
敬や秩序を失った人間の集団は猿以下なのかも知れない。
今の公立の中学校のあり様はまさしく「猿以下」と呼んでもおかしくない状況であるようだ。

家庭内における秩序の回復の為に筆者が提唱しているのは身分の順番づけ、序列をしっかりと教え込み家族全員でそれを共有すること・・・というものである。

一番エライのはお仏壇、あるいは神棚にある御先祖、もしくは神様であるとする。
そして同居しているならば➀祖父A祖母B父C母D長男(長女)E次男(次女)・・・という風に警察か軍隊のようにそれぞれの呼称に応じた
身分を与え、保持し、それを適切に行使するということをさせるのだ。
愛は平等としてもそれぞれの身分に応じて「敬意」を要求し、重んじることを意識してすることである。
それは家庭内の主たるリーダーである父親の役割であるが、モチロン母親でも良い。
普通、賢い女性(学歴とか知的とは関係ない)はこれらのことを本能的にか経験的にかよく理解し、家庭内家族関係における秩序の維持を図るものである。
多少の例外はあっても概ね上記のようなヒエラルキー(階層)をよく教えておかないと社会に対出てから困ることになる。
一般社会においては絶対的平等というのはあり得ないということを早いウチに思い知ることだ。
これらの浸透で兄弟喧嘩は減り、親子関係、兄弟関係はとても安定したものになる筈だ。

地元には「〇〇兄弟株式会社」という優良企業があるが、その他の上位2社(焼酎メーカー、建設会社)とも兄弟関係は極めて良好と聞く。
アメリカの会社にはソロモンブラザーズ(大手投資会社)、リーマンブラザーズ(倒産した大手投資会社)などが有名であるが、兄弟仲が良いというのも会社発展の原動力になっているようだ。

筆者の友人の会社は市内でも有数の企業で、一時かなりの隆盛を誇ったが兄弟仲が悪く倒産してしまった。
今でも裁判で争っているらしい。
そのどちらも知っているが弟の方の兄へのタメ口やぞんざいな態度、不敬な応接を一度だけ見たことがあるがひどく奇異に感じたものである。

「アサーションセミナー」(自己表現)というのがあり4原則というのがあって、それは
➀対等A自己責任・・・らしいが、このセミナーを受講した人は堂々と自己表現をよくなさるようになられるが、物言いが自己主張というくらいで率直に過ぎ「対等」という原則も手伝ってか議論において対立することが多くなっていた。
筆者としては対等(平等)というところに問題があるのではないかとみている。

自己主張を好きなように対等にする(実際はちがうのかも知れないが・・・)というのは秩序を乱すという意味で大いに問題なのではないだろうか。

少なくとも実際の社会は「横の関係」(平行的、平等的)と同時に「縦の関係」(上下関係)にも準拠しており、これらがバランス良く機能して成り立っているものなのだ。

実際問題としてあらためて「秩序」という言葉を紐解いた時に私達大人ががしなければならない社会的な行動として上記したようなアイデアを提示してみた。

標題の言葉からいささか文章が固く厳めしくなってしまったが、要は孟子の言うところの「長幼の序」ということである。即ち「目上を敬いましょう目下を慈しみましょう」それを家庭で練習しましょうということである。

ありがとうございました
M田朋玖



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