コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

[戻る]
■ イクメン2017.11.28

世間では子育ての上手で巧みな、或いは熱心な男性を指してこう呼称するようだ。
そうして彼らをもてはやし、尊ぶ社会のトレンドがあったりして、ある意味とても驚きである。
世の中も変わったものだ。
今は若い夫婦では共働きも多いらしいので、妻が家事と母親業と仕事を一手に引き受けるには時間的にも体力的にもかなり困難というか難渋するのは理解できるし、仕事を持つ夫が子育てを手伝ってくれるのは、それはそれで有難いし、助かる・・・ということは誰にでも想像ができる。

そのような背景であるのでイクメンなる言葉が広く世間に流通し、頻用され体現されているというのも理解できないわけではない。
夫婦二人の核家族において「子育て」というものは想像以上に大変なものなのである。
その上その若い夫婦が子育てや人間の心理について、或いは健康上の知識について無知であると、親も子供もかなり悲惨であるようだ。悲劇と言っても過言ではない。
太古の昔から、人間も一部の哺乳類のように子育ては集団(集団養育)で行っていたらしい。
たとえば原始民族、部族・・・アフリカ、アメリカのネイティブインディアンは、子供は家族単位でなく集団の財産としてその部族全員で育てていたからその集積された智恵やしきたりや言語や文化、健康上の知識もその集団内で共有され実行されていた・・・という歴史がある。

もともと人間は、遺伝子的には幸か不幸か700万年前の仕組みや状態をその体内、精神に保持継続しているらしく、それが現代人の人間関係、とりわけ子育て中の男女関係・夫婦関係について厄介な事態を生じさせているようだ。
結論的に述べるならば「イクメン」という存在と、それを容認する社会やトレンドというものは、ことそれを実践している夫婦については精神的・生理的にはどうも異常事態ではないかと思えるのだ。

というのは、人間の雄(男性)は遺伝的には外に出て狩りをする。
そしてそれらの獲物を雌(女性)や子供に配るという役割、雌は子育てや家事に専念する・・・という仕組みが出来上がっていて、これは農耕という技術とそれに伴った生活様式の変化があっても男性の狩猟、女性の子育てという古典的な生活上の役割分担をするように創られているようなのである。

ありていに表現するなら、こと子育てや仕事について現代の多くの男女は本来向かないことを「している」「させられている」と言っても過言でないといということだ。
女性が外に出て働く(狩猟)ことと同時に男性が子供を育てるということが、生来的に持っている潜在能力を貶め歪めていると考えられる。
「男女共同参画社会」という言葉があって、個人的にはこの言葉にはいつも強い違和感を持つのであるが、そのひとつは男女の差異、役割や性質の違いを無視した考え方が込められているようで凄く嫌なのだ。

この言葉が何故出現して来たかというと長い間社会的に抑圧されて来た女性の権利の確保、たとえば選挙権の問題、男女差別の問題などを解決し、解放し、その存在にあらたな権利を与えようとするもので、その延長線上にその言葉が出現したと思われるが、最近は「過ぎている」という感じがしている。
またそれらの社会的、文化的背景が普通の男女の関係を破壊しているようであり、男女共を、社会的経済的精神的に見て思ったほど幸福にしていない言葉のように思えるのだ。

女性の社会進出は20世紀初頭(1900年頃)より少しずつ先進国を中心に進展してきたが、最近では為政者側や経営者にとっては労働力の不足(先進国)、個人的には主として経済的な理由(夫の収入だけでは生活できない)の為に「女性を外で働かせる」という意図が隠されていて、経済的に豊かではない男女を騙すための言葉のように常々感じていた。
そしてとうとう「イクメン」という言葉の登場だ。

男は子育てをするとテストステロン(男性ホルモン)が減じるらしい。
それは男性の性欲の落下や攻撃性、競争意欲の低下を招き社会活動(主に仕事)の能力を低下させる。
さらに実際の子供の病気や事故,不調時には夫の力が駆り出される・・・結果「仕事ができない男」というレッテルを2重の意味で貼られかねない。

一方、女性の場合、仕事などの社会進出はそのテストステロンの増加を来し性欲亢進や攻撃性の発現などを生じさせる。
これらの状態が普通(人間の遺伝子的な特性をそのまま保持している)の男女にとって果たして幸福な状態なのか大いに疑問である。

ここで筆者としては「ハタメン」という言葉を提唱したい。
つまり、よく「働く男」のことだ。
身を粉にして懸命に精一杯働いてその獲物(報酬)を家族即ち妻子の為に使い尽くす、もしくは蓄える・・・ということを人生最大の個人的使命と考え、さらに社会や国家や世界に貢献するという強い意志を持ち、それを実行する男、即ち「ハタメン」(働く男)。
モチロン家事や子育てをする余裕がないのでそれらはその配偶者に任せきりになる。
男女の役割分担を明瞭に分けてしまうという考え方、やり方だ。

今このご時世だと一般女性の多少の反発や反論を受けそうだが「イクメン」と「ハタメン」どちらにより魅力を感じるであろうか。
多くの老若男女に聴いてみたい。

筆者としては家事や子育てに長けていて素晴らしい結果(清潔で温かい家庭を作り立派な人間として子供を育ててくれる)を出してくれる、もしくは出そうという意志を持っている女性には強い魅力を持つ。
もちろん仕事の出来る女性、男性にも心惹かれる。
それでも天の理にかなった自然の恵みのとおり言い換えるなら生来持っている筈の人間の本能に沿って生きている人間の方が人間社会の少しく歪んだ考え方や欲求、要求、流行に従っている人々よりも魅力的に見える。
とりわけその携わっている仕事の内容にかかわらず、それを一生懸命楽しそうに実践実行している男・・・「ハタメン」は大好きであるし、それを陰で支える女性に魅力と強い存在感を感じる。

残念ながら「イクメン」には少しも魅力を感じない。
それでもやむにやまれぬ事情があって、働きながらの「イクメン」には強い尊敬の念を抱くことがあるが、これは稀少派である。例えば配偶者に逃げられて、或いは亡失して仕方なくイクメンになってしまった男性とかにではある。

ついでに所謂典型的な「イクメン」は色々な男としてのパフォーマンスが落ちてしまうし、ひととおり子育ての終わった・・・それはせいぜい長くても10年か15年ほど・・・後の「元イクメン」という男性の有り様は、恐らく仕事の能力の低下などで当然起こって来る結果として、社会にも妻にも見放され、取り残され、その存在は結構悲惨なのではないかと余計な心配をするのである。

人間は一夫多妻と一夫一妻のどちらの制度も選択できる素地を遺伝的に持っているそうである。
「一夫一妻」と「共働き」と「子育て」これらの組み合わせで生じた「イクメン」という存在とそれを容認する社会には少なからず危惧を抱いている。

そもそも子供というモノは、親や夫婦の所有物ではない。社会や国家、世界の未来を担う人類の最も大切な財産、いや未来そのものと言っても過言ではない。個人的には日本の江戸時代や戦前のように社会全体で育み教育して行くのが理想なのではないかと考えている。

ありがとうございました
M田朋玖



濱田.comへ戻る浜田醫院(浜田医院)コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせいよくある質問youtubeハッピー講座