コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ リーダー2017.11.18

リーダーシップについての知識を得たいのであれば中国の古典が一番である。
それについての宝庫ともいえるさまざまの言葉や文章、物語が汲めども尽きぬ無限の泉のように知恵・知識・情報が豊富である。

とりわけ易経・大学・中庸などは元々帝王学なので、政治家とか君主とか国のリーダーでなくても組織や社会において或る程度の身分を得ている人なら学んでおくべき最高最良の教材ではないかと確信している。

「人間を知る」という意味でもこれほど優れて貴重で夥しい数の知識は生きて行く上で何よりもリーダーとして在るのに有益な学問はない。

36才の時に初めて参加した日本創造教育研究所という自己啓発セミナー、経営者セミナー、人材教育セミナーにはSA(セルフアウェアネス、自己への気づき)SC(セルフクリアネス、自己を磨く)、LT(リーダーシップトレーニング)というコースがあって、何度も繰り返してきたように筆者にとって人生の大きな転換点を与えてくれた研修であった。

32才〜33才頃より多くのビジネス書と同時に何故か中国の古典にも親しんでいて、それは今何故かというと思うに精神的に「楽になる」からであったと思える。
モチロン原文を読んだことは無く、主に守屋洋という作家の訳書で学んだ。
それはかなり断片的な知識であるものの中国の思想とか哲学とかの骨格を知り得たし、その考え方も或る程度身につけることができたとも思える。

それらの知識の発露、試験、実験の場として「日創研」のセミナーがあったのではないかと今にして思うのである。
それというのも、それら中国の古典で知り得た知識というものをセミナー中に「使って」みるとすべからくウマくいくのである。
しかも極めてスムーズに・・・。
その上当時は厳格な菜食主義者で瞑想家でもあったので、傍から見たたら年齢の割に落ち着き払った態度と物腰と冷静さ、大胆さ、明朗さを備えた男だったのではないかと思い出される。

それらの落ち着きと思考の明晰さを再び得たいと最近とみに思うようになった。
何故そんなことを思い出すようになったかというと近頃またかなり厳しいというか正調な菜食主義を実践しているからで、瞑想も心の底から湧き起こる飢餓感にも似たそれへの欲求の結果、自然に毎朝実行しているからかも知れない。
以前の日常の生活上の行動指針であった「菜食・瞑想・読書」というものが自然に再開されたことが個人的にもとても喜ばしきことなのであると思える。
それは感覚として「狂気」から「正気」へ、「雑駁」から「寧静」とか「精緻」「繊細」へと心が少しくシフトして来ているのを感じる。
それと理由のない幸福感、気分の良さだ・・・。

これらの感覚は実のところリーダーとして身につけるべき心身上の「良きモノ」なので、それを体現するだけで下位の者は安心してついて行こうと思うものであるようだ。
これは多分に秘やかな優越感にも似たもので、敢えて表現するならこんな感じである。
それは宴もたけなわの酒席で酔客が声高に談論している時に水を飲みながら平静でいるという感覚で、少しく意地の悪い酔狂まわしへの侮蔑めいたものであまり褒められるべき心の態度ではないが、多くの人々の狂気じみた強迫的行動から「自由でいられる」というような割と健全な穏やかな温かさ・・・みたいな心の状態である。

これらの日常行動の指針によって得られる外面的な態度・ふるまい・言動の変化の第一は意外なことにリーダーシップ能力の高まりである。

たとえば中国古代の聖天子(皇帝)、理想の帝王で最も治世がうまくいった時の「舜」の様子を記した大学・中庸の一文がある。
「無為にして治むるはそれ舜なるか。己を恭々しくして座して南面するのみ」
何もしないでよく治るにはリーダーという者は自分を大切にして静かに南面する(明るい方角、良い方向に向いている)のみである・・・という意味である。
心静かに心地良さそうに上機嫌でいる・・・というのも立派なリーダーシップなのである。

また有名な一節に、中国明代の学者呂新吾の「呻吟語」という書物の言葉
第一等の素質「深沈厚重」
第二等の素質「磊楽豪放」
第三等の素質「聡明才弁」なんていうのもある。聡明で弁が立つというのが、第三等なんであるから多くの才気の走った能弁の政治家、経営者など社会のリーダーにとつて耳の痛い、というか目が開かされ、ハッとさせられるような言葉ではないか。誰かさんにも聞かせたい言葉である。誰とは言わない。聞き飽きたであろうし、メディアを含め地域の首長とかご近所にも「三等人」はたくさんおられる。そしてそれらの人々は大概、早晩自分で墓穴を掘られるようだ。

それらの他に細かいリーダーシップ上の知り識を使い、心を正気に保って振る舞い、行動していると自然にリーダーにさせられ、また良いリーダーシップを発揮できる。
それはその研修でそれ(リーダー)を意図したわけでもないのにSA,SC,LT、その上のTT(企強く業内トレーナー養成コース)のそれぞれの研修コースで数十人から100人近くの人々のリーダーにさせられ、それを自然にそれ程のストレスもなくやり遂げた(自己満足かも知れないが・・・)という実績(?)によって証明されたように今考えている。

これは勿論実生活でも色々な会の会長とかさせられる傾向があったので、出来るだけそれらの組織とか会の会合とかには所属しない、参加しないようにしている。大切なプライベートな自由時間を減じないためで、この問題については一種、強迫的に恐れている。優れた人間だからリーダーになれるとか、それが得意という訳ではなく、誰でも学べるということをお伝えしたかったのである。繰り返すが中国の古典を丹念に読めば事細かくキチンと書いてある。リーダーとしての言動や振る舞いや態度のあるべき姿を。

ありがとうございました
M田朋玖




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