コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 選挙結果2017.10.28

先記したコラム(解散総選挙)を受けて結果を見るとまさに占いどおりとなった。
何よりも安倍さんの勝利というよりも小池さん凋落が目立つ結果となっているようだ。
ご存知のように「希望の党」の惨憺たる惨敗ぶりもさることながら小池百合子氏自身の進退問題(党首)も言及されているようで、通常ならこういう場合速やかに辞任するのが妥当であろう。
結果的に「負けた」のは事実なのだから党名からして悪い。
何だか宗教団体か慈善団体みたいで政党名にしては極めて弱い。
一方「立憲民主党」は力強い語感があってインパクト充分、コンセプト(理念)が込められていて分かりやすい。
共産党(中露、北朝鮮をイメージさせてイメージがよろしくない)と希望の党(子供っぽい幼稚で政策があやふやな印象だ。いかにも女性らしいけれど・・・)の票を喰ったらしいがさもありなんである。
愛とか希望とか幸福とか学校教育には良いかも知れないが政党名にはそぐわない。
政治は力なのである。
国家権力なのである。
「生活の党」とか「幸福実現の党」も同格だ。
何かしら政治というものへの勘違いを感じる。

いずれにしても三碧木星(小池百合子氏)の運気停滞は明々白々としているので今後の行動、言動次第では都知事の身分も怪しい。
調子に乗ってはイケナイのだ。
何事も・・・。「淫志多欲」という言葉があるがこれは身分のある人を強く戒めるものである。小池女史は多分ご存じなかったのだ。
占いを舐めてはイケナイ。

豊洲市場、オリンピック競技施設、都議選ととにかく揉めまくった。
そのトラブルの張本人であるので、今そのツケを払わされているのだ。
当然の帰結である。
「振り子の法則」というのがあって、善にしろ、悪にしろ、正邪細大を問わず大きく振れること(名を世に出す、活躍する、目立つなど)があると反作用も大きい。
人間のひとつの軽落のシナリオだ。
大人しくジッとしている、沈黙しているという勇気も物事には絶対的に必要であるのだ。
モチロン動く時には徹底的に激しく動く必要もある。
動くか動かないかは人生において半々か6:4で動かない方が多い。
このようなタイミングの判断に易学はとても有益である。
本屋に行って山積みになっている高島易断とかの占いの本でも役に立つが、この手の本は「ワザと当たらない」ように書いてあるので盲信は禁物だが或る程度参考になる。
ただしあきらかに時期についてズレているのでタイミングの判定にはかなり専門的な知識がいる。
全国的に有名な占い師ですら間違える・・・。
これは彼らのセミナー参加、著書などで確認済みである。
あきらかな占いの間違いを堂々と明言して愧じておられないから通常の易占法に頼っておられるのだ。

暴言の豊田真由子氏が落選し、不倫の山尾志桜里議員が当選した。
両人とも運気はそれほど悪くないが豊田氏の場合、昨年暮れから今年の運気落下を引きずっていた一面と国会議員とか政治家としての致命的なミスを犯した。
それは傲慢・高慢という罪だ。
威張るとかエラソーとかの態度はこと政治家については致命傷だ。
それも女性なのに年上の男性を罵倒するなど言語道断だ。
日本人の男性の最も嫌う態度。
多くのサラリーマン、給与所得者、公務員の人々の猛反発を喰ったと思える。

このあたりのことは中国の古典にもキチンと書いてあって、政治をめざす者、言うならば「君子」を求めるなら易学的に最高の徳「謙」の徳を身につけなければならない・・・というのは常識なのである。
「謙」とはへりくだること。
人の下にかしづくことである。
ひとに対して、それも下位の者に対して威張るとか高慢な態度、ふるまいというものは厳に戒められている。
であるので、時には威を正して下位の者に厳命することがあるかも知れないが、平時や選挙などイザという時には逆の態度「謙」の態度は貫きとおすことが肝要である。
逆に言うと政治家ほど頭を下げなければならない職業は無いかも知れない。
今までの政治家でも「謙」を忘れ落選した人々を何人も見て来た。
即ち「威張ったら落ちる」「謙虚なら当選する」と覚えておけば良い。

日本中の政治家に読んで欲しい書物が「易経」である。
竹村亞希子という女性の「易経」一日一言という書物が致知出版社から出ているが、これを「座右」にすれば政治家としての態度、ふるまい、言行、出処進退などの考え方、知識がふんだんに散りばめられているので、常に携えて読まれたらよろしかろうと思う。
余計なお世話であるが・・・。

安倍政権の選挙後の「謙虚」「丁寧」のスローガンは易学的にも結構洗練されたものに見える。
少なくとも選挙に勝ったからといって浮かれてはいないようだ。
国政を任せるのであるから、選ぶ基準は簡単だ。世界、日本国、日本国民にとって有益と思われる人物を撰べばよい。自分の住む地域とか個人の好き好みや利害で選ぶと結果的に後悔をする。何故なら世界即ち他者と自分は、究極的に一体なのだから。これは綺麗事でもなんでもない。個人というものは健全な社会なしには決して独立して存在出来ないのだ。国際社会と地域社会とはますますもって切り離して考えられなくなった社会を今私達は生きている。地球の環境問題などを思い浮かべれば小学生でも分かることだ。

そういう意味でアメリカファーストとか都民ファーストとかの政治感覚は実際にナンセンスであるし、結果的に選んだ人々を苦しめてしまうような気がする。
人気と人望は似て非なるものであり、普通これらは混同され人々を惑わす。時流とかトレンドというものには賢い人はあまり乗らない。

ありがとうございました
M田朋玖



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